十三 懊悩(三)
「何でしたら、ちょっとうちに来ませんか」
啓一がジェイにそう言われたのは、植月神社の参道下でのことであった。
「ありがたい話ですが、一応サツキさんに確認しとかないといけません。ちょっと散歩の範疇を超えるので、さすがに何か言わないと」
そう言って、サツキに電話をかけてみる。
『十分くらい前に眼を覚ましたばっかりだけど……えっ、今何してるの!?』
どうやら啓一がいないことに本気で気づいていなかったらしく、あわてた声が返って来た。
「ああ、ごめん。散歩に出てたんだよ。ぐっすり寝てたみたいだから起こすにしのびなくて」
『ごめんなさいね。で、どうするの?』
「そうなあ……まだ陽が落ちるまで時間があるから、まだ外にでもいようかと。ちょうどヤシロさんに自宅へ誘われたんで、行って来ようかと思って」
『……夕飯はどうするの?』
「いやまあ、そりゃ戻るさ」
『分かったわ。……あ、
「分かった、それじゃ」
啓一は携帯電話を消し、
「あちらは構わないそうです。まあ度を越して遠くに行くわけじゃないですしね」
肩をすくめながら言った。
「それはよかったです。心配させては気の毒ですから」
ジェイは穏やかに笑って自分も電話をかけると、そのまま宮の坂に足をかける。
(こうして見ると、すさまじい修羅場駆け抜けて来た人っての忘れそうになるな)
少なくとも事情を知らない者からしたら、何ということもない人間の青年が、だべりながらだらだら坂を歩いているようにしか見えないことだろう。
「そういえば、玄関からまともに入るの初めてでしたね。先日は帰りも裏からでしたし」
そうであった。前回来た時、話が余りに重大となったため訪問自体も秘密にした方がいいという話になり、来た時と同じように植月神社経由で戻ったのである。
あの時は行きは修羅場でどたばた、帰りはこっそりだったため、こんな気楽に訪問出来るのは何ともほっとさせられる。
「マスター、おかえりなさい」
門先まで来ると、エリナがてくてくとやって来て鍵を開いた。
「何だい、わざわざ出て来なくても中で待ってりゃよかったのに」
「ここへ来て初めてのごく普通のお客様、せっかくですからお出迎えしたいと思ったんです」
「ああ、そういやそうだ。そもそも配達以外で人が来ようがなかったからな」
ジェイがばつが悪そうに言う。
隠棲を決める前から引きこもり状態だったため、ジェイはずっと庭にすら出ず、ちょっとした買い物ですら宅配と通販で一貫して済ますなど人づき合いをなるたけ排除していた。
「高徳」の仕掛人になって百枝や瑞香とのつき合いが出来てからですら、人目をひどく嫌って接触も最低限にしていたのだから、まさに筋金入りである。
エリナも意図をくんで自分も同じようにしていたらしいが、UniTuberとしてネット経由でも人と縁を持っているだけあって、本心ではこうやって人と直に会ってつき合いたいと思っているようだ。
「あッ、禾津さん、こんにちは。今日はサツキちゃんは?」
「彼女は今日は別行動です。上司部下だからって、いつもセットじゃ気の毒ですよ。本人曰く、英田さんによろしくと」
「ふうん……。まあ、今度また来てって言っておいて。忙しいかも知れないけど」
啓一の返事に、清香は少々つまらなそうな顔をする。
「ささ、まあ入ってください」
そろって廊下を歩くと、先日も使ったリビングに通された。
エリナと清香は何やら家事の最中だったらしく、
「すみません、ちょっとうるさいですが……」
そう言いながらすぐ横の対面式の台所へ向かい、ソファーには男二人だけが座る。
「改めて見ると普通の静かな家ですよねえ……先日あんな修羅場があったなんて信じられませんよ」
「ですね……あ、そうだ。んーと、確か歳って三十二歳でしたよね?実は私も同じなんで、よければもう敬語よしちゃいませんか」
「え、まあよければ。それじゃ、さっそく訊きたいんだけども……あの妙な男、どこのどいつなんだ?普通じゃないだろ、あんなの」
エリナが運んで来た茶をすすりながら、啓一が問う。
「あれは一新興国産業の専務の松村徹也さ。時折、ああやって直営店舗を視察に来るんだよ」
「専務かよ!?まあ下手すりゃ社長に次ぐ地位だから、護衛自体はついてもおかしくないが……さすがにあれはものものしすぎるだろ」
「いやそれがね、あそこの会社って実質あの男が実権握ってるようなもんなんだよ」
この話は、アンドロイド業界でも有名な話だとジェイは言った。
そもそも一新興国産業は創業者の吉竹洋平が、自身の裏社会とのコネを駆使する形で成り上がり、いっぱしのメーカーに仕立て上げた会社である。
完全なワンマン経営を続け、周囲をイエスマンで固めてこの世の春を謳歌していたのだが、十二年前に子会社の経営を立て直すのに成功した松村を部長待遇で入れたのが運の尽きであった。
「松村は、反社に近づいてその力で子会社の反主流派を駆逐したらしい。だから同じ反社とのつながり持ちでお仲間意識があったんだろうが……」
松村の背後には、吉竹の予想以上の大きさの勢力がごろごろいたのである。
吉竹がそれに気づいたのは、松村を取締役まで昇進させてからのことであった。
しかし時既に遅く、吉竹の裏にいた勢力は既に相当数が松村側に取り込まれてしまっており、社内にも根回しがされていたため、力関係が逆転して追い出すことが出来なくなってしまったのである。
「取締役を全員味方につけりゃ、解任すら出来ないしな。無理矢理あれこれやろうとしても、自分よりバックが大きいから何も出来ない。そんなだから、あっという間に専務になられちまった」
「実質的な乗っ取りか。あえて社長にならない辺りが、小ずるくて嫌らしいな」
「ああ。突然社長になると怪しまれるのをきちんと分かってんだよ。だから吉竹をお飾り社長にして、あくまで『腹心』の扱いでいやがるって寸法さ」
「まるで滅びる寸前の王朝みたいな状況だな……」
「いやそのうちそっちと同じく、本当に社長の座を『禅譲』させられるんじゃないかね」
ジェイの言葉に、啓一は渋い顔となった。
一新興国産業の社内政治の話に興味はないし、反社会的勢力の力を借りてのし上がったような男がどうなろうと知ったことではない。
問題は、なぜぽっと出の松村がそこまで成り上がれたのかということだった。
「よほど人を籠絡するのがうまいのか、さもなくばバックについてるやつらが強いのか……どっちなんだろうな」
「まあ、どっちもじゃないかな。本人がどういう経歴のやつか分かればいいが、突き止めるのは難しいな。実際やつの過去について調べても、巧みに隠されてて分からないことだらけだ。特に子会社に入る以前のことについては、情報のかすすらも見つからない。そもそもデータ自体ないんじゃないのか、と馬鹿なことを思ってしまうほどさ」
ジェイはそう言うと少々顔をしかめて天井を見上げる。
「それより、一緒について来てる連中の方が問題だ」
「あいつら一体何者なんだ?ボディーガードにしちゃ雰囲気が異様じゃないか」
「気づいたかい。名目上はそうらしいが、私には分かる。明らかに軍事訓練受けた本職の連中だよ」
ジェイが眼を光らすのに、啓一は黙ってうなずく。紛争が日常茶飯事の世界から転移して来た人物である、見立ては確かなはずだ。
「てことは、私兵かな?」
「多分な。まああいつだけを守ってるわけじゃないにせよ、あんなもの持つこと自体異常だ」
異常ではあるが護衛以外に何をするわけでもなし、携帯しているのも兇器にならない程度の護身用の武器でしかないため、取り締まりなどしようもない。
警察としては、ただ監視対象とするより他ないのが実情だ。
「大庭さんも言ってたよ、見るからにやばい連中なのに何も出来なくて腹が立つって」
「警察にそんな権限ないからな」
「さりとて見ていたところで、何か収穫があるわけでもなし……。せめて連中をどういう意図で雇っているのかだけでも分かれば、料理のしようもあるだろうに。本当に私兵なのかどうか、それで何か起こそうと企んでるのかどうか、そこが分からなけりゃまるで話にならない」
ジェイはこめかみに手をやると、軽く眉をひそめる。
「さらに英田さんや葵さんの改造実験をやったのが一新興国産業なのか否かってことも、限りなく黒ってとこで止まってる状態だからな。まして例の内乱云々の話なんか、成立にはほど遠いよ」
「あんたも聞いてたのか。こっちはサツキさんが言ってたんだが……あくまで想定だってのに、みんな怖い想像始めちゃってな。不安がひどいとああなる、少しでも早く真相が分かってほしいもんだ」
二人は気づかなかったが、清香がこれに顔を微妙にそむけた。想像してしまった一人として気まずかったらしい。
啓一の言葉にため息をつくと、ジェイは懐からシガリロ(小さな葉巻)を取り出した。
「モンテクリストかな?『巌窟王』にちなむやつ」
「そうそう。私はこっちで初めて知ったんだがね、ちょいと高いがなかなかうまい。その分だと葉巻慣れてそうだし、何なら一本どうだい?」
「これはありがたい、ちょうだいするよ。……あ、煙が結構出ますけど二人は大丈夫ですか?」
シガリロを手に取った啓一は、カウンターのすぐ向こうにいる清香とエリナに訊ねる。
「大丈夫よ、アンドロイドは息止められるから」
「同じく。それにいつものことなので慣れてます」
「はあ……」
はたから聞くと何ごとと思うような答えを返されつつ、巻きの方向を確かめてから長い
「やっぱり葉巻はキューバだな。次はフィリピン……欧米のは当たり外れがひどくていけない」
「なかなか目が高い。フィリピンはちと手に入りづらいが、手軽に吸うならグロリアとか」
「それはこっちじゃ日本で作ってるみたいだな。やはり世界が違うせいかね」
あれこれと葉巻談義を一通りしてから、ジェイは話を戻す。
「ああそうだ、そんなことよりかなり大変な事実が明らかになってさ。実は、等身大ドールにされたのは英田さんが最初じゃなかったんだよ」
「何だって!?そりゃ本当か!?」
「そうみたいなのよ……ただでさえしゃれにならないのが、もっと大変なことに」
いつの間に湯を注いだのか、急須を二人の前に置きながら清香がため息とともに言った。
「まさか失踪者が……」
「いや、違う。この事件が起こる以前にあったことなんでね」
被害者は、借金のかたなどで風俗に落とされた女性たちらしい。
ただし清香のようにナノマシンで内側から完全に人形にしているわけではなく、外科的に人体改造して造ったものだ。
要は自発的に動けない、しゃべれないサイボーグである。
「一見怪しまれそうだが、あの世界は広い。どのメーカーも、女体を高度に再現した高級品の扱いでアンドロイド素体を利用したものを作ってる。そこに混ぜてしまえば分からないだろうさ」
たとい人形であっても、リアル感がほしいというわがままな欲求を持つ輩は一定数いるものだ。
それを実現するには、アンドロイド技術を利用するのが一番である。高くなるが確実に品質は保証されるし、本当に魂も臟腑もない純粋な「人形」なので少々後からいじったところで法律にも抵触しないという優れものだ。
つまり躰の構造がアンドロイドに近い、動かない等身大ドールというものがあるわけである。
この中にまぎれ込ませてしまえば、まずことが露見することはないという理屈だ。
「まあそれ以前に、表で流通させることがないだろうよ。拾われて解体や検査でもされたら、そこでおしまいだしな。闇で取引して闇に葬るもんさ。ただ……」
「ただ?」
「闇が表にはみ出して来たら、その例には当たらないがな」
この桜通には、下手な風俗街もはだしで逃げ出すような大きな闇が底に広がっている。
だがそれが肥大化するうちに、肝腎の押さえる蓋が耐えられず浮き上がって、中の闇が外に漏れ出して来ている節があるのだ。
そもそも犯罪に利用されたサーバが杜撰な処理をされ再利用されていたのも、高価な特注品の清香を慎重に扱わず客を取らせていたのも、きちんと統制が取れていれば有り得ないことだろう。
それに気づき始めた連邦警察が、
「桜通
そう認識を改め、管理統制が弛緩している前提で洗い直し始めた結果、奇妙な情報が入って来た。
「『やたらリアルなドールが二束三文で売られてる』っていうんだよ。余りに怪しいってんで行ってみたら、二体のドールが『処分品』として百円で売られてたらしい。しかも店主と話をしてみると、持って行ってくれるならただでもいいと言われたんだってさ」
「何だ、その突っ込みどころだらけの話は……」
いい加減という言葉で済まされない店の態度に、啓一が心底あきれたように言う。
手引書を作ってまで統制をかけているはずの一新興国産業や橋井地所が聞いたら激昂するだろうが、こんなことがある以上もはや末端には力が及んでいないと見た方がよさそうだ。
「まあ値段の話はともかく、顔も躰も余りにリアルすぎるっていうんでね。もしやと店主の言葉に従ってただで持ち帰って検査したら、生きてるのが分かったって寸法だよ」
警察としては証拠品があちらから飛び込んで来てくれて幸いというところであったが、検査の結果到底そのように喜んでいられない状態であることが分かったという。
「躰は幸い無事だったが、精神はほぼ崩壊状態、いや自我崩壊って診断でな……」
男を悦ばすためだけの「モノ」として扱われるこの
コミュニケーションを取ろうとしても全く会話にならず、名前すら聞き取れていない。
「何とかして、正気だけでも取り戻せないもんか……」
「怪しいって話だ。大体にして、人はここまで壊れるのかと驚かれたらしいからな」
「胸ッ糞悪りい……」
啓一が露骨に顔を歪め、思い切り吐き棄てた。
「摘発は?今の時点で充分行けそうだが」
「そう思うだろ?残念ながら、まだ無理だ」
「どういうことだい」
「製造元が一新興国産業じゃなくて、『ホソエ技研』って別会社なんだよな」
「えッ!?」
「おいおい、あそこはあくまでアンドロイド委託製造会社で、そんなものは作ってないぞ」
そうであった。余りに一新興国産業の周辺が性産業一色なのですっかり忘れていたが、同社自身の事業にそういったものは含まれていない。
もしやっていたなら、旧建設組合も本社および工場移転に同意することは決してなかったはずだ。
「ホソエ技研の今の社長は、一応一新興国産業の元取締役じゃあるんだが……。個人的に迎えられたってだけだってさ。一新興国産業自身は、別に出資してるわけじゃない」
ホソエ技研も本社を新星から緑ヶ丘の東郊外に移転してはいるが、これは全くの偶然で一新興国産業の移転とは何の関係もないことが分かっている。
事実、移転を最後の仕事にして引退を決めていた先代の社長は、緑ヶ丘にこだわっていなかった。
これを旧建設組合が許可したためにありがたく移転したという、ただそれだけのことである。
もっとも会社自体は、新星にあった頃に少しだけ一新興国産業と関わったことはあった。
しかしそれは同業者に紹介され、高級ドールに使われるアンドロイド素体の図面を参考として数度受け取ったという程度のもので、つながりとしては非常に弱い。
「こんなんじゃ関係を指摘されても、せいぜい公式ページに無関係を主張する注意書き載せるくらいのもんだ。社長のことを持ち出しても『たまたま社長が弊社の元役員だっただけで関係ありません』で終わりだろう。まあ言っても疑われ続けるだろうが……証拠がないから、まず累は及ばない」
「摘発してもとかげの尻尾切り成功ってわけか……くそ、うまいことやりやがって」
啓一は悔しそうにシガリロの灰を落とした。これでは一気に解決出来ない。
「だがやっぱり大昔でも一度縁があった以上は、関係を疑うべきだろう。かつての縁を使って利用したとしても決しておかしくない。動くか動かないか、中身があるかないかだけの違いだけで、等身大の『人形』作ってるのには変わらないわけだし」
「そりゃまあな……」
「それにこの世界じゃ、アンドロイド委託製造会社は『人形』のエキスパートとしてさまざまな副業をしてるって聞いたぞ。そういうことなら、なおさら復縁しやすくなるじゃないか」
アンドロイド委託製造会社が模擬人体製造技術を生かして副業をする例は多く存在しており、およそ「人形」とあったら伝統文化・芸術品を除いて全ての分野に参入が見られるほどだ。
「……それに副業が一般化してるなら、それを実験の隠れ蓑にも出来る。その観点から、警察は一新興国産業の副業にも注目してるそうだ。マネキン人形だって話なんだがな、いかにも臭くないか?」
「ああ、マネキンをそういう『大人向け』にしたのが等身大ドールと考えればな。あとは『ホソエ技研』名義にして出しちまえば完璧……てか」
ジェイが厳しい声で言うのに、啓一はあごをひねった。
もしそうなら、ことの流れはこうなる。
何らかの理由で人体改造技術を欲した一新興国産業は、別会社を使って欺瞞し証拠湮滅も可能な体制を整えた上で、自分たちや背後の反社会的勢力の勢力圏となっている地域で実験を開始した。
求めた技術は、直接的な外科手術による改造とナノマシンを使った内科手術による改造である。
その際選ばれたのが、前者の場合風俗落ちした女性であり、後者の場合清香だったというわけだ。
葵は前者の技術を発展させ、戦闘用など特殊用途でも改造が成功するかを調べるため試験的に改造されたものと考えられる。
「この他に被害者がいるか否かについては、分からないとしか言いようがないな。大庭さんの話だと、一新興国産業には裏で人体改造を常習的に行っている疑いがあるそうだから」
「うすうす気づいちゃいたが、やっぱりそうなのか。道理で妙に手慣れてると思ったら……。だが葵さんを死なせかけるほどの目に遭わせてるのは、一体どういうこったろうな?」
「結局のところ、慣れない技術を向こう見ずに詰め込みすぎた結果だ。改造される側にも適性がいるレヴェルになってるよ、あれは」
そう言うとジェイは空中ディスプレイを開き、何やら細かい数字の書かれた文書を示してみせた。
「いろいろな条件の人に葵さんと同等の改造を行ったと仮定して、成功率がどれだけかを計算してみたのがこれだ。はっきり言うが、うまく行く人の方が珍しい」
「確かにこりゃ人を選ぶなんてもんじゃないな……適性診断必須ってわけか」
「そうだ。だが、こんな厳しい条件だから診断自体が難しい。適性のない葵さんが選ばれたのは、診断を誤った結果だろうな」
つまり、葵は本来なら被験者となるべき存在ではなかったというわけである。
それでも今度は他の人物が改造された可能性は否定出来ないので、いずれにせよ被害者が出ることは避けられなかったはずだ。
どう転んでもどのみちこの惨劇となったのだろうと思うと、ひどく気分が悪い。
それはともかく……。
このことが、もしかすると拉致が行われたことにも関わっているかも知れないとジェイは言った。
「下手な鉄砲数撃ちゃ当たるじゃないが、適性の問題がある以上人数がいた方がいいと考えたんだろう。風俗落ちの女性も無限にいるわけじゃないからな。もっとも反社と組んでるなら借金のかたとかで人を引っ張って来れるわけだし、全く無関係の市井の女性を拉致する必然性を感じないが……」
「それさ、何で女性ばっかりなんだろな?別にこだわる必然性がないぞ」
「それは私も思ったが、いくら考えても分からないんだ。男もやらないと意味がなかろうに……。あえて言うなら今まで闇の仕事で女性ばかり改造して来て慣れてるから、実験もまずは女性でやろうとしてるってとこだろうか?」
「一応筋は通ってるが、非常に嫌な理由だな。しかも葵さんを改造した技術者の中に、明らかに人体改造を楽しんでる輩がいたらしいし……ぞっとしねえや」
二人の推測が当たっていたとしたら、一新興国産業は相当大胆不敵かつ異常である。
ジェイが言う通り反社会的勢力の手を借りることが出来る以上、風俗落ちの女を調達したのと同じ要領で闇社会を通して被験者を確保することも出来るはずだ。
それなのにわざわざ表で拉致事件なぞを起こしてことを荒立て、連邦警察に睨まれる方を選ぶという奇行に出ているわけである。
しかも女性ばかり狙う理由も、どうもはっきりしないのだ。もし単に改造し慣れているからというだけではなく、本来創作でしか許されぬ性的倒錯を現実にぶつけるためでもあるとしたならば、もはや思考回路自体がどこかおかしいと断ずるしかない。
いずれにせよ、不気味極まりない連中としか言えなかった。
「これから被害者が出る可能性は、どう見る?」
「葵さんを追う方に全力を傾けて、実験は一旦中止にするだろうな。英田さんと違って彼女は自律行動が出来るから、何を暴露されるか知れたもんじゃない。それで警察に知れれば、せっかく立てていた計画もまるでおじゃんだ。捕まえるのを優先しないでどうするんだって話だよ」
「なるほど、それならいいけどな……。葵さんがここにいる限りは、再開されないってことだし」
啓一は、いささか頼りなげなものを感じつつもそう答える。
「とりあえず、今は初期に被害に遭ってる人を探すことだと、大庭さんは言ってたな。……だがいかんせん闇社会の話だ、被害者のみならず関係者を探すだけでも一苦労じゃないのかね」
「ことがだんだん入り組んで来たな……」
啓一は小さく舌打ちをすると、短くなったシガリロを灰皿のふちに引っかけた。
こうやって自然に消えるのを待つのが、葉巻の作法である。
その時、清香がひょいと申しわけなさそうに顔を出した。
「すみません、お話中。どうもエネルギーが予想より早く切れそうなので、手早く充電して来ます」
「あれ?補助電源あるんじゃないんですか?」
「あれだけじゃ最低限の維持は出来ても、きちんとした活動は出来ないわ。こう見えて大変なのよ、機械の躰も……現実は非情よねえ」
この世界のアンドロイドは基本的に生物と同じく食事をエネルギー源とし、補助として電気を用いている。
しかし食事をしてもすぐにエネルギーにならないので、長時間起動し続け電池切れが予想される場合や不慮で切れそうな場合は、座蒲団型の急速充電器を敷いて充電すると聞いた。
だがそれを聞いて、エリナがはっとしたような顔となる。
「しまった……急速充電器のカヴァー洗ったの渡しましたか?」
「えッ?あ、もらってなかったわ」
「ああ、やっちゃいました!多分私のと一緒になってますから、取りに行かないと……」
エリナがそう言いながら、台所から飛び出して廊下を駆けて行った。
その背中とリビングを交互に見ながら困った顔をする清香に、ジェイはほほえむ。
「こちらは構いませんよ。そもそも保護してる人に、家事や雑用をさせてること自体が問題なんですから。遠慮なく行って来てください」
「分かりました、それではお言葉に甘えまして。失礼いたします」
そう言ってさっと華麗にカーテシーをして去って行った。
もう何度か見るが、本物のメイドかと勘違いするほど堂に入っている。
「……完全にはまってる。研究者に戻れるのかな」
「単に楽しんでるだけだと思ってるよ。大丈夫じゃないのかな、多分……」
「ならいいんだけど。……正直なところ、私にとってはあののりが助かってるからね。エリナもリスナーとの交流を楽しんでいるし。二人とも精神的な支えになってくれてるよ」
「そうか……」
苦笑しながら言うのに、啓一はぽそりと答えてぬるくなった茶を飲み干した。
「話は変わるけど……そういや男だけでじっくり話すのって、初めてだな」
「奇遇だね、私もそうだ。互いに周りが女性ばっかりだから」
ジェイはそう言って苦笑する。環境からもしやと思ったが、やはりそうだったようだ。
「まあそちらは流れが流れなんである程度しょうがないにしても、俺んとこが分からんのさ。保護者も女性、知り合いの刑事も女性。ここまではまだいいが、緑ヶ丘来ても親しくなる人みんな女性なんだよな。あんまり会わない人まで女性だし」
「ご不満で?」
いたずらそうな眼をむけられ、啓一は少々じとりとした眼になる。
「不満じゃないが、この……出来すぎてるというか、俺にはちとばかしもったいない交友関係じゃ」
「別にいいじゃないか。互いに迷惑かかってるわけじゃないんだし」
「分からんよ。少なくともサツキさんに関しては、一つ屋根の下ってだけで妙な仲だと勘繰られるからな。保護期間が済んだら、潔く家を出るって決めてるよ」
肩をすくめる啓一に、ジェイはいささかあきれたような顔をした。
「何でまたそんなに気にするかな。もっと気楽につき合えばいいだろう。もしそういう仲に発展したらそれはそれで……」
「そりゃ知り合いとしてならいいが、そこから先はないさ。俺自身に男性として好かれる要素がまるでないんだから、そもそも成り立つもんじゃないよ」
男としての自分に全く自信を持とうとしない啓一に、ジェイは、
「ま、私は君のところの人間関係はまだよく知らないから、余り言ってもね」
仕方ないと言いたげに話を引っ込める。
「もっとも、こんなことより困ったことがあるんだけども」
「ん……?仕事のこととか?」
「それも含めてだが……異世界転移なんぞ何であるのかとつくづく思ってて」
「何だったら聞くよ。転移者同士分かることだってあるだろうし」
そう促されて、啓一はこれまでのことと気持ちをつらつら話してみせた。
「はあ……複雑な状況でつらいことになってるとは思うが、『役に立ってない』ってのはどうかね」
一通り聞き終えたジェイは、開口一番そう言う。
「どうかねって、役に立ってないじゃないか、明らかに」
「直接研究の役には立ってないにしても、事務処理で間接的に役に立ってる気はするぞ」
「百歩譲ってそうだとしても、今回の立ち会いはどう説明したらいいんだ。事務処理もほとんどなく、検査に一回参加したきりだぞ。しかもその検査のデータも、あっちのぽかで無駄になるし」
「……その辺は運が悪かったと思うしかないな。そもそも形式上なんだから、頼んだ側もそんなに動いてもらおうとは思ってないんじゃないのか」
「まあ、そもそもがあちらさんの完全な自己満足だからな。お飾りで充分なのかも知らん」
啓一は一応そう納得したようなことを言うが、やはり釈然としない顔をしていた。
「うーん……」
ジェイはそこで考え込むような顔になると、
「真島さん側はどう思ってんだろうな」
ひじを突いて言う。
「多分、相当困ってるだろうし悩んでるだろうとは思うよ。それは想像がつくが、つくんだが……止まらないんだよ、この思いが」
実を言うと、啓一とてサツキが申しわけなく思っているらしいことはうすうす感じていた。
だから、本来は彼女に愚痴など吐いて自分のつらさを押しつけたいとは思わない。
だが、止まらない。止まらぬのだ。
「厄介なら放り出してくれて正直構わんよ。どうせいつかは出て行くんだし」
「やけを起こしちゃ駄目だ。それ聞いたら、多分真島さんもっと苦しむぞ」
ジェイは、言葉を探りつつ言う。
実を言うと転移者の保護を手厚く行う理由には、このような精神面の問題もあった。
転移者の中で、適応出来ずに精神の均衡を崩す者は非常に多い。ジェイのように世をはかなんで自殺未遂を起こしたり、実際に自殺してしまう者もいるほどだ。
啓一の場合、均衡を崩すのを越えてかなり複雑に屈折してしまっているが……逆に言うと、それほどまでに異世界転移というのは精神的に打撃を与えるものなのである。
厄介だ、うっとうしい、面倒だ、と言うのは簡単だ。俗な言い方をして「ヘラっている」と後ろ指を差すのも簡単だ。
しかし人が基本的に弱い生き物である以上、こんなことがあるのは覚悟しなければならぬ。
(どうにもこいつはややっこしいことになってるな……)
ジェイは、何とも悩ましい思いにとらわれざるを得なかった。
「それに比べて、あんたの方は相当役に立ってる気がするんだけどな、俺としては」
「えっ……」
いきなり話を自分の方に向けられ、ジェイは眼を白黒させる。
「いや待ってくれ、私のどこが役に立ってるって……」
「今回の事件だよ。英田さんや葵さんを助けられたのは、あんたのおかげじゃないか」
「それこそ待て。それは偶然だ」
「考えてみてくれ。私の知識や技術はこの世界のものより余りに進みすぎの上に違いすぎていて、受け容れられるだけの土壌がないんだぞ。役立たずになる可能性なら、こっちの方が上だ」
「いや、こっちの技術水準を上げるくらいの役には……」
「無理だ、それこそ無理だよ」
ジェイは眼を伏せて言う。
「基礎がそもそも違う、基礎は一緒でも応用の向きが違う、基礎や応用まで一緒でも進みすぎで途中の過程をすっ飛ばす羽目になる……。同じ土俵に立ってないから、誰かに教えて活用してもらおうにも、ただ『そういうものだから納得しろ』と押しつけるだけ驚かすだけになっちまうよ。英田さんの意識を移す時に使った『自己同一識』の理論なんか、説明したけど要は『魂』のことだ。こっちは大まじめでもここじゃオカルト扱いだよ」
「うッ……」
予想以上の隔絶ぶりを強調され、啓一はつまった。
だが思えば、そのことはあのシェリルが見たこともないほど驚き続けた挙句、「理解不能」とばかりに口から蒸気を漏らしていたことからも分かる。
余りにもずれがひどすぎて、最初から通じ合えないのだ。こんな状況で技術水準を上げるための役に立てようなど絵空事であろう。
「だから役立たずは私も一緒だよ。しかも君よりもある意味ひどい役立たずだ」
「………」
「私の知識は、大学院まで十年以上かけて積み上げたものだ。それが全部使えなくなってるんだ、これが役立たずじゃなくて何なんだい」
ジェイは眼を伏せて、深々とため息をつく。
「で、そこ来てあのざまだ。不可抗力とはいえ……女の子九人置き去りだ、有無を言わさず置き去りだ。こんな男が、何の役に立てると?」
「………」
啓一はもはや、何も言えなかった。
既に三年経っているというのに、転移の打撃によって生まれたジェイの心の傷は癒えていなかったのである。
「……悪かった、考えが浅かったよ。話を聞かされて、思った以上に深刻だって分かったわ」
「いや、つい自分ばかりつらそうに語ってしまったけど、君の方も深刻じゃないってことはないさ」
そう言った後、二人はほぼ同時に何かを振り払うように首を振る。
「……持ちかけた俺から言うのも何だけど、やめにしないか?傷なめ合ってるみたいになってるよ」
「ああ、同意見だ。同病相憐れんでもどうにもならん。どのみち異分子なら最後まで異分子のまま生きるしかないだろう」
「済まなかった、妙な話を持ちかけて」
「いや……男同士、それも転移者同士で話するなんてまずないだろうからな。ありがたかったよ」
無理矢理元気を作ったような顔で、ジェイは頭を下げた。
当人は気づかなかったろうが、はたから見ると実に沈痛な面持ちである。
と、その時だった。
「……あ!もう一時間半経ってら、さすがにサツキさんにどやされる」
「帰った方がいいね」
「そうだな。じゃ、ありがとう。また機会があったら」
啓一がそう言って立ち上がったところで、エリナが顔を見せる。
近くで聞いていたようだが、ジェイも啓一も不問に付した。
そのまま啓一は、ジェイとエリナに見送られて辞去して行く。
「今日は私が料理するよ。ゆっくりしていなさい」
そう言い台所へ去るジェイの背中を見ながらエリナが立ち尽くしていると、廊下の奥から気まずげな顔をした清香が現れた。
「終わったんですか、充電?」
「随分前にね。……でもほら、私の部屋って近いからここの会話が思ったより聞こえるのよ。一応戻ろうとここまで来たはいいけど、何となく出て行きづらくて結果的に立ち聞きしちゃったの。もしかしてエリナさんもそのくち?」
「え、ええ。話が重たくなってて入るに入れず……」
「そうだと思うわ。邪魔していい話題じゃないもの」
エリナが困惑したような顔をするのに、清香は盆の窪を一つかく。
そして大きなため息をつくと、
「人の価値って、意外と見えないものなのよねえ……」
ぽつりとひとりごつように言った。
夕陽の照らす中、流しの水道の音が静かに響いている。
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