十三 懊悩(二)

 それからしばらくして、ついに休工日が明けた。

 さすがにこれ以上の引き延ばしはまずいと思ったのか、建設部は、

「今回の事件とは関係のない案件ですし、警備も強化しますので」

 そう言って工事を再開したのである。

 だがそう言われて出て来たものの、二人の出番は全くなかった。

 該当部分のパネルを全て取り外して、市外の工場に持ち込むことになったからである。

 何せパネル自体が巨大な上に市が所有する反重力発生装置総がかりでも完全に相殺しきれないほどの重さとあって、この工程だけで数日間かかるという状態なのだ。

 こうなってはもう重力学も何もないので、技師と一緒に指をくわえて見ているしかない。

 結局座ったまま、午休ひるやすみとなった。

「……重力を操れる装置も、動かなくなれば重力に縛られる鉄くず、と。皮肉ね」

 弁当を使いながら、さしものサツキも面白くなさそうな顔をして言う。

「相変わらずこれからどうするのかってのも不明だし。せめて会議に参加くらいはさせてほしいわ」

「『ディケ』のプレゼンテーションはどうなるのかね?」

「さあ……忘れられてはいないと思うけど、話に出ない辺り未定か下手すれば中止かもね」

「かーっ、せめてそれくらいはさせてくれよ」

「出来なくてもこの際仕方ないわよ。私たちの立場じゃ文句なんて言わせてもらえないわ」

 もはや二人とも、不満を隠そうとしなかった。

 知名度だけで引っ張っるだけ引っ張って来て満足し、あとは現場に投げて全部まかせるという馬鹿げたことをやられているのだから、むしろこうならぬ方がおかしい。

「はあ……ほんと後生だからもっと仕事らしい仕事させてよ。まるで立場がないわ」

「本当に座ってるだけの俺より、期待されてるだけましだと思うけどもなあ」

「……そうかしら」

 サツキはあいまいに返事すると、ささっと弁当殻を片した。

(ほんとに、啓一さんこのままうちの研究室にいてもらっていいのかしら?)

 そう思うが、異動を上へ直訴するのはご法度だと先日電話で直接言われてしまっている。

 結局どうしたらいいのか分からないまま、午後も二人並んで地蔵で終了となった。

「あの……会議などあるようですが、出なくても本当にいいんですか?いくら何でもこの分野に関わっている者として、今の惨状は看過しがたいので……」

 帰り際に責任者をつかまえて訊ねてみたものの、

「お申し出はありがたいんですが、今は市域での重大事件の発生を踏まえ、行政としてこの工事自体をどうするかという話に議題が移っていまして……。こうなると完全にうちの市の問題になりますので、技師や立ち会いの方に来ていただいてもそれこそ何もしていただけないんです」

 冷汗を流し流しの状態でそう答えが返って来ただけである。

 サツキはこれに、苦虫を噛み潰したような顔となった。

(朝と言うことが違うじゃないの……事件と関係なかったはずでしょ)

 人を振り回すのもいい加減にしろと言いたくなったが、道理はともかく先方がこうすると言う以上、外来者が何か言うのはお門違いになってしまうので引き下がるしかない。

「はあ……」

「あーあ……」

 宿への帰り道で、二人は特大のため息をついた。

「この分だと、また休工有り得ると思わないか?」

「有り得るわね。そしたらいっそのことずっと休工でいいんじゃないかしら。あんな朝令暮改してるくらいなら、そっちの方がせいせいするわよ。仕事はなくなるけどね」

「まあまあ……君までやけにならないでくれよ」

 吐き棄てるように言うサツキに、さしもの啓一もなだめずにはおれぬ。

 サツキはそれに大きくため息をつき、何も言わずに歩き出した。

 耳も尻尾も見るからに力なく垂れてしまい、顔も疲れ果てているのが痛々しい。

「しかし、シェリル見ないな。いつもならそこらからひょいと顔を出すのに」

「さすがにこの状況で単独行動は出来ないんじゃないのかしら。……というより、捜査指揮取ってるのに一人でひょこひょこ出歩いてるのがそもそもおかしいわ」

 あの子にそんな常識通じないけどね、とサツキは苦笑した。

 思わず啓一は周りを見回す。

 噂をすれば影を地で行くシェリルだけに期待してしまったのだが、どうやらそうは問屋が卸してくれなかったらしかった。

「『出たなからくり人形』って言いたいなあ」

「駄目よ、種族差別じゃない……」

 口だけは冗談めかしながら、意気消沈した声で話しながら宿へ入る。

 そして自室へ到着した途端、どかっと疲れが出てそのまま寝入ってしまったのだ。

「ん……」

 啓一が起きたのは、しばらく経ってからのことである。

 ふらふらと外へ出てみると、サツキはまだ寝ているようだ。

(飯食うにも中途半端だし、仕方ねえな。そこらを散歩でもして来るか)

 宿を出ると、てくてくととりあえず周辺を歩いてみる。

 長逗留で何度も歩いてはいるが、いざ何の目的もなくというのは今回が実質的に初めてだ。

「そういや休工中も、件の事件に半ばかかりっきりの状態が続いてたもんな……」

 しかし何より初めてだったのが、サツキが一緒にいないということである。

 何といっても仕事では研究員と助手の関係なので常に組だし、宿でも二人で同じ場所に泊まっている以上これもまた組でいることが多くなりがちだ。

 さらに彼女自身が清香を探すのに必死なのをくんで手伝おうと思ったこともあり、外出時ですら組になっていたのである。

 だが肝腎の清香が見つかった以上、一緒に行動する必然性はぐんと減ったはずだ。第一恋人でもないのに逗留先でまで身を縛られて、益体もない愚痴を聞かされるのでは迷惑千万というものだろう。

「………」

 とりあえず、角の自動販売機そばにある喫煙所で煙草をふかす。

 彼にしては珍しく、チェリーではなくフランス煙草のゴロワーズ・カポラルであった。

「全くこれでぼさぼさの長髪にサングラス、帽子ならムッシュなのになあ」

 この煙草を愛飲していた有名フォーク歌手・ムッシュかまやつ(かまやつひろし)を思い浮かべながら、代表曲の『我が良き友よ』なぞ口ずさんでみる。

「……俺も下駄ばきにしてみるか?いや、この世界観に合わないか」

 はは、と仕方なさそうに笑った。

 宇宙コロニーという特殊な土地、獣人にアンドロイドというファンタジーじみた種族、大きく進歩を遂げて見たことも聞いたこともない学問まで生まれている科学技術。

 こういったまるで漫画アニメの中から飛び出したような存在が、実感のあるものとしてなかなか定着してくれないのも、啓一の大きな悩みである。

 しかも偶然とはいえ周りは「二次元」から出て来たようななかなかの器量の女性ばかりで、年齢がサツキ以外軒並み二十代後半から三十代前半なのを除けば「それはどこの美少女ゲームだ」という状態なのだからなお実感が湧かなかった。

 はた目には「女をはべらせておいて何のぜいたくを抜かすか」だろうし、周囲含めこの世界の人々にも悪い言い方になるが、さすがにここまで来ると荷が重い。

 そこへ来て想像を超える兇悪犯罪の発生と発覚に関わってしまった上、生活との関係上離れられそうもないのだから、そのストレスは完全に頂点に達してしまっていた。

 情けない、へたれと後ろ指差すなかれ、人にはやはりおのれの「本来の場所」があるものなのである。誰しもそれ以外の場所へ無理矢理引きずり出された時、こうならない保証はないのだ。

「まあ救いは、元の世界より政治や社会体制がかなりましだってことかね。もっとも元がひどすぎただけかも知れないがな」

 ひとりごちつつ灰皿へ煙草をもみ消し、ぶらぶらと植月町の目抜き通りを歩く。

 夕暮れまではまだ時間があるせいもあってか買物客で混み合うこともなく、実にのどかなものだ。

「ん……こんなとこに下へ下りる道あんのか」

 左側に、桜通へ下りるらしき坂道が見えて来る。

 どうやら崖に張りついた九十九つづらおりになっており、桜通の中ほどへ降りることが出来るようになっているようだ。

 都会たる中心部と丘陵の集落へ向かうささやかな裏道として作ったのかも知れぬが、今やそれが日常と地獄をつなぐ道になってしまったのだからまこと皮肉としか言えぬ。

「しかし倉敷さんも恐ろしい人だな、こうやって下らないといけない場所を飛び降りるのかよ……まあ、あの人ならやりかねないという妙な信頼感があるが」

 本人が聞いたなら容赦なく突っ込むだろうことをつぶやいた時だ。

 啓一の脳裡に魔が差した。

(このまま桜通に突撃してみようか)

 このことである。

 そもそも今回の事件が発覚するきっかけになったのは、ジェイが桜通を流していたことにあった。あんな治安の悪いところを豪胆だと思うが、同じ男で出来ないことはないだろう。

 そう思って坂を半分降りかけたところで、啓一はすぐ右下に異様なものを見た。

 黒いスーツの男たちの行進に率いられて、黒い車がゆっくりとやって来る。パレードでもあるまいに、なぜものものしい露払いがいるのかが分からなかった。

 しかも不気味なことに、露払いの一団はまるで軍隊のように隊伍を組んで一糸乱れず行進しているのである。

「な、何だありゃ……?どういう連中だよ?」

 やがて一団が一軒の店の前で止まり、車の中から男が現れた。

「……ん?待て、あいつ一新興国産業の正門で見なかったか?」

 どうやらここは自社のパーツか何かを扱っている直営店舗らしい。男は店に入るや、いかにも愛想よさそうにあいさつなぞしているようだった。

 先日のことといい、重役か何かなのだろうか。

 眼をこらしていると、前から、

「あれ、どうしました?いなさん」

 急にシェリルの声が聞こえて来た。

「えッ、シェリル!?お前どうしたんだよ、仕事」

「してますよ、今も」

 そう言ってあごを軽く向けた先を見ると、坂の入口から少し離れたところに車が止まっている。状況からして覆面パトカーであろうと思われた。

「そうか……あ、いや俺は散歩しててさ。そしたらあんなん見ちゃって、びっくりしてたんだよ」

「まさかとは思いますが、桜通に行こうとしてたんじゃありませんよね?」

 と、後ろから今度はジェイが現れる。

「あ、あの、その……そうです。何か見つからないかと思って」

「ああ、止めに入れてよかった。あそこはもう、探るには危険な場所になりすぎてますからいけません。私ももう探り尽くしましたし、あとは大庭さんたちに投げるつもりでいます」

「……まあ、本来一般人が潜入捜査に等しいことやってる時点でまずいので、当然なんですが」

 シェリルにじろりと睨まれ、ジェイが小さくなった。

「まあともかく、一緒に戻りませんか。いつまでもこんなところで立ち話してるのも不自然だ」

「そうですね……じゃあ、ご一緒します」

 ジェイに言われるまま、啓一は元の道を戻り始める。

「じゃあ、私はこれで」

「ああ、申しわけなかった」

 そう謝る啓一に、シェリルは去り際、

「……余りサツキちゃんの気持ちを無下にしないであげてくださいね」

 静かに言った。

 驚いて振り向くが、既に車の扉を開こうとしている。

 啓一は訊き返すことも出来ぬまま、ただただ発進する車を見送るばかりだった。

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