二十八 街の灯り(四)
子供たちが出て来た児童公園を過ぎると、「北展望公園」と書かれた門柱と緩い坂が見えて来た。
公園本体はこの門から坂を上がった先、中心部と「裏」の中間あたりの高さにあるようである。
「ああ、これあそこか。『裏』に上がる管理道路の横に変な空地があったの」
「柵囲いのせいで、上から目視するしかなかったとこね。公園用地だったんだ……」
大門周防通騒乱の直前に子供を探しに行った際、いかにも迷い込んでいそうだと一緒に眼を皿にして見たことを思い出した。
管理道路の添え物のような土地なのでさして広くはないが、かなり力を入れて整備したらしく、しっかりと並木や石畳の遊歩道がそろった都市公園らしい公園となっている。
「あれ、誰もいないみたいだな。時間帯かね」
「子供たちにはさっきの小さな公園があるみたいだし、ちょっと中心部から離れてるし。いわゆる『穴場スポット』ってやつだったりして……」
そこまで言って、サツキは下を向いて少し目線をそらした。
「ま、まあ言うなればそうだよな……市庁の横が公園になったらしいから、みんなそっち行くさ」
「そうよね、普通の住宅地の中だものね、なかなか注目されないわよね、うん」
こちらも目線をそらしながら言うのに、サツキはおたおたと眼を泳がせる。
どうも最近のサツキは、とみにいろいろとおかしな言動が多いようだ。
年明け辺りから特にそうなのだが、恋愛をにおわせるような言動を多くするようになり、そのたびに恥ずかしそうに赤くなっては挙動不審になるのを繰り返すようになっている。
先にも述べた通り、サツキは異性に親切にするだけなら積極的だが、そこに恋愛を意識する要素が加わると途端に駄目になってしまうのだ。慣れないことをしては何度も自爆していると言っていい。
ここまで露骨となると、さすがに啓一もある一つの仮説を真とせざるを得なくなりつつあるが、
(……いや、それは絶対にないだろう。ご都合主義にもほどがあるってもんだ)
この考えが先に立って邪魔をしてしまっている状態だ。
そのことは、「恋仲」という誤解を否定する時のもの言いからも明らかである。
しかしやはり認めねばという気持ちもあり、ずっとどうしたものかと困惑していたのだ。
サツキもこの葛藤には多少なりとも気づいており、余りのこじらせぶりに、
(元の世界にいた頃、相当恋愛方面で劣等感植えつけられるような仕打ち受けてたのかしら……)
そう推測しているのだが、これが正鵠を射ている辺り我々の世界は実に闇が深い。
話を元に戻そう。
二人は、園内を連れ立ったままゆっくりと歩き出した。
沿道は桜並木となって満開になっているが、誰も花見に来ているような気配はない。
横の高台側から照る夕陽に伸びた影を連れながら、二人は時折他愛もない話をして進んだ。
夕暮れ時に公園や緑地を二人で歩くというのは、あれから半年の間に何度もあったことだし、今さら珍しく感じることでも何でもない。
だが、貸切状態というのはさすがに初めてだ。しばしば妙な気持ちにとらわれ、二人はそろってそのたびに桜の枝や根元に眼をそらして気分を落ち着ける始末である。
そんな時間がどれだけ続いたのか、二人は中心部を望む一番奥の広場までやって来た。
広場を囲む満開の桜を透かして、背後から照る夕陽が少しずつ落ちて来ているのが分かる。
「ここから下が見えるのね。場所がいいのかしら、大体主要な場所は見えてるわ」
「そういや『展望公園』って名前についてたもんな。最初からそのつもりなんだろう」
それにしても、植月地区ほどではないだろうがよく見える。
市庁を中心に東西南北へ広がり行く街並みは、時折官公庁や民間のビルに遮られつつも、夕陽と折りしもつき始めた街燈の白い明かりに照らされ、その姿を美しく見せていた。
「本来ならこの風景を見ながら、みんな日々穏やかな気持ちで生活する予定だったんだよな……。それが不逞の輩のためにはなからくじかれた挙句、四年もの間まるで奪われたままになってたなんてさ。ただ暮らすだけでも精神ごりごり削られて大変だったろうに」
「倉敷さんも言ってたものね、最大の損失は精神的なものだって。街自体や経済はこれからいくらでも立ち直らせられるから前を先を見るように出来るけど、人の心はね……」
実際、四年もの間反社会的勢力による極度の恐怖と圧力の中で暮らしていた市民の中には、心に深い傷を負って苦しんでいる者がかなりの数いる。
さらに、平和が訪れたことでかえって今までこらえて来たものが爆発してしまって発病した例も報告されており、これを深刻と見た厚生省が精神指定保険医の派遣を行っていた。
「死んだ家族にこの平和な光景を見せてやりたかった」
この哀切な叫びがたびたび聞かれるというだけで、その傷の深さが理解出来るだろう。
人は過去を忘れることは出来ぬ。過去を引きずるなと言うのは簡単だが、その過去に失ったものの数や大きさや質によっては、多かれ少なかれ一生つきまとって離れないのである。
「あの野郎が地獄送りになったからって、終わるもんじゃないんだよな……想像はついてたが、話を聞くと深刻すぎる。いくら市や国がフットワークよく動いても、恐らく何年もかかるだろうさ」
夕陽に沈む街の美しくもどこか憂愁に満ちた姿を眺めて、啓一は深くため息をついた。
「それと気の毒だと思ったのが、一新興国産業の元社員のことだ。反社と関わってた連中がどうなろうと知ったこっちゃないが、まるで関係のないかたぎの社員がなあ……」
一新興国産業の社員は、解散により清算に必要な要員以外全員解雇となっている。
だが多くの社員は、自分の会社がまさか長年闇社会とつるんでいた上に、あのような大それた計画を平気で企て実行するような存在だったなどとは、夢にだに思ってもいなかった。
このような社員にとって今回の事件は、無辜でありながら突如食い扶持を取り上げられた上、「市民の敵の会社にいた」として忌避され白眼視されるという理不尽をもたらすものとなったのである。
人々の冷たい視線と罪悪感に耐えかね、とても住んでいられないと引っ越した者や、人との交流を絶ち隠れるようにして暮らすようになった者も相当数いるとの話だ。
さらに職歴に大きな傷がついてしまったため、仕事の口が多いこの世界でも今のところ大半の企業が採用に難色を示し、転職も出来ない状態が続いている。
ついには、これらを苦にして自殺を図る者も現れた。殊に吉竹爆殺事件の際に何も知らず偽の「遺書」を届けた秘書課課長は、「犯罪の片棒を担いだ」と思いつめて昨年末に入水自殺し、世間に大きな衝撃を与えることになったのである。
国や各市も対策に乗り出しているものの限界があり、この先もかなり引きずることになるだろうと暗澹とした雰囲気が漂っているのが実情だ。
「あと、さらに深刻というか闇が深いのが……一新興国産業が受託生産したアンドロイドの問題ね。シェリルが『残務処理という名の取り締まり』って言ってたの」
「ああ、あれは話聞いてるだけで大変そうだな。違法アンドロイドや違法サイボーグの摘発ってもろに特殊捜査課の管轄だから、全部一気にのしかかって来ちまってるって」
この世界では既に述べた通り、法律でアンドロイドの製造や改造などに関して厳格な規定が設けられているとともに、種族転換禁止法により正当な理由なきサイボーグ化が禁じられている。
このため警察には、違法行為を行った製造者や製造受託者、注文者や共同生活者を摘発するという仕事が課せられているのだ。
実は一新興国産業も以前からずっと疑いを持たれていたのだが、裏にいる多数の反社会的勢力によってほぼ完全に隠蔽されており、摘発が出来ずに切歯扼腕するばかりだったという。
それが今回の事件によって会社や取り巻きの勢力が崩壊した結果、実態が全て明るみとなりようやく大規模な摘発が可能となったのだ。
だが判明した事件の数が確定しているものだけでも二十件近くあり、ぎりぎりの状態でさばくようなありさまになってしまっている。
この手の事件は少なくないし、数件を並行して捜査することもないではないが、さすがに数がここまで増えたことはなかった。いくら
「地道にやるしかないんだろうな。種族自体やその未来にも大きく関わることだろうし」
「そうね……それにこういう事件の被害者は一番アフター・ケアが大変なの。多くがその、余り外で言えない目的で造られたり改造されたりしてるから、社会復帰に大きな問題が……」
違法アンドロイドや違法サイボーグは、大抵が奴隷として製造や改造が行われた存在だ。
そのため最初から価値観や倫理観が崩壊を起こしていたり、サイボーグの場合自我や記憶や感情に異常を来たしていたり消去されていたり、最悪の場合は脳自体が物理的に改造されていたりと惨憺たる状態になっていることが多く、社会復帰にひどく苦労し断念する例も少なくない。
「今回の事件だって、先輩や葵ちゃんは逃げ出せたのとヤシロさんがうまくやってくれたのとで奇跡的に救われたようなものよ。ヒカリさんは肉体的限界から亡くなってしまったし、先輩より前の被害者二人は重い精神障害の状態で復帰は絶望的って……」
そこでサツキは身を震わせてぎりぎりと切歯すると、
「私、やっぱり松村を絶対に許せない。下衆な欲望のために人の人生を強制的に終わらせて、未来も将来も何もかも書き換えて奪い去って……。本当に六回死刑になればよかったんだわ。どうせ無間地獄で宇宙の寿命の何百万倍もの間責め苦に遭うんだから……!」
耳と尻尾を烈しく毛羽立たせ、拳を固めながら叫ぶように言った。
だが次の瞬間、ふらりとよろける。
「危ない!」
啓一が素早く飛び出してさっとその躰を受け止めた。
いきなり激昂したため、軽い貧血を起こしたらしい。さすがに恥ずかしがってなどおれぬ。
「……ご、ごめんなさい、大丈夫よ。改めて頭に来ちゃって……。身近にいる大事な人が、原因は違うとは言え理不尽に未来や将来を奪われて苦しんで来たのをよく知ってるから、つい」
「ああ、確かに俺がそうだからな……」
そう返して、サツキがさらりと妙な言い回しをしたのに気づく。
気が遠くなった直後に言ったこと、多少妙でもおかしくはないはずだ。
啓一は、半ば無理矢理自分にそう言い聞かせる。
「ともかくベンチに座ろう。話に夢中になりすぎて、立ちんぼだったのもよくなかった」
啓一は大急ぎでそばのベンチを勧めながら、ゆっくりと座った。
「……ごめんなさい、自分で変な話をして自分で昂奮しちゃった私がよくないの。というより、こんなきれいな夕暮れ時に、満開の桜の下であんな殺伐とした話をする人があるかしら」
自分でもあきれたと言わんばかりに、サツキは眼を伏せる。
「いや、構わないさ。祝賀ムードの立食会じゃ話せないことだったし、さっきの晩飯の時だって久々にそろったメンバーで楽しくやってたんだから、到底がっつりは話せないよ」
「確かにそれはそうなんだけど」
「事件の内容が内容だから、どのみちしないじゃ済まない。それがたまたま今だっただけの話さ」
啓一の言葉に、サツキはようやく顔を上げた。
ふと揺れた薄茶色の髪と耳から、シャンプーか何かの香りが漂う。
いくら美しい女性とはいっても、実際にはきちんと人としてのにおいもするものだ。
頭ではそう分かっているのだが、鼻腔に真っ先に入った甘美な香にその常識が一瞬消える。
(いかんいかん、ふけっちゃ失礼ってもんだ)
思わず、啓一はごまかすように人中をぽりぽりとかいた。
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