十五 朝霧(三)
エリナが眼を覚ますと、既に陽が落ちかけていた。
食堂で昼食を食べて寝転がったまでは覚えているのだが、そこでどうやら寝てしまったらしい。
通常の病室ならば医師や看護師、他の患者たちの気配がするのだろうが、ここは臨時で作られた病室のためその気配もなかった。
「じゃあ、私たちは待機しているから。ゆっくり休んでいなさい」
昼食後、ジェイに言われたのを思い出して耳をすましてみると、どうやら隣の部屋にいるらしい。
戦闘用時代に装着された聴覚増幅装置を使うまでもなく、話し声がしっかり聞こえて来た。
(恐ろしく壁の薄い病院ですね……)
緑ヶ丘市の貧しさを物語るような建物の貧弱さに、エリナが一つ首を振った時である。
『ねえ、あなた……エリナさんっていったかしら』
横合いから、いきなりヒカリの声がした。
「えッ、はい、そうです。す、すみません……起こしてしまって」
『いいのよ。……ねえ、これも何かの縁だし、お話しない?』
思わぬ申し出に、エリナは息を飲む。
これが普通に元気な状態であったなら、恐らく喜び勇んで一も二もなく乗っただろうが、この状態で果たして話なぞしていいものか……。
『私のことなら、気にしないでいいわ。……もう長くないと思うと不安で、話でもしていないとやっていられないの』
「………!」
ヒカリがつけ加えた言葉に、エリナは凝然となった。
彼女は、既に自分の死期を悟っている。
医師やジェイは、この辺りのことについてはぼかしているばかりで直接的に語らなかった。当然のごとく本人にも言っていないだろう。
「いや、そんな長くないなんて……」
『あんな隠し方じゃばれるわよ。あなたも大体分かっていたんでしょう?』
「う……」
『まあ、それについてはいいわ。……悪いけど、そこのカメラに顔を映してみてくれないかしら』
重要なことだというのにさっと流し、ヒカリはそう言い出した。
「こう、でしょうか?」
『ああ、ようやくきちんと見えたわ。道理で聞いたことのある声だと思ったら……あなた、同業者のエレミィさんよね?』
「そ、そうです!知ってるんですか!?」
『それはもう。昔、私の配信によく来てたでしょ?あの頃から名前だけは知ってたわ』
「えッ、どうしてそんなことまで……!?」
『目立つファンは、昔の人も今の人も全部把握してるしね。しばらく来なくなったと思ったら、いきなり同業者になってて大人気だもの、驚いたわ』
「そこまできちんと覚えられてたなんて思いませんでした。私なんて一山いくらのファンでしたし、有名になったのも運がよかっただけで大したことは……」
『そんなこと言ったらファンの人たちが泣くわよ。……実言うと、あなたの配信も何度も見てるわ。正式に会える時が来たら直に話そうと思って、コメントは打ってなかったけど』
エリナは、ただただ驚くばかりである。
まさか万単位のファンの中で自分が目を留められて去就も気にされ、さらには配信まで見てもらえていようとは夢にだに思いもしなかった。
だが、次の瞬間である。
『……それで、気になったんだけど。あなた、もしかして転移者じゃない?』
いきなり驚くべきことを言い出したものだ。
「そ、そうです。どうしてそれが分かったんですか……!?」
『いやだって……さっき話してた時にマスターさんとそろって「私のいた世界」とか「あちらの世界」とか言ってたから。こっちの人なら、言わないでしょ』
「あッ……」
エリナは、先ほどの会話で元の世界と比べるような発言をしたのを思い出す。
『それとね……自分でも不思議なんだけど、何となくそう感じるものがあったのよ。勘みたいなものかしら。おかしなこと言うようだけど、引かれ合ったのかも知れないわね』
「ということは……」
『私も、転移者よ』
「………!?」
エリナは絶句した。これほど驚くべき新事実があろうか。
『多分、元の世界は全然違うと思うんだけど……どんな世界なの、そっちは』
問われて、エリナは困惑しつつも元の世界について話した。
ついでに、自分がこうなった
『……あなた、とてつもない目に遭って来たのね。マスターさんもだけど』
ヒカリの声は、話の凄惨さに驚きというよりも恐怖を覚えているようであった。
さもありなん、我々の世界のあらゆる紛争地帯がはだしで逃げ出すような世界である。
「ええ……。でも転移のことまで含めて考えた場合、私よりマスターの方がよほどつらい思いをしていると思っています」
『転移のせいで、助けた子たちを実質的に見捨てる羽目になったんだものね』
「それだけでもひどい話ですが、その後もいけないですよ。転移のせいで何もかも失っただけでなく、自分の持っている知識も技術もろくに役に立たないなんて」
『でも人に教えることは……』
「出来ないんです。この世界からすると飛躍しすぎていたり、基礎理論が違っていたりで……到底受け容れてもらえません」
『………』
ヒカリはそこで黙り込んだ。
恐らく彼女の表情を読み取れたなら、唇を噛んででもいたかも知れない。
『……何ていうのかしらね。こういうのを見てると、私のいた世界の小説や漫画やアニメではやってた、異世界転移ものがうらやましくなるわ。皮肉じゃなくて本気で』
「こういう話がはやりだった……?ヒカリさんの世界の人たちって、こういう転移をどういうものとして描いてるんですか?」
エリナの世界には、そういう主題の創作はなかった。
いや、泥沼の戦争が続く世界で、純粋な意味での創作活動自体があったかも怪しい。
『転移した先で自分の力を生かして、大活躍するような気楽なお話がほとんどよ。その世界より、進んだ知識や技術を使ったりとかしてね。行ったら偶然にもすごい能力があった、なんてのもあるわ。いずれにせよ、元の世界の力で無双の人物になって、楽しく暮らすってのが多いわね』
「……その発想は全くありませんでした。私だけじゃなくて、多分あっちの世界ではおよそ誰も考えたことがなかったと思います。みんな、ただただ戦うことしか頭にありませんでしたし……」
エリナは、明らかにひどく戸惑っていた。
嫌味でも当てつけでも何でもなく、文化が違いすぎて想像や理解そのものが出来ないのである。
「あの、転移先で楽しくってことは……もしかすると、主人公は転移する前の世界に残した人や物のことや将来のこととかを、全然考えなかったりするんですか……?」
『将来はどうだか知らないけど、ほぼ前の世界のことは考えないみたい。よくよく考えてみればおかしな話なんだけどね、純粋にお話を楽しみたいっていう場合には邪魔ってことになっちゃうのよ』
「邪魔、ですか……」
理屈そのものは分かる。
「今の世界だと無理だから、異世界でヒーローやヒロインになって楽しい人生を送りたい」
という無邪気な欲求を満たす創作で、元の世界に後ろ髪引かれる、これからのことを悩むなぞという描写は、確かに邪魔なだけだ。
そうやって楽しさに振り切った創作があってもいい、ある程度まで必要なもの、それも分かる。
分かるが、現実問題として転移のために悩み苦しんでいる人物をそばで見ているだけに、まるで実感も共感も湧いて来ないのも事実だった。
だがそれは、今のヒカリも同じようであった。
『……そういうの見てただけに、現実で遭遇した時の衝撃が半端じゃなかったんだけども。故意に目をそらしてた部分から、がっつり来られて無理矢理そっち向かされたんだもの』
ヒカリは元の世界で、YouTuberをしていた。
ハイキングがてら投稿動画を撮影して下山した帰り、奥にある高い山がどんと地響きを立てて崩れた途端に転移を起こしてしまったのである。
新星に吹き飛ばされた彼女は警察官に直接発見され、転移者として暮らす羽目になった。
住居については状況的に保護してもらうことも難しかったため、一人暮らしを選んだという。
『落ち着いて来たら、やっぱりずんと来たわ。両親親戚も健在だし、機材や大切なものもたくさんあったし。何より、私にはYouTuber仲間や十万人以上のリスナーさんがいた。その人たちも、その人たちからの手紙やプレゼントも、みんなみんなあっち……』
一般人ですら持っているものが多いのに、彼女はさらに苦労を同じうする仲間と名声と、そして自分を慕う人々を持っていた。
それが全て一気に失われた時の絶望感は、いかばかりのものか……。
『でもね、私はまだよかったのかも知れないわ。こっちに同じ文化があってくれたから。地道に機材買いそろえて、何とかUniTuberになって……今じゃファンが倍だものね』
「ある意味、やり直せたと言えるような気がしますけど……」
『そう。でもこれ、どう考えても純粋に運がよかっただけよ。もしUniTuber文化がここになかったら、絶対路頭に迷ってる。……これだけ人気になっても、やっぱり向こうが気になるし、向こうで得た知識も全部使えてるわけじゃないしね』
「………」
エリナは、おのれの軽率な発言を恥じた。
いくらこちらで成功しても、なくしたものはなくしたままという事実が、彼女に苦しみとなってのしかかっていることには変わりはない。
『あとあっちではきっと大騒ぎだろうな、そんな風に思うと暗い気分になるわね、今でも』
そこでエリナは、ある引っかかりを感じた。
いつの時だったか、雑談で転移の話になった時、
「随分前の話だけど、俺のいた世界で女性YouTuberが一人、行方不明になって騒ぎになったことがあって。よく覚えてないんだが、確か朝や光に関係する明るい名前の人だった。山で遭難したって話だけど、もしかすると転移の線もあるのかね」
啓一がそんなことを言っていた覚えがある。
もしやこの女性YouTuberとは、ヒカリのことではないのか……。
「あ、あの……今思い出したんですけど、私の知り合いの転移者の人が、自分の世界でYouTuberさんが失踪したと言ってたんです。言っていた名前も近いですし、山でいなくなったのも一緒ですし、もしかすると同じ世界の人かも……」
『ええ!?……それ、明らかに同じ世界よ!何人もいると思えないもの』
さすがにこれには、ヒカリも驚いたようだ。
この世界が転移者を集めてしまう傾向があることは、ヒカリも聞かされて知ってはいる。
だがまさか同じ世界の同じ時代からもう一人来ているなぞとは、夢にだに思いもしなかった。
『その人も、まさか』
「同じように、苦しんでらっしゃいます。私たちと一緒で、全てを失い知識も余り役に立たず、目標も仕切り直しと……」
『その目標って?』
「小説家だそうです」
『……それは、つらいわね。知識フルに使うし、作品も出来れば手許に置いておきたいんじゃない?それに一度精神的に折れると、立ち直るの死ぬほど大変って聞くし……』
「はい……しかも今の仕事も、うまく行ってないって」
『完全に、どつぼにはまっちゃってるわね』
ヒカリはそう言って、黙り込んでしまう。
下手なことはどう考えても言えない、そう判断したのだ。
彼女が思慮深い女性であったことは、エリナにも、そして壁を通して聞いている啓一をはじめとする控えの一同にも救いであっただろう。
ヒカリとエリナのことを気にする余り、シェリルや刑事たち、果ては医師看護師まで拝み倒して隣室に詰めていた一同は、転移の話が出たことでいっそう耳をそばだてていた。
それだけにもしここで安っぽい同情や憐愍の言葉でも飛び出したなら、啓一はもちろんのこと一同にとっても、その塗炭の苦しみを知る身としてとても耐えられたものではなかったろう。
『……ねえ、エレミィさん。あなた、誕生日のお祝いの時なんかにファンレター来たことない?』
「え……?それは、来ますね。本当に私なんかにありがたいほど」
突然の言葉に、エリナは眼が点になった。
ファンレター自体は、多くもらっている。むろん住所を馬鹿正直に公開しているわけではなく、そういう中継ぎのサービスを利用しているのだが。
自分が送ったことがあるので分かるが、ヒカリも確かそうしていたはずである。
『私の場合だけど、その文章の中にこう書かれていることがあるの。「いてくれてありがとう」「生まれて来てくれてありがとう」って』
「………!」
その瞬間、エリナ、そして壁の向こうの一同が一斉に眼を見開いた。
『気持ち悪いって思うかも知れない。でも私は、あっちでもこっちでもこれでとても励まされたわ。ああ、いていいんだな、いることに価値があるんだなって』
「………」
『少なくとも、私の場合はいるだけで誰かの支えになってる。そう思うと、とても投げやりに生きる気にはなれなくてね』
陽が傾きかける中、静かにヒカリの言葉が響く。
『陳腐なきれいごとかも知れないけど、人って生きてるだけ、そこにいるだけで価値があるものね。もちろん、人倫にもとらないことが大前提だけど』
「………」
『どうか、その人にもそう伝えてあげて。あと、もし誰か親しい人がいるのなら、もしかすると相手の支えにいつの間にかなっているかも知れない、これも一緒に、ね……』
「……しかと、承りました」
エリナは、静かにうなずいた。
『恥ずかしいわ。本人が聞いていないからいいようなものの』
照れ隠しなのか軽く笑いのこもった声で言うヒカリに、エリナは何も言えぬ。
まさか「隣で本人が聞いている」なぞと、この場で何で言えようか。
『ごめんなさい、つき合わせて。ああ、何だかいろいろすっきりした気分。少し寝るわ。……今長話してたの、先生や看護師さんには内緒よ』
そう言うと、ヒカリは驚くほど早く寝てしまった。
ディスプレイをのぞいてみると、状態は安定しているようである。
(……飲み物でも買いに行きましょうか)
ガートル台(点滴を吊るす棒)を引きながら部屋を出たエリナは、自動販売機のある方へと廊下を歩み始めた。
この世界の病院では床材の関係上、ガートル台一つ引いたところでさして音もしない。
そして、便所へと向かう分かれ道に差しかかった時だ。
「……啓一さん」
「……サツキさん!?ここは、男用だよ」
「そんなのどうでもいいわ」
啓一とサツキの声が聞こえ、思わず立ち止まる。
このまま通り過ぎても一向に構わないのだが、なぜか去ってはならぬ気がしたのだ。
「泣いていたんでしょう?」
「いや、そんなことは……」
「いいのよ、隠さなくて。別に誰も何とも思やしないわ」
恐らくは先ほどのヒカリの言葉に感極まって涙し、急いで便所に駆け込んだというところか。
「だが、散々愚痴ばっかり吐いて、挙句にこれだ……俺はどれだけ弱いのかと」
「……あのね、どうしてそんなに自分をおとしめるのかしら?」
サツキが、とがめるような声で言った。
「人って、そんな強い?普通弱っちいものじゃないの?」
「いや、そりゃそうだとは思うが……。こう弱くちゃあ、余りにみっともない気がして。もし小説やら漫画やらアニメやらの主人公なら、とんでもないへたれだ、感情移入の出来ない駄目主人公だと嗤われるようなやつじゃないのか」
「今はお話の人物の話をしてるんじゃない」
「う……」
耳をぴんと立て普段と異なる口調でぴしゃりと決めつけられ、啓一はつまる。
「……あなた、前の世界でどれだけの悪意を見て来たの?ほんとにくだらない理由で人にけちをつけたり、特定層をスケープ・ゴートにして集団でいびり倒すようなのをずっと見て来たんでしょう。それこそ『人』というものをろくに知らないくせして他人の人間性を判じ、虚ろな優越感にひたって喜んでいるようなのを。そのためになら、どんな人倫にもとる言動でもいとわない破落戸が猖獗を極めてるようなありさまを」
我々の世界では、ネット上において至るところに悪意がじめじめと陰湿ににじみ、多くの無辜の人々を傷つけているのが実情だ。学者の中にも「インターネットは人を幸福にしなかった」と強い悔恨とともに言い切る者すらいるほどである。
そんな中で三十二歳で恋愛経験も女性経験もなく顔も人並み程度という啓一は、ただそれだけで格好の標的にされ、人格を否定された上理不尽な侮蔑や嗤笑を向けられる対象になってしまうのだ。
彼がこれにすっかりやられて、いらぬ劣等感を募らせてしまっているのは容易に知れる。
「人の弱さを知っているのなら、なおさらそんな連中に膝を屈しないで。
「………」
「いろいろと葛藤があるのは分かるけど、もっと自分を信じて。少なくとも、私だけでなくみんなは何とも思ってやしないもの」
ゆっくりと言い聞かせるように言うサツキの耳が、いつしか静かに下がって行くのが見えた。
「……いるだけで、充分に価値がある人だと思ってるのに。支えになれる人だと思っているのに。後生だから、これ以上はよして」
最後の方は、声が潤んでいる。
エリナはもはや飲み物を買う気にもなれず、
『う、ううん……』
ベッドに座った途端、ヒカリが寝苦しそうな声を上げた。
「起こしてしまいましたか、すみません」
そう謝った時である。
直感的に、何かがおかしいと気づいた。
『な、何だか変ね……眼が霞んでるわ』
エリナは、この訴えに不吉なものを感じる。
彼女は知らぬことであったが、この予感は当たっていた。
ヒカリの生体脳には常に圧力が強くかかっており、昏睡から醒めた後も話せるようになるまで何度か意識混濁を起こしていたほどなのである。
この混濁の前駆症状として起こったのが、眼の霞みだったのだ。
もっとも知らずとも、ディスプレイの波形が乱れている時点でかなり危険である。
「……先生呼びます!」
とっさに呼び出しボタンを押すと、待機していた医師が飛んで来た。
「どうしました!?」
「ヒカリさんがおかしいんです!」
『そ、そんな大げさに騒がなくても……ううん……』
すかさず空中ディスプレイを操作した医師の顔が青くなった。
「……おいッ!ナノブロキシン十ミリ、二本……いや三本持って来て!!」
廊下の外を通りがかった看護師に怒鳴ると、脳波計を
『……先生、もう時間切れですか』
「何を言ってるんですか!縁起でもない!」
『い、いえ……分かってるんですよ……もう持たないって。もう正直に、お願いします……』
医師はごくりとのどを鳴らすと、
「……申しわけありません、それは言えません」
固い表情で首を振って言った。
『あは、は……もう、隠すことないのに……』
力なくヒカリが笑う中、大急ぎで看護師が薬品の入った瓶を持って来る。
『打たないでもいいですよ……もったいない』
「そんなことが出来ますか!」
医師が叱責し、薬を特殊な注射器で打ち込んだ。
機械部分との均衡の崩れを是正するため、ナノマシンを入れたのである。
だが、もはやそれも姑息のことだと分かっていた。
「先生!」
そこに、異常を聞きつけてシェリルと隣室の一同が部屋へやって来る。
「……容態はどうなんですか」
「悪い方向に向かっています。今、薬を注射したんですが……」
『……だから、無駄って言ったのに』
ディスプレイに映る波形は乱れることをやめず、なおも烈しく異常を知らせていた。
たまらずエリナが割り込む。自分の点滴パックが落ちそうだが、構っている暇はなかった。
「今は悪くても、恢復する可能性はまだあります!」
『……いいの』
「あきらめないでください、生きたいでしょう!?」
『……それは、そうよ……生きられるものなら……。あんなやつらにいいようにされて……死ぬなんて本当は、嫌……』
「なら……!」
『……でも、駄目なものは、駄目』
必死で励ますが、既にヒカリは観念したような口調で言うばかりだ。
急に、後ろで警告音が鳴る。素人目に見ても、かなり危険な状態なのが知れた。
医師がもう一回注射を打つが、止まらぬ。
エリナは本来微塵も変わらぬはずのヒカリの顔に、深い死相を見出した。
『……みなさん、お世話になりました……こんな、形で……お会いしたのは、悲しい、ことですが……事件の解決と、将来の……ご健勝を、お祈り……いたします』
ヒカリは苦しい息の中で、あえぎあえぎ言う。
医師は、もはや何も言わなかった。もうその時が近いことが知れたのだろう。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
シェリルが、ヒカリの手を握って答えた。あえて、過去形を使うのは避けた。
「ヒカリさん……エリナさんが言ったのは、俺のことです。失礼ながら、盗み聞きになってしまいました。……よい言葉を、ありがとうございます」
啓一も、せき立てられるように礼を言い、一礼する。
他の面々も、黙ったまま深く礼をし、言葉に代えた。
『……早く、全部が……終わっ、て、くれると、いい……ですね……』
医師がディスプレイを見て、注射器を握りしめる。
今頃効いて来たのだろうか、遅すぎる、という無念の心がにじみ出ていた。
『……エリナ、さん……こっち、へ、来て、手を握って……』
「はい」
『……出来る、ことなら……もっ、と早く、会い、たかったわ……。でも……最後に、しゃべれて、よかっ、た……』
「……私もです。お会い出来て、お話出来て、よかったです……」
エリナの眼からは、既にぼろぼろと泪が流れている。
『……その、時が……来たら、あなた、の口、から……私の、こと……みんなに、伝えて』
「はい、はいッ……!承りました……!」
再び、ディスプレイから耳ざわりな警告音が響いた。
『……じゃあ、今日は……これで、終わ、りです。……また、次の、時に……』
そう配信を締める言葉を言った瞬間、一気に意識が混濁したのを脳波計が示す。
そして、ややあって。
警告音が唐突に止まったかと思うと、ディスプレイに平坦な波形と「〇」の数字が並ぶ。
電気ショックで何度か刺戟を与えるが、もはや沈黙したきりだ。
医師はゆっくり立ち上がると、各種計器の表示を今一度見渡す。
そしてエリナたちの方へ向き直ると、腕時計を見て、
「……十八時七分、ご臨終です」
静かに臨終を告知した。
連邦暦一六二年十月二十九日十八時七分、暁ヒカリこと二宮美咲死去、享年二十。
余りにも、若すぎる死であった。
医師と看護師が一礼するや否や、
「うわあんッ……」
エリナの慟哭が部屋中に響く。
それを見て、誰からともなく部屋を去り、二人きりの別れの場を作った。
扉越しにも聞こえる果てない泣き声に、一同が沈痛な面持ちでうつむいていた時である。
「……なあ、シェリル」
啓一が、ぽつりとシェリルに言った。
「見つけたな、一日生きれば、一日誰かが苦しむ連中を」
その言葉に瞑目したまま、シェリルはしっかりとうなずく。
「奸賊一新興国産業、誅すべし」
恐ろしいほど静かな啓一の声が、廊下に響いた。
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