九 邂逅(一)

 ロビーに出たサツキの許に市から電話がかかって来たのは、工事開始予定時刻の一時間前だった。

「二週間の休工に一月程度の工期延長……ですか」

『はい。会議の結果、そう決まりました。工期延長に関しては最後まで何とかしようとしたのですが……もはや避けられまいという話になりまして』

「そうですか。では、休工中は私たちには特に用はないということでしょうか」

『大変申しわけありません。緊急のお知らせがある場合、ご連絡する程度になると思います』

「諒解しました。ただ私たちは出張の身、これからどうするかは研究所に一度報告して上の指示をあおがないといけません。それについては結果が出次第、速やかにお知らせします」

『それですが、当方からも連絡を入れて説明させていただきました。お相手は第一研究部の部長さんだったのですが、とりあえず真島さんにも電話してほしいとのことでした』

「分かりました、そうしておきます。ともあれことの次第は、いなにもきちんと伝えておきますので。ありがとうございました」

 そう言って一度切ると、サツキは研究所に電話をかけ始める。

 さすがにここまで大規模な変更を迫られるとは思わなかったのか、やれ会議だ何だと実にあわだたしい雰囲気で、ついでとばかりに愚痴めいた言葉まで聞かされる始末だった。

 ひとしきり話したところで電話を切ると、サツキははあ、とため息をつく。

「……お母さん混じえての緊急会議ですって。結論出るまでしばらく待ってなさいと」

「こっちはこっちで大変なことになったな」

「困ったわね……。こっちは一ヶ月だからって来たのに、さらに一月とか」

「こういう場合、どうなるんだろうな」

「工期延長で出張期間が延びるのはあるわよ。実際入りたての頃に技術の人たちについてったら同じようなことになって、数日だけ延びたことがあるから。でも結局決めるのは部長やお母さんたちだから、結論はあっちから電話来るのを待つしかないわねえ」

「うーん……となると、今日は待機か?」

「建前はそうだけど、その辺結構緩いの。前の時には『連絡さえきちんと取れるようにしておけば別に出かけても構わない』って言われてるからって、先輩方と郊外に出かけたわよ」

「随分とまあ自由だな……」

「うちの研究所、そういうところあるのよ。仕事さえきちんとすれば、それなり自由にしててもいいっていうね。時折、これで大丈夫なのかと思うのも事実だけど」

 サツキはそう言うと、ロビーの隅に置かれたウォーターサーバーの水を飲み干した。

「ああ、頭パンクしそう。昨日のあれはいくら何でも情報量多すぎよ」

「ごめん、俺もその情報過多に加担したんで……」

「いや、あれは仕方ないでしょ。……水ばかり飲んでても何だし、何か買いましょ」

「あ、俺も買うわ」

 ぽいと紙コップをくずかごに捨てながら、入口横の自動販売機の前に立つ。

「……正直言うとね、延ばすなら一月といわずもっと延ばしてほしいんだけどね」

「やっぱり、あいさんのことが気になるのかい」

 サツキはボタンを押すと、黙ってうなずいた。

「シェリルは可能性にすぎないって言うけど、あれ聞いちゃったらね」

「気持ちは分かるが、あんな複雑なことになってちゃ手が出せないぞ。さらに、どう考えても一般人が関わったらまずいのが噛んでるかも知れないとなったらな。警察にまかすしかないよ」

「はあ……しかし、部下の人はどうしてるのかしらね。シェリルは何も言わないけど」

「どっかに潜り込ませてあるんじゃないかと思ってる。そこまでさすがにあいつも言わんだろ」

「それもそうね。普通より教えてくれるってだけで、全部話してるわけじゃないもの」

 さっそく缶を開けて飲みながら、憂鬱そうに言う。

 啓一がペットボトルの蓋をひねると、サツキは、

「……ねえ、郊外行ってみない?」

 唐突に言い出した。

「郊外?この街としては、ここが既に郊外の扱いみたいだけど」

「そりゃそうだけど、あのいけ好かない中心部が見えるじゃないの。私、あれが見えないところに一度でいいから行ってみたいのよ」

「だが、この辺以外のところへうかつに出るのはまずくないかな。何かあった時に対応出来ないぞ」

「一度でいいのよ、他に危なくないところがあったら行ってみたいの。後生だから」

「うーん……」

 サツキがここまで懇願するのも、理解は出来る。

 何せ仕事は停滞に追い込まれ、外出は安全上この地区に限定され、さらに清香の失踪に反社会的勢力が関わっている可能性があると言われ……という状態なのだ。

 これで逃避したくならない方が、むしろおかしい。

 啓一はうなずくと、受付のベルを鳴らした。

「すみません、この地区以外でどこか安全で気晴らしになるようなところはありませんか」

 受付は少々考え込んだようだったが、

「そうですね……中心部の東を流れる緑川を越えたところに、雑木林のある広い田園地帯があります。東京の多摩地区から移住した方が造成した地域なので、再現が本格的ですよ」

 そう言って散策用と思われる観光地図を呼び出し、説明を始めた。

「この地図に載っている『赤駒あかごま』『やま』『横山よこやま』という三つの地区、この周辺ですね」

「ありがとうございます。……あれ、この一番南に少しだけ見切れている『みなみはら』というところは?」

 何の気なしに啓一が訊ねると、なぜか受付は一瞬わずかに顔色を変え、

「ああ、そこですか。南原は企業の所有地になっているので、散歩に向いた場所ではありません。もっともつながる道が地区の中央を通る道以外にないので、そもそも出ることもないでしょうが」

 ぱたぱたと手を振って答えてみせる。

「あとこの南原との境目にある緑地に、緑川を渡って中心部へ向かう歩行者用の橋が架かっています。この緑地内にいる分には特に危険はないですが、ここを渡るとご存知の通り出る場所があのありさまですので、よほどのことがない限りは使わない方がいいです」

「分かりました。……って話だが、行ってみる?」

「そこには変な連中はいないんですね?」

「ええ、警察もいないのを確認しているそうですし」

「どうやって行くんですか?」

「当ホテルの前に『植月町』という停留所がありますので、そこから横山車庫行に乗ってください。北からめぐりたければ『赤駒本町』で降りるとちょうどいいと思いますよ」

 交通局のサイトと周辺の写真を出しながら説明するのに、サツキはにっこりとほほえんだ。

「ありがとうございます」

「じゃ、行こうか。まさか一人で行かせるわけにもいかないし」

「そうね、行きましょ行きましょ」

「お、おいおい……」

 いやににこにこしながら背中を押して来るサツキにおたつきつつ、啓一は一緒に玄関を出て行ったのであった。

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