二十三 疵痕(一)

 ――真島サツキ拉致さる!

 この一報は、シェリル本人によってすぐさま捜査本部に伝えられた。

 他の刑事たちとともに落合と弓削が公園へ駆けつけると、そこにはくずおれた啓一たちと痛恨の表情のシェリルが立ち尽くす姿があったのである。

「……やってしまいました」

 いつも気丈なシェリルが血を吐くような声で言うのに、二人は戸惑っていたが、

「拉致に関わった二人を現行犯逮捕しました。連行しますので、手伝ってください」

 清香に倒された男と偽シェリルを示され、はっとなってすぐに連行に取りかかった。

 同時に、啓一たちも何とか正気づけて移送する。

 泣きながらもおとなしく従って歩き出す偽シェリルの手には、手錠がかけられていた。

「警視、なぜ彼女に手錠を……?抵抗の意思がないようですが」

「……自害に及ぼうとしたためです」

 ドラマなどの描写から「逮捕には手錠がつきもの」というイメージがあるが、必要になるのは烈しい抵抗をされた場合や逃亡の意思を見せた場合、そして他害や自害のおそれがある場合である。

 偽シェリルはサツキが拉致された直後、やけになって男が落とした拳銃を手に取り、こめかみに当てて自決せんとした。

 シェリルがとっさに石を投げ、引き金を引く前に止めたのでことなきを得たが、やむなく手錠をかけることになってしまったというわけである。

 警察署に入った一同は、そのまま弓削により事情聴取を受けた。シェリルが行わなかったのは、被疑者二人の取り調べに向かったためである。

 一同は余りの衝撃に証言もおぼつかなく、清香に至っては途中で泣き出すなどしたため、一人一人にひどく時間がかかった。

 何とか事情聴取を終え通された会議室で、呼び出されていたらしいジェイと宮子に出迎えられる。

 しかし会話が一言二言しか続かず、しばらくして全員押し黙ってしまった。

 通夜のごとく重苦しい空気の中、一同が時間の感覚も消えた状態で待っていると、いつの間に着替えたのかいつもの姿のシェリルが静かに入って来たのである。

「取り調べが一通り終了しました」

「お疲れさま。……どうしたんだ、何か後ろ気にしてるが」

 啓一がねぎらいの言葉をかけつつ、シェリルの様子がおかしいのに気づいた。

 先ほどから、扉の向こうをやたら気にしているのである。

「い、いえ、気にしないでください」

 シェリルはその指摘に一瞬しまったという顔をしたが、すぐに着席して話を始めた。

「何より先にサツキちゃんのことが気にかかると思うので、そこからお話しします。あいさんが倒した男の証言から、大体のことが分かりましたので」

 一同が息を飲むのに、シェリルは一つうなずくと、

「結論から言うと、サツキちゃんは危害を加えられることはないと見ていいでしょう」

 慎重な口調ではっきりと言う。

「後でまた詳細をお話ししますが、とりあえず簡単に説明を。今回の事件は想像していた通り松村に与している極左暴力集団の犯行でした。しかし、松村に指示されたわけではないんですよ」

「やつの指示じゃないって……?まさか独断独行か?」

「一応そうではないんですが、近いことになってしまっていたようですね」

 男の供述によると、この拉致計画自体は幹部の発案であった。

 しかし雇われの身である以上きちんと許可を得る必要があるからと、数日前に幹部自ら松村にうかがいを立てたのだという。

 だが松村は、この計画に極めて消極的な姿勢を示し、

「仲間の重力学者を使えば次はやり返せるだろう、どこが脅威だ」

 のっけからそう鼻で嗤って小馬鹿にして来た。

 あの連中は明らかに普通ではない、とにかく危険だから芽を摘んでおくにしくはないと説得したのだが、ろくに聞こうともせぬ。

 そしてそんなに言うなら仕方ないとばかりに、

「やるなら勝手にやれ、失敗しても自分は知らない」

「成功しても目立つから殺したりするな、人質として引き取るくらいはしてやる」 

 そう言って突き放して来たというのだ。

「幹部も相当困惑したようですが、後の面倒を見ると言ったのを一応の許可が出たと解釈して、そのまま実行に移したそうです。ですから、最後は独断独行に流れたとも言えなくはないです」

「何だそりゃ……いかな何でもぐだぐだじゃないか」

 啓一は話の流れに、怒りとあきれがない交ぜになったような顔で言う。

 作戦をこき下ろしながら結局判断を放棄して止めない松村も松村だが、それを許可が下りたと解釈して動いてしまう実行犯側も実行犯側だ。

 そんな頭の悪いなりゆきで仲間が拉致されたなどと聞いては、こうもなろうものである。

「とりあえず『殺したりするな』と言われている以上、実行犯は手を出さないでしょう。それにあんな命令をしたからには、松村自身危害を加える気もなければ、配下など周囲の者に加えさせる気もないと見ていいと思います。下にやるなと言って自分でやってれば世話ないですからね」

「実行犯はそうだろうが、松村の方はどうかね?まともな理屈が通じないやつだぞ」

 松村の性格を考えるとにわかに信用出来ないと思って訊く啓一に、

「今回に関して言えば、その辺は大丈夫でしょう。何せ同じ引き取るのでも『人質』としてだと、事前に明言してるわけですから」

 シェリルが含みを持たせてそう言った。

「……どういうことだ?」

「実行犯にとっては危険人物を取り除くのがまず先だったので、拉致した後でどう扱うかは二の次だったそうなんですよ。取り立てて何か特別なことをせずに単に監禁しておくだけでも、充分に目的自体は果たせるからと」

「言われてみりゃそうだ、拉致したからって必ずしも『人質』として利用する必然性はないもんな。……となると『人質』云々は、松村が含むところあって言ったことってわけか」

「そういうことです。意味のない拉致ではあっても、うまく行けば相手方の人物が手に入るには違いない。それなら引き取って、存分に利用してやろうという思考の現われと見て間違いないでしょう」

「待て、それは危害を加えない理由にはならないんじゃないか。傷つけても『人質』としての機能は果たすはずだぞ」

「松村はサツキちゃんを、いろんな意味で脅威と見ていません。そんな人物に危害を加えても後始末が面倒になるだけ、何の益もありませんからね。それより無駄な苦痛を与えずに紳士的な態度で接した方が、扱う上で楽になると考えるでしょう。外面だけでも慇懃にするのは得意ですから」

 まあすぐに下衆な中身が漏れ出すわけですが、とシェリルは眉をひそめる。

「そのような諸々の打算から、無傷のままで『人質』として利用しようとしている可能性が非常に高いです。……今までのこちらへの態度からするに、もしかすると交渉材料には使わず監禁したままにして、『囚われの姫君』を助け出させてやろうなどと考えているかも知れません」

「『囚われの姫君』だと……ふざけてやがるな。人を馬鹿にしやがって」

 余りに人を食った発想に、啓一がぎりぎりと切歯した。

「とりあえず、サツキちゃんの身に危険が及ぶ可能性はかなり低いと見ていいってことよね?」

 清香が横合いから顔を出し、再度確認する。

「そういうことです。松村のところに行っているという前提になりますが、これも間違いはまずないでしょう。実行犯にしてみれば、最初から引き渡すつもりだったでしょうし」

「まあ親玉が引き取ってやるって言うんなら、それに甘えた方が楽だもんね」

 さっきもシェリルが言った通り、人質にするでもなくただ相手の戦力を奪うために拉致しただけなので、実行犯たちにしてみれば正直お荷物のはずだ。

「しかしいくら危害を加えられる可能性が低いとは言っても、早く助けなければならないのは一緒です。松村の根城たる一新興国産業本社周辺をはじめとして、市内のおよそ関係があると思われる場所に人を回して捜索を行っています。ある程度の結果が上がって来るまでやはり時間が……」

 シェリルは悔しそうに唇を噛んで言う。

 何としても親友を救いたいがままならぬ、そのような顔だった。

「ともかくサツキさんが何とか無事でいられるだろうという見通しが立っているだけで、少しは気が楽になる。時間がかかるのはもう仕方ないだろう、そう簡単に行けば世話はない」

「あせって無茶すると、サツキちゃんやこっちにとって不利益が生じるのは明らかだしね……」

 啓一と清香が、シェリルを慰めるように言う。

「……ありがとうございます。とりあえず、この話はこれで終わりとしまして……取り調べで分かった事件の概要や新事実について、お話をしようかと」

「じゃあ、そっち……」

 そう言いかけて、啓一はまたしてもシェリルの態度がおかしいのに気づいた。

 入って来た時と同じように、扉の方をちらちら見ているのである。

「……何かあんのか?あの扉の向こうさ」

「あ、その」

 シェリルはそう言ってしばらく黙っていたが、ややあって、

「……みなさん。この先、どうか感情的にならず落ち着いて対応をお願いいたします」

 決心したように慎重な声で言った。

「えっ……」

 ざわめきが広まる中、シェリルは一旦外へ出て誰かを連れて来る。

 その瞬間、一同が凍りついた。

「………!?」

 何とそれは、逮捕されたはずのあの偽シェリルだったのである。

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