二十八 街の灯り(五)

「そうね……とりあえず、話を変えましょ。あの……いろいろあったけど、啓一さんって普通にこっちになじんじゃったわよね」

「そうだなあ。最初の頃恐怖の余りに震えてたのが嘘みたいだ」

「しかもただなじんだだけじゃなくて、未来や将来もそれなりにつかんじゃったっていう……」

「それが一番の驚きだよ。所内報の連載小説、半年やったら何か知らないがうけまくってるし。試しに文芸誌に一本書いて送ってみたら、佳作寸前まで行ったし。元の世界にいた頃より、夢に近くなって来てるってどういうことだ?出来すぎてて逆に気持ち悪くなったぞ、おとぎ話みたいで」

「結果的にうまく行ってるのを、そんな悪い方に考えなくても……」

 自分の成功に否定的な態度を取る啓一に、サツキは盆の窪に手をやって困ったような顔になる。

 異世界に来た途端にうまく行くというのが、ご都合主義で余り好きではないということのようだ。

「まあ……あんまそう言うのもばちが当たると思わんでもないが。だけどな、さすがにああいう役の立ち方はぶっ飛びすぎだろう。半年経った今でも夢でも見てたんじゃないかと」

「内乱潰して、街一つ救う手伝いしちゃったんだものね」

「あれは予想出来なかった、予想出来なかったぞ……」

 啓一にとって最後の最後まで残った「この世界で役に立てるか否か」という懸念は、今回の事件、なかんずく大門周防通騒乱以降のがむしゃらな活躍によって吹き飛ばされてしまった感がある。

 大門周防通騒乱の大門町側で逆落としを考案して一番槍を取ったのに始まり、内乱では何度も戦闘に参加し、挙句にサツキを助けるとともに松村の精神をぽっきり折ったのだ。

 これが大奮闘であり大きな貢献であることは、さすがに彼でも否定は出来ぬ。

「多分転移者の人で、来るなりあんなことした人いないんじゃない?まじめに表彰ものよ、あれは」

「いやまあ、そりゃそうかも知らんが……そんなことされようもんなら、余りの持ち上げられぶりにたまらずぶっ倒れちまうよ。実際にはそんなことあるわけないから助かったが」

 あの一件の解決により、一同の中で表彰を受けたのはシェリルだけであった。さすがに何の権限もない民間人が取り締まりに活躍した事実を、明かすわけに行かなかったためである。

 もっとも別に名誉がほしくてやったことではないため、みな何とも思っていないのだが……。

「もちろん有り得ないのは分かってるけど……あなたはそれくらいのことしてたわよ」

「そうは言うがね、あれはみんながいなかったら出来なかったからな?シェリルはじめとして周りがすごすぎる。あと重力学な、あれがなかったらあんな敵倒して回るような真似出来なかったよ。敵がまるで対応してなかったのも運がよかったわけだし……」

 この認識だけは、いまだに啓一もまぎれもない事実として譲っていない。

 特に重力学の存在は、訓練も何も受けていない彼が前線で真っ当に敵と戦えた一番の要因であるのは言うを待たないことだ。

「でも、最後のあれはあなたの力じゃないの。あれ、あなたが言ったから説得力あったのよ」

「後生だからよしてくれよ。ええかっこしいだし、いいとこだけ持ってった典型みたいで恥ずかしい、っていつも言ってるじゃないか……」

「いいえ、断乎としてよさないわ。苦悩の中世界の尊厳を守り自分の未来と将来を切り拓いて生きている人が、愉悦のままに世界の尊厳を破壊し他人の未来と将来を蹂躙した輩ののど元に、思い切り剣を突きつけて『負け』を宣告した。あの事件にふさわしい終わり方だったわ」

 こちらをのぞき込むように顔を向けて、あくまでまじめな声で語るサツキに、啓一は恥ずかしさが頂点に達してしまっている。

「しかも、私のこと『虞美人』って言うんだもの……」

 その瞬間、これまでないほどにサツキが顔を赤くした。

「だ、だ、だから説明したじゃないか。『四面楚歌』からの連想が走った結果だって」

「でも本人まぎれもない美女だったらしいし、項羽の妃みたいなものだし」

「いや、それは偶然のことだって……」

「それにその、『美人』ってのも後宮での位の名前じゃないかなんて言われてるし。そうなるとなおさら妃になっちゃうというか……」

 これに啓一は、驚いて思わずおたついてしまう。

 どこで調べたのか、そちらの「美人」の意味まで知っていたとは思わなかった。

 さすがにこれは、サツキに限らず女性としては思い切った発言であろう。

(……い、いつもより積極的じゃないか?気のせいか?)

 そんな予感が頭をよぎったが、すぐに振り払った。

 そもそも自分を例えるのに美女とうたわれる名将の妃を出されて、うれしいやら恥ずかしいやらにならない女性はいないはずである。

 「美人」の知識とてあくまで知的好奇心から調べたことで、思いがけない内容に感銘を受けてしまったという程度のことだろうと思えば不思議はないはずだ。

 啓一はそんなことを考えてしばらく黙り込んでいたが、大きく首を振って強制的に話を戻す。

「いやまあ、とにかくだ。何であれ、当初の不安が全部杞憂になるなり解決するなりして、しっかりこの世界に居場所があると分かったのはありがたい話だよ。しかもおまけまでついて来てさ」

「おまけ?」

「俺たちの時代やそれより前の二十世紀ねたが通じたり、古典文学や古典芸能の話がそれなりに通じちゃうってやつさ。二十三世紀だっての忘れることあるぞ」

「ああ、そういうことね」

 納得したようにサツキはうなずいた。

「特にシェリル、あいつはどうなってんだ。明治大正生まれかと本気で思うようだぞ。それに歌舞伎にやたら詳しいのもさ……『忠臣蔵』ねたなんかこれまで何度聞いたか分からん」

「あの子は極端だけど、こういうのに興味を持ってる人がわりかしいるのは事実ね」

 もう既に何度も出ているが、この世界では意外にも二百数十年以上前であるはずの二十一世紀はおろか、一つ前の二十世紀の社会文化風俗の話が通じる。

 さらに我々の世界では既に学問対象となった古典文学や趣味人のものとなった古典芸能の話も、作品の偏りはあるがある程度まで出来てしまうのだ。

 サツキによると二十一世紀以前の話が通じるのは、我々の世界でいう「昭和レトロ」ブームに似た現象が定期的に起きているうちに、だんだんと深化し定着してしまったのが原因という。

 古典文学や古典芸能の知識を持つ人が多いのは、歌舞伎や落語などが大衆娯楽として見直されたのを発端に、元になったり引用されたりしている古典文学作品にも興味が向いたためとのことだ。

 啓一にしてみれば驚くような話だったが、歴史的に見れば過去の文化風俗などを見直し再評価することなぞ古来ままあることなので、これもその一つと解釈すればいいのだろうか。

「何せ地球から引き離され時代も二百年以上未来に行っちまった上、失礼ながら漫画かアニメかって環境に放り出されたからなあ。今だから言えるが、まぎれもない現実の世界なのに実感が湧かないで困ってたから……こういうのに随分助けられた感じはあるな」

 先にも述べたが、今置かれた環境に対して実感の湧かない状態が続くと、人はどうしてもストレスを感じて発散出来ないまま蓄積させてしまうものだ。一時期の啓一も実際にそうなってしまい、密かに苦しんでいたのである。

 そういう意味ではこのように我々の抱く未来社会のイメージからすると一見奇妙な世相は、啓一にとって運よく救いとなったわけだ。

「よく考えりゃ、二十三世紀の宇宙コロニーでパンタロンで下駄鳴らしても別に問題ないわな。この歳で青春ってわけにゃいかないが……」

「いいんじゃないの、たとえ時代遅れでも。変な色眼鏡で見て合わせようと疲れてることもないわ」

 思わず姿を想像したか、サツキが苦笑しながらそう言う。

「私もモガ(モダン・ガール)としゃれこんでみようかしら。売ってるし作れるし」

 昭和モダンという発想に驚きつつも、まんざら似合わぬこともなかろうという気もして来た。

 あの桜通や新星の街並みを、アッパッパに釣鐘帽クロッシェなぞかぶって楽しげに歩くサツキの姿を想像すると、何とも新鮮なものがある。

 遠くで真っ赤に照らされている街燈や店の光を眺めつつ、そんな想像にふけっていた時だ。

「ああ、そうだった。居場所で思い出したから、ここでもう話しちゃおうかしら」

 突然話を振られてきょとんとする啓一に、サツキは思い切ったように話し出す。

「まだ公式発表してない話なんだけど、うちの研究所、今年度から時空転移の研究をすることになったのよ。正確には大昔やってたのの再開だけど」

 そしてそこで一つ息を深く吸うと、

「最終的な目標は……人工での時空転移の実現、異世界への転移よ」

 そう真剣な表情で言ったものだ。

「……ええッ!?」

 これまで得た知識からすれば、余りにも意外すぎる話に啓一は眼をむく。

「待ってくれ、実質出来ないはずじゃないのか!?時空の裂け目を作ることは出来るが、被験者がどこ行くか分からないから実験以前に無駄なかばねを重ねるだけ、こっち来た時にそう説明されたぞ!?」

「その通り、それが常識よ。……今まではね」

 時空の裂け目というものは、時空の壁なりすき間なりを形成する素粒子が一時的に大きく動いて出来た穴と解釈することも可能だ。

 その理屈にのっとると、素粒子物理学や重力学などを駆使して素粒子を動かすことで裂け目を作り出すことが出来るということになる。

「理論上物理的衝撃なんかより直接的で確実だし、何よりうまくやれば被験者を行方不明にさせず引き戻せることも分かってたから、こっちの方が実験可能と考えられるだけ絶対に有利だったのよ」

 だが無情なことに、一つとして実験にすら至ったものはなかった。

 しょせん机上の空論であったかとみな手を引いた結果、今では過去の研究になってしまっている。

 ところがそれが、ハルカと話していた時に出たジェイの言葉で一気に逆転した。

「それ、私のいた世界では大学で研究が行われていました。こちらの言い方だと『窓映り現象』でしたか、そちらからの切り口で」

 あっさりと言っているが、これを聞いたハルカはしばらく言葉が出なくなるほど驚いたという。

 「窓映り現象」とは明らかにその場にはないものや風景が、窓や扉の硝子、鏡などに突如としてくっきりと映り込むという現象だ。

 かつてはオカルトとして笑殺されていたが、重力学で重力と光線の関係の研究が進んだ結果、重力の局所的な異常により光線の大きな歪曲が起こったことによる現象だと結論づけられている。

 しかしこの現象では明らかにこの世界ではない風景の映り込みも目撃されているため、その説明が出来ていないと批判されたのだが、学者たちには眉唾扱いされるだけで放置されていたのだ。

 それがいきなり長年の課題を解く鍵として提示されたのだから、驚かぬわけもない。

「ヤシロさんによると、最初から『時空を突き抜けて異世界の風景がこちらに映っている』という仮説を立てた上で研究が進んでいたらしくて……。しかも突飛な内容じゃなくて、その発想はなかったというところを突かれたから、もう何も言えないありさま」

「じゃあそれを利用しながらもう一回研究し直せば、人工転移の実現の可能性が……?」

「そういうことね。……オカルトでうさんくさいからほっとけなんて、とんでもない話だったのよ」

 今回のことに関して、ハルカはじめ学者たちはみな大いに恥じ入っていた。

 オカルトと小馬鹿にする気持ちをどこかで持ち続け無視していたことで、社会を変える重大な発見への道が閉ざされるところだったのだから、慢心として大いに反省すべきであると考えたのである。

「そういう反省とせっかくもたらされた研究成果に報いるという観点から、今度は一大プロジェクトとしてやってみようって話になったのよ。ただ最初の方はヤシロさん頼みになる上、昔の研究の掘り返しと検討もしないといけないから、実現までは長く時間がかかりそうなんだけども……」

「発想をいきなり転換したんだから、そうもなるわな」

「でも正直これってかなり重要なことだから、早く実験だけでも出来るならそっちの方向に持って行きたいのよ。転移者引きつけやすい世界としては」

 シェリルも言っていたが、どういうわけかこの世界、しかもこの天ノ川連邦という国は転移者を引きつけやすいという妙な特徴があった。

 それはまだ奇妙で済むのだが、引きつけやすいということはそれだけ理不尽に自分の世界から引き離され、この世界で一生を暮らすことを強いられる者が多いということになるのを忘れてはならぬ。

「あちらの世界が嫌だったり割り切れたりする人以外、『帰りたい』って望む人の方がほとんどなのよ。好きでここに来たわけじゃないんだから、希望通りにさせるのが本来の姿ってもんでしょうに。それが駄目っていうんじゃ、互いにとって利するところないわ」

 無理だから仕方がないのだとどれだけ言いわけしようとも、事象自体は同意なき強制移住なのだから、こんな理不尽な話はないはずだ。無理が生じて当然というものである。

 転移者の方は適応を強いられた結果、あらゆる面で四苦八苦し続けなければならぬ。その負担が精神に響いた結果、心を病んでトラブルや事件を起こし、自ら破滅の道をたどる者も少なくない。

 社会の方は制度を充分に整備して、どんな人物が来ても手厚い保護と補助が出来るようにしておかねばならぬ。その負担は決して軽くはないため、今はよくともいつ疲弊として現れるか知れない。

「これだけ互いに負担がかかるのに、転移者の常識や価値観がかけ離れすぎていて適応が不可能に近いくらい困難となったらかなりの負担増よ。さらにこっちからすると反社会的な人物だった日には、負担以前にこの社会にとって脅威になりかねないわ」

 奇跡的にも今までそこまで危険性のある人物は来ていないとのことだが、異世界は無限にあるのだから可能性はいくらでもあるはずだ。想像するだにぞっとしない話である。

「結局、全ての問題の根源は『やって来たら何があっても帰れない』ってことにあるんだから、その元を断ってしまえば全部解決する。絶対に成功させるべき、とても大切なプロジェクトなのよ。何年かかるか分からないけど、絶対にやってみせるわ」

 そう言って、サツキは真剣な眼差しで街の方を見た。

 いろいろと話をしているうちに、どんどん陽は落ち薄暗くなって来る。

 ふとついた街燈が、荘厳な光を放ち凛然たる彼女の姿を照らし出した。

 その横顔にまぶしいものを感じ、啓一が眼をそらした時である。

「ねえ……もし、もしの話だけどね。このプロジェクトがすぐにでも実現して元の世界に帰れるようになったら、あなたはどうするつもり?」

「え……?」

 突然問われて振り向いた先にあったのは、先ほどとまるで変わって穏やかな眼つきででこちらを見つめるサツキの顔だった。

 あえて言うなら、石灰燈ライム・ライトに照らされた女優とでもいうべきか。

 啓一は、思わず心をざわめかせた。サツキの姿に少々どきりとしたのもあるが、どう答えたものか迷ってしまったからだ。

「……正直、来たばっかりの頃なら『帰る』一択だったろうな。というよりだ、俺じゃなくても大抵の人はそう希望するって言ってただろ、さっき」

「それもそうよね」

 互いに苦笑し合った後、啓一はふっと困ったような顔に戻る。

「だが、今は一択に出来ないんだよな……。いや、そりゃ帰りたいは帰りたいぞ?親や知人いるし、自分の持ち物や原稿山ほどあるし。どれも悲しませたり心配させたり放置したりは出来ないからな」

 これはもう、最初から散々言っていることだ。

 今では余り言わなくなっているだけで、厳然たる事実である以上気にせざるを得ない。

「だが、こっちで濃厚な人間関係出来ちまったからなあ。これを切り捨てて、はい帰ります、いなくなりますはさすがにもう出来ないよ。というよりだ、去る者日々にうとしになりつつあるあっちの世界と比べると、満足度が違いすぎて」

 こちらの世界での啓一の人間関係は、自分でも信じられないほど濃厚なものだ。

 女性の家に居候の時点で既にそう運命づけられたようなものなのに、つき合いの出来る人物のほとんどが多かれ少なかれ性格や人物像に癖のある者ばかりとなってはそうもなろう。

 ここまでになると、はいさようならと捨て去るには余りに惜しいものがあった。

「それに、こっちって政治や社会制度がしっかりしてるんだよ。多分こっちの世界の人がうちの世界の日本来たら、やることなすことことごとく失政だらけの政治とぼろぼろに疲弊しきった社会制度に開いた口がふさがらないと思うぞ。あと首相から庶民までろくでもないのが増えちまって、もうやさぐれてることやさぐれてること……」

 これについては、あえて何も語るまい。

 むろんこちらの世界も到底完璧からはほど遠く、問題が山積みだ。

 しかし国民生活の基礎がしっかりしているのには、太鼓判を押してよかろう。

 何せ労働一つとっても三十二歳で中途採用された平の助手の啓一の手取りが、我々の世界に換算すると月三十五万円近くで賞与ありなのだ。しかも公務員だから高いのではなく、普通の企業と同じかむしろ少々安めなくらいである。

 求人も各業種にいくらでもあるので、失業率はかなり低いのが実情だ。我々の世界の日本の失業率が三パーセントと聞いたハルカがいくら本当と言っても全く真に受けず、しまいにはもしや〇・三パーセントの間違いではないのかと言い始めたほどである。

 別にこの世界が特別なことをしているわけではなく、そもそも必要最低限の部分からしてがたがたという我々の世界の日本がまるでお話にならないだけだ。

「かといって、うちの世界の日本がまるで嫌ってわけじゃないんだよな。山紫水明の国なのは変わらないし、好きな場所も街も山ほどある。こっちにも日本あるじゃないかといえばそうだが、元からして何かしら違うだろうしなあ。第一二十三世紀と二十一世紀って時点で、違わないとおかしいだろ。悪いがあくまで二十一世紀の人間なんだから、まず選ぶのはそっちになるさ」

 ここまで言って、啓一は軽く舌打ちをする。

「うーん、優柔不断すぎるだろ、俺。いいとこ取り出来ればこんな悩まないでも済むんだろうが、さすがに虫がよすぎるってもんだしなあ」

「優柔不断じゃないし虫がよすぎもしないわよ。多分こっちに来てある程度経ってる人の中には、自分のいた世界と比べて相当迷ったり、どっちもあればって思う人もいたりすると思うわ」

 サツキはそこでうんと伸びをすると、再び啓一に向き直った。

「行き来が出来るようになれば、いいとこ取りも出来るんだけど。ちょっと昔の研究を見ただけでも全く不可能ってことはないみたいだから、いつかは出来るかもね」

「そうなってくれるとありがたいがね」

「もしそうなったら、啓一さんの世界行ってみたいわ」

「ちょっと待った、そりゃまずい、いかにもまずい。うちの世界には本物の狐娘はいないんだぞ。妙な研究所や機関にとっ捕まるっての」

 我々の世界の現代を舞台にした創作の場合、宇宙人など人間以外の知的生命体が出現すると、密かに怪しげな研究所や情報機関がこぞって拉致しようと追い駆け回すのが定番である。

 実際にどうなるかは例がないので分からないが、少なくとも世間を揺るがす大騒動になった上、害をなさないか常に警戒されることになるのはまず避けられないはずだ。

「まあ、コスプレと思ってもらえればぎりぎり大丈夫だろうけど、それはそれで目立つからな。それにフォーマルな場に行けないし、おたくの世界でも場所によっちゃ注意されるし……」

 まじめに考え出してしまった啓一に、サツキはさらに追い打ちをかけて来る。

「そんな……啓一さんのご両親に三つ指ついてごあいさつしたいのに」

「お、おいおい、それこそ待ってくれ。うちの両親は普通の夫婦だし会ってもしょうがないぞ。しかも三つ指って……友達の親にやりすぎじゃないか」

「だって、一緒に暮らしてるんだからそれくらいしないと」

 サツキはおたつく啓一にくすくす笑っていたが、

「妙な勘違いされるからやめなさい。やめてください、お願いだから」

 こう言われた途端、あきれたような顔になった。

「……そこまで必死に止めなくてもよくない?」

「いや、君が迷惑すると思ってさ」

「迷惑って……」

「い、いやその、普通なら絶対恋愛関係だと思われるだろう?」

「え、あ、それはそうなるかも」

「だろ?しかもこんな年上も年上、下手すりゃおじさんと言われても文句言えないような男が相手だなんて思われたら、君の方が恥ずかしいんじゃないのか?」

 顔が赤くなろうとするのを払拭するかのように、啓一が手を振りながら言う。

 サツキは困惑の表情になりかけたが、それを押さえつつ軽く息を吸った。

 いつもなら赤面とともに撃沈してしまうところだが、余りそういう不毛なことを続けているとここに誘った意味がなくなってしまう。

 行きにエールを送ってくれたシェリルと清香のためにも、そろそろぴしりと決めなければ。

「上等じゃない。むしろ思われて結構、恥ずかしくなんてないわ」

 思い切って強気に出ながら一気にそう答えると、啓一が瞠目したまま固まった。

 そして、そのまま油の切れたブリキ人形のようにぎりぎりと首を前に向け停止したのである。

(え、ええ!?そんなに衝撃受けるの!?)

 今度はサツキの方が固まる番であった。

 確かにあんな開き直りのような言い方では刺戟も強かろうが、ここまでになるとは誰が思おうか。

 いきなりすぎたと後悔して頭を抱えつつも、この話題は続けられぬとサツキは自分も前を向いた。

 既に陽は落ちきって、街には夜のとばりが下りている。

 その中で先ほどよりもいっそう本通や桜通の明かりが明るく浮かび、遠くにはいつ点灯したのかライト・アップされた市庁や大門橋の柔らかい光も見えた。

 そしてその中で満開になった桜並木がほのかに照らされ、薄桃色とも白ともつかぬ輝きを見せている。夜桜というのは、なぜかくも他に変えられぬ美しさを持つのかと改めて思わされた。

「……きれいなものね。夜景なんて見飽きたはずなのに、この街ではこれさえ半年前まで見られなかったと思うと、値千金に思えるわ」

「ああ……強盗に奪われてたのを、取り返したようなもんだ」

 話が変わって落ち着いたか、啓一が静かに答える。

「こういう時は、俺たちの知ってる人らもどたばたしてるまいよ。倉敷さんは酔い覚ましに拝殿にぼんやり座ってそうだし、エリナさんたちは飯食ってさて配信か仕事かって感じで一休みだろうし、勝山さんは画面見るの疲れて伸びでもしてそうだ」

 それぞれの姿を想像して、サツキは思わず小さく笑った。

 ここよりも高い植月町の高台なら、多分この夜景も見ようと思わずとも眼に入ろう。

 そんな時ふと幸せを感じるような、そんな暮らしが一番なのだ。

 思わずほろりと来そうになって、啓一は左肩に軽く重みを感じる。

 いつの間にやら、すっとサツキが身を寄せていた。

 過度にしなだれかかるでもなく手をやるでもなく、ましてや媚びた視線を向けるでもなく、ただただそっと近づいた、そのようなところである。

 いつもなら大騒ぎになってしまうところだが、

(……まあ、こんな時くらいは)

 雰囲気を壊すまいと何も言わぬ。

 つい先ほどは爆弾じみた発言に驚きが頂点に達して脳が止まったが、なぜか今はあっさりと受け容れられる気がする。

 さあっ、と珍しく風が吹いて花びらが舞った。

 高い枝に連なり重なるようにして、美しく光り揺れている桜の花を吸い込まれそうな気持ちで眺めていると、サツキがぽつりと口を開く。

「……この夜景みたいにそばにいるだけで、いてくれるだけでもう充分価値があるのよね」

 啓一はヒカリが遺した言葉、そしてあの時サツキが言った言葉を思い返し、少しだけうつむいた。

「顔だ身長だ稼ぎだ仕事だとみんなやいのやいの言うのかも知れないけど、究極的にはしょせん附帯物よ、そんなもの。少なくとも私にとってはね。ああ、でも知り合いもそうかしらね……」

 これに、啓一はひょいとサツキの顔を怪訝そうに見る。

「……そりゃさすがに、ちとばかし都合がよすぎやしないかい?」

「いや、本当のことだもの」

「しかしだな、知り合いがほとんど女性って時点でかなりの出来すぎなのに、そこまでになったらさすがにそう言わざるを得んだろ?その手のゲームじゃないんだからさ」

 啓一が苦笑するのに、サツキは思わず手で半面を覆ってしまった。

 単なる偶然だというのにひねくれすぎで、このままではこれ以上の進展は見込めそうにない。

 だがこちらもほぞを固めている身、何としてもそちらに進ませるわけには行かぬ。

 うまく行くのがゲームのようで嫌というなら、いっそそれを逆手に取って揺さぶってしまおうか。

「なら、思い切って攻略しちゃったら?少なくともグッド・エンドはきちんと見えてるのに、行かなかったら損でしょ」

 啓一は一瞬絶句した後、おたおたと視線をあちこちにやり、

「な、何を言うんだ、空想と現実の区別くらいつけたまえよ」

 動揺の余りか妙な口調で返して来た。

「いやあね、ついてるわよ」

「あー……」

 即座に返って来た言葉に、追いつめられたかのように声を上げて悩み出す。

 先ほどまで雅に聞こえていた桜の花の音も、こうなるとさあ今こそ応えてやれ思い切って応えてやれと急かしているように聞こえて来た。

 啓一は困ったような顔をして桜の花と夜景を意味もなく見比べ、しばらく悩んでいたが、

(……こりゃ、覚悟決めた方がいいか)

 負けたと言わんばかりに小さくはは、と笑う。

 そして改めて表情を整えてサツキの方を向き、口を開いた。

「サツキさん、俺は……」

 だが、その声はいきなり後ろから電燈の明かりに遮られる。

「お二人ともこんばんは……あれ?大庭警視のご友人でしたか」

 驚いて振り返ると、何とそこには警察官が、懐中電燈を持って立っていた。

「え、お巡りさん!?……どうして俺たちのことを?」

「本官は、昨年お二人を桜通でお助けした者です。異動となりまして」

「ああ、あの時の……」

 懐かしそうに答える警察官に、啓一は呆然としてそれだけ言う。

 まさかかつて窮地を救ってもらった人物に、今度は邪魔をされるとは思わなかった。

「ここは二十一時までには閉めるので、見回っていたんですよ」

 視線を落として時計に目をやると、いつの間にか二十時半を過ぎている。

「そんなに長いこと話してたのか……」

「お話のお邪魔をしてしまいましたか。ですがここは、旅行者の方が遅くまでいる場所ではありませんよ。閉まる前に出てください」

 さすがに警察官でなくてもこう言われては、嫌でも出るしかなかった。

「分かりました。……サツキさん、帰ろうか」

 啓一はサツキからすっと離れると立ち上がり、荷物をまとめ始める。

「あッ……」

 サツキはいきなり寄せかけていた躰が消えたことでよろけかけたが、すっと啓一が手をやる。

 せっかくの場を壊されたことに少々面白くないものを感じていただけに、そのさりげない優しさをサツキはうれしく思った。

 警察官の先導を受けながら足を踏み出す啓一の後ろ姿を見ながら、

(結局一度じゃ恋は芽生えませんでした、とね……)

 サツキは、どことなくがっかりしたような気分で自分も立つ。

 だがふい、と振り返りながら、

(でもまだ時間は充分あるんだし、いいか)

 そう思い直してほほえむと、啓一について歩き始めた。

 満開の桜が悠然と花を咲かせる中、二人の肩越しに静かな街の灯りがまたたき続けている。


 <了>

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