六 狂乱の街(一)
「どうだった、反応?」
連休明け、総務部へさっそく試しに書いた原稿を出しに行った啓一は、戻って来るなりサツキにそう訊ねられた。
「いや、何というか……えらく喜ばれたんだが。これはよさそうだって」
「やっぱり。そうなると思ったのよ」
啓一の言葉を聞いて、サツキは尻尾を振りながらにこにこと笑う。
「しかしだ、あそこまでほめられるとはな。こちとら三文文士以下なんだけど」
「ええ……?そういうこと言わないの、実際に面白そうなんだから」
あの日
この際に助けとなったのが、元の世界との共通点が思った以上にあるのが分かったことだった。
一ヶ月近くも暮らしているので、さすがに日常生活の範疇では共通するものが多いということは分かって来てはいる。だがそれ以外のことに関しては、暮らしや仕事に慣れるのに一生懸命で腰を据えて調べる暇が持てず、きちんと把握出来ていなかった。
殊に今回の小説では、展開上刑法や刑事訴訟法など刑事法の知識が簡単ではあるが必要になるため、ここでけつまずくと終わりになってしまう。
そこでいい機会だからとざっと調べた結果、元の世界の二十一世紀の日本のそれと多くの部分が一緒らしいことが分かった。ちょっとかじった程度の素人なので全部が全部一致しているかは分からないが、少なくとも刑や罪の規定、逮捕から公判までの流れといった部分は同じである。
驚いて調べると、この国の憲法や法律は建国時に日本のそれを元にして作られたとのことだった。しかも自分のいたのと同時期の条文を掘り起こして調べてもほぼ一致している上、その後もがらりと変わってしまうほどの改正はしていないとのことなので、ある意味で通じて当然かも知れぬ。
もっとも、大きな違いとして懲役刑と禁錮刑があるということがあった。元の世界の日本では両者を合わせて「拘禁刑」とするという話が進んでいたのだが、こちらでは
この他にも思わぬ共通点がいくつか見つかったこともあり、何とか無事に構想を立てて書き出すところまで持って行けたのだ。
それでも啓一は、いつ自分の持つ知識が通じなくなってしまうか知れたものではないと警戒を解いていない。今回のこともしょせん一部分の話、たまたま運がよかっただけという見方をしていた。
話を元に戻そう。
啓一が原稿を封筒に入れ、かばんにしまった時である。
にわかに扉がノックされ、
「真島さん、今よろしいですか。秘書課の
いかにもまじめそうな女性の声が聞こえて来た。
「あ、あれ?所長の秘書さん?……はい、ちょっと待ってください」
急いでサツキが扉を開くと、そこにはスーツ姿の女性が立っている。
「真島さん、所長がお呼びです」
「分かりました。じゃあ啓一さん、私ちょっと……」
「いえ、
「えッ」
佐良山女史の言葉に、思わずサツキは啓一の方を見る。
啓一は啓一で、いきなりトップからお呼びがかかったことに眼を点にしていた。
「それでは、啓一さん」
「ああ」
戸惑いながら、とりあえずサツキとともに佐良山の後について廊下を歩き出す。
「……佐良山さん、わざわざ来たということは何か重要な要件ですか?」
「そうです。とにかくお二人とじっくり話したいとのことでして」
エレベーターに乗り、最上階に着くとすぐに所長室だ。ぺいぺいの助手である啓一にとっては、実に二週間ぶりとなる場所である。
「失礼いたします。真島さんと禾津さんをお連れしました」
「どうぞ」
扉の向こうからは、思ったよりも緊張感に満ちた声がした。
前会った時には気さくで明るい女性という感じだっただけに、いよいよただならぬものを感じる。
(何かやらかしたか、俺?)
そんなことを考えているのをよそに扉が開かれ、ハルカとの対面となった。
(う……)
そこにあったのは、顔の前、それも口許で手を組んでひじをついているハルカの姿である。
せっかくの美貌が、逆に恐怖の種になるほどの威圧感があった。
「すみません、佐良山さん。外してもらえるかしら」
そこへ来てこれである。一体どれだけ重大な話があるというのだ。
佐良山が席を外すのを見届けると、ハルカは、
「……さて、来てもらったのは他でもありません」
重々しく言い出す。
「は、はい」
啓一がその声にごくりとのどを鳴らした時である。
「出張、二人で行って来てください」
この雰囲気で言うとは思えない言葉が飛び出した。
二人が眼を点にしているのに気づいたのか、ハルカは、
「いや、だから二人で出張に……」
明らかにあせったような声でもう一度言う。
「……あの、所長。出張命令は分かりましたが、何かよほど大変なことがあるんですか?失礼ながら、どう見ても雰囲気が普通じゃありませんよ」
これはサツキであった。どうやら彼女もさぞかし重大な話をされるのだろうと踏んでいたらしく、困惑しきっているようである。
そこでハルカはようやく腕を元に戻して顔を上げた。
「実はそうなのよ。ほんといろいろと困った話で、朝からずっとどう切り出したものか悩んでたの。変な雰囲気にするつもりはなかったんだけど、勘違いさせちゃったみたいでごめんなさいね」
どうやらあの格好は、ひどく悩んでいたがゆえのものだったらしい。口許が全く見えないのでさっぱり分からなかった。
「そんな大変な仕事を?」
「いえ、仕事自体は時間はかかるけどそう大変じゃないの。まずはうちが図面を提供した反重力プールの修理の立ち会い。あとは『ディケ』の実機を持ち込んで、市・警察本部・消防本部相手にプレゼンテーションをしてもらう……こんなものかしら。期間は一ヶ月くらいで」
「確かに大変な仕事じゃないですね。……でも、私でいいんですか?技術のことですし、第一研究部所属だと向かない気がします。第三研究部や第四研究部の人の方がふさわしいのでは」
仕事内容を聞いたサツキが、戸惑ったように言う。
重力学研究所には第一から第四まで四つの研究部が存在するが、第一・第二が理論担当、第三・第四が技術担当となっているため、今回のような仕事は完全にサツキの管轄外なのだ。
「そうよねえ、訊かれると思ったわ……。正直なことを言うと、何もなければあなた以外の人に頼むところだったのよ」
「何かよほどのことがあるんですか?」
サツキがいぶかしげな顔をするのに、ハルカは頭を抱える。
「……よほどというか何というか。これ、あちらからのご指名なの。『ぜひともあの有名な真島サツキさんに来てもらいたい』って強く頼まれて」
「ええ……そういう理由でですか」
身勝手な先方の要求に、サツキがあきれたような声を上げた。またしても知名度がたたってしまったと言わんばかりである。
やっぱり言われたというような顔をするハルカに、
「所長、ぶしつけながらこれは問題があるのではないでしょうか?相手が真島さんのことをきちんと分かった上で来てほしいと言っているのか、はなはだ疑問です。不安しかないのですが……」
啓一は思わず突っ込むように訊いた。
そもそもこちらの事情を無視して勝手な希望を押しつけて来るような相手に、ここまで唯々諾々と従う義理がどこにあるのだろうか。
「それに別の面でも不安があります。私は新人の上に『助手』といっても名前だけ、ろくに知識もない事務手伝いみたいなものです。かえって現場を混乱させることにならないでしょうか?」
さらに、このことも引っかかった。
立ち会いというのならしかるべき知識がいるはずだろうに、全く素人同然の自分が行くのは迷惑極まりないのではないか……。
だがこれに、ハルカは少し視線をそらして暗い顔となると、
「実は、そういうのって考慮出来ないのよ……。自治体や公的機関からの派遣要望はよほどの理由がなければ基本的に断れないし、相手の希望に出来る限り沿わなければならないって規定になってて。助手のことも、こういう時は派遣される研究員付きの人を必ず一人以上つけなければならないって規定があるの。病気やけがで臥せってるとか、抜けられないような大仕事に駆り出されてるとかって事情でもない限り、一緒に行ってもらわないと駄目なのよ」
頭を抱えるようにして言った。
こういうことも仕事とはいえ、依頼側の望みばかりが優先されて研究所側の都合がほぼ斟酌されないとは、さすがに無茶な規定だと言わざるを得ない。
話を聞く限りハルカはその規定と現実に板ばさみとなってよくよく困り果てた挙句に、派遣の決断を下すに至ったようだ。
それを思うと、これ以上いろいろと言うのも気の毒というのが二人の正直な気持ちである。
「分かりました。そういう特殊な事情があるので直にお話を、というわけだったんですか」
だが、サツキの言葉にハルカは静かに首を振った。
「それもあるといえばあるけど、行き先がね。むしろこっちよ、問題は」
「それは、どういう……?」
その問いに、一瞬ハルカは黙った後、
「……
思い切ったように答える。
「え、あ、あそこですか!?」
「そう、あそこなのよ……悪名高い」
ハルカが片眼を覆ってひじをつき、サツキが肩を落とした。
「あの……?」
「ああ、禾津さんには分からないわよね。四年前に出来たうちの国で一番新しいコロニーなんだけど……いろいろ問題があるのよ。そこで座って話しましょうか」
そうしてソファーに座り語るところによると……。
緑ヶ丘コロニーこと緑ヶ丘市は、治安がひどく悪いことで国内でも有名なところなのだという。
その中でも特にひどいのが、「
「どうやら破落戸の巣窟になってるらしいの。女性どころか男性でも近づくと危ないわ。絶対に立ち入らないで、誤って入り込んだら即座に回れ右してちょうだい」
サツキはその言葉に、困ったようにこめかみをもんだ。
「話は聞いたことがありますが、そこまでですか。……そんな危険な土地に女性研究員派遣しろなんて、さすがに先方にたっぷりともの申したくなりますね」
そう言って眉をしかめるのに、ハルカも辟易したような顔となる。
「ほんとよ、規定がなかったら即刻断ってるわ。研究員を危険にさらすようなことは出来ないし。あと……もう私的なことを言っちゃうけど、娘をわざわざ危険なところへやりたい親はいないわ。啓一さんだって、慣れない世界に来て間もないのに……そんなところへ行かせるなんてしのびないわよ」
よく考えてみればすごい話だ。国立研究所の所長ともあろうものが、本気で所員の派遣を嫌がるのである。どれだけ緑ヶ丘というところはやくざな街だというのか……。
「まあまあ……話がもう決まっている以上、言っても仕方ないことでしょう。とにかく要警戒の土地なんですね?我々の方で気をつけて動くしかないですよ」
とりあえず啓一は、二人の間に入った。気持ちは分かるが、親子で愚痴っていても仕方ない。
「そうねえ……まあ、そんなに不安にならないで。現場は郊外だし安全だから」
この街は郊外に行くと西側がかなりの高台、東側は大きな川で隔てられた平地となっており、中心部と郊外の地理的断絶が大きいのだとハルカは語った。
このような断絶は必然的に生活圏の分断を発生させるため、街の様子も変わって来る。
むろんそんなものなぞ構うものかと押し入る輩もいるだろうが、この街では幸いにもそういうことは起こっていないようだった。
「そうですか……」
「ともかく、正式に命じます。緑ヶ丘市に十月二日から一ヶ月、現地の反重力プール修理立ち会いと『ディケ』プレゼンテーションのため出張ということで」
「分かりました……はあ」
「もう、そんなため息つかないでよ、サツキちゃん……。国立研究所っていう公的機関の長である以上、嫌でも規定を守らないと科学技術省に怒られちゃうのよ……」
余りに娘の雰囲気が重苦しいのに、ハルカは思わず母親に戻って言う。
「ねえ、お母さん。こういう時に言うのね、あの言葉。一緒に言わない?」
その言葉にこくりとうなずき合うや、
「せまじきものは宮仕えじゃなあ」
そう泣き真似をしながら、芝居がかった声で二人そろって言った。
「……研究所なのに『寺子屋』ですか。まあ気持ちは分かりますけども」
歌舞伎の名ぜりふをいきなり披露する真島親子に、啓一が冷静な突っ込みを入れる。
「ごめんなさい、茶化しでもしないとやってらんなくてね。ともかく、何を依頼されてるかはここにまとめてあるから……それを読み込んでちょうだい」
頭をかきながら一つ苦笑すると、ハルカは話をまとめにかかった。
「あと、『ディケ』の持ち出しについて申請書出すのも忘れないでね。ちゃんと番号も書くのよ」
「分かりました。じゃあ、これでお話は大丈夫ですか」
「ええ。ごめんなさいね、禾津さんも。よろしくお願いするわ」
「あ、いえ」
そう言ってハルカが立ち上がり一礼するのに、二人も頭を下げそのまま辞去する。
研究室までたどり着くと、何と三十分も経っていた。
こうなると周りには、一体全体何の話をして来たのかと思われていることだろう。
「……何だか疲れたわ」
「同じく。人払いしてまで話したくなるよな、あんなんじゃ」
ハルカが、相当この出張に神経をとがらせているのは確かだ。
出張先にいろいろと問題があるだけでなく、行かせるのが娘と新人。
これではじっくりと話した方がいいと思うだろうし、母親に戻って心中を吐露したくもなろう。
少なくとも、所長として秘書には見せられない姿だ。
「しっかし、破落戸の巣窟か……何をどうすればそうなるんだよ」
「詳しい事情は分からないわ。真偽不明の噂ばかりで……」
「大丈夫なのかね、この出張。けがして帰って来たくないぞ」
啓一が眉根にしわを寄せて言うのに、サツキは、
「ま、まあ、ともかく言われた通りにすれば大丈夫だと思うわよ……」
そう答えるが、全く説得力がない。
「はあ……せまじきものは宮仕えじゃなあ」
啓一もそこで同じく特大のため息をつくと、さっきのせりふを自分も言ったのだった。
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