九 邂逅(三)
「ひどい目に遭ったもんだねえ。まさかあんたたちがあそこの世話になるなんてさ」
車のハンドルを握りながら、百枝はため息をついた。
あれから……。
十分ほどして、百枝の運転する軽自動車が鳥居の前にやって来た。
事情を聞いた百枝は、
「そりゃもう、すぐに帰った方がいい。いかな破落戸でも三歩歩けば忘れる鳥よか頭はいい、このままじゃまた出食わすぜ」
そう言って急いで二人を乗せたのである。
「啓一さん、あんた思い切って潰しちまえばよかったんだよ。あんな連中の金玉なんざ、後生大切にしてやるこたあない。生ごみはぶち砕いて袋ごと捨てるのがマナーってもんだ」
相当頭に来たのか、男でも控えそうなほどの悪罵をしてのける百枝に二人は引き気味となった。瑞香が心配する気持ちが多少ながら分かる気もする。
「しっかしなあ、一新興国産業のやつらめ……あたしらに迷惑かけるだけじゃなくて、よその人にまで不意打ちで精神攻撃するとかどれだけ糞ったれなんだか」
「余りいい噂を聞かない企業だとか」
「本社のあるここじゃいい噂を聞かないどころか、悪い噂ばっかりだよ。大体、あいつらが来たせいで緑ヶ丘の街が全部狂っちまったんだからな。今さら言っても後の祭りだが、表面上業種がまともだからって認めちまったのがまずかった」
「………」
「悪い、この話はやめておくことにするか。あたしが話すと怨み節だ。詳しいことは刑事殿か別の人に訊いてくれ」
サツキが暗い顔になったのを見て言わない方がいいと思ったか、百枝はそれきり一新興国産業のことを口に上せなかった。
途中乗合に抜かれながら、車は無事植月神社の下にたどり着く。
安心したのか、ふらつくサツキを支えながら啓一は車を降りた。
「ありがとうございます、お手間をおかけしまして」
「本当にすみません、こんな体たらくで」
口々に礼を言うのに、百枝は、
「まあ、いいってことさ。……ここなら安全だから、宿に帰るでも買い物するでもすればいいよ。下からごみが来たら、あたしがどやしつけて掃除してやるから安心しな」
軽く笑うと、立てかけてあったほうきを手に取る。
どうやら参道下周辺を掃除していたところで呼び出されたようだ。
「……どうするかね。宿に帰ろうか」
「いや、ちょっと待って。まだお昼を食べてないわ」
「いっけね、それがあったか」
ホテルの食堂は朝のみの営業なので、こればかりは外で食べないとどうしようもない。
「ま、しょうがないわな。手早く食べちまおう」
そう言って歩き始めた時だ。
「……一体どこへ」
小さな声で誰かがぶつぶつ言うのが聞こえて来る。
ふと振り返ると、参道にほど近い生け垣の前でメイドが腰をかがめて何かを探し回っていた。
「何か探しものですか?よければ手伝いますよ」
啓一がそう申し出て近づくのに、彼女は顔を上げると、
「お願い出来ますか。メイドがこのようなことを頼んではいけないのですが……あれ」
啓一の顔を見た途端に驚いたような声を上げる。
「もしかして、先日奥宮近くでお会いした方でしょうか」
「ええ、そうです。もしかしてと思ったらそうでしたか。あの時は失礼しました」
「いえ……それより、先ほどこの生け垣のそばを通った際、うかつにも枝に接触して缶入りののど飴を落としてしまいまして。小さいものではないのに、なかなか見つからないのです」
「どう落ちたんですか?」
「袋から飛び出て生け垣の中へ。落ちた音がしないのでどこかに引っかかっていそうなのですが」
再びかがんで、二人が探し始めた時だ。
「あれ?もしかして啓一さんの後ろに引っかかってるやつかしら?」
いつの間に近づいて来たのか、サツキが指差しながらそう言ったのである。
「えッ」
一斉に立ち上がると、何と随分上の方にのど飴の缶が引っかかっていた。
「どうしてそのようなところに……」
「さあ……でも本当に見つからなくて困った時は、視点を変えるといいってほんとね」
サツキは久々に笑うと、缶を手に取ってメイドに渡そうとする。
そして、立ち上がったメイドとしっかり顔を合わせた瞬間である。
「……英田先輩!?」
凝然としていきなりそう言ったものだ。
「………」
メイドはその言葉に一瞬無言となったが、ややあって、
「……恐れ入ります、どなたかとお間違えではないでしょうか。私はセレナと申しまして、この上の家でメイドをしておりますアンドロイドです」
冷静な声で答える。
「………!す、すみません!顔つきが今探している知り合いに似ていたので」
「それは……」
「そ、そうよね、英田先輩の髪もっと青色がかってるし眼の色も濃いめだし。第一先輩は人間なんだし、その時点で有り得ないわよね。どうかしてるわ、私」
そうまくし立てて顔を赤くしながら、セレナに缶を渡した。
「……ありがとうございます。残念ながら、その英田さんという方については何も存じ上げません。私は敷地を巡回するか、こうして臨時の買い物に出るかくらいでしか外に出ませんので」
「サツキさん、気持ちは分かるけど種族違いじゃさすがに他人の空似ってやつだ。……すみません、ちょっと彼女、人探しをしていまして」
「そういうことでしたか。お手伝いしたいところですが……残念ながら先のような状況ですので、お力にはなれないかと存じます」
「いえ、構いません。気にしないでください」
サツキの言葉を聞きながら、セレナは缶をしまい、
「改めて感謝申し上げます。それでは、お嬢様がお待ちですので失礼いたします」
メイドにつきもののカーテシー(足を軽く組みスカートの両端をつかんで持ち上げる礼)をていねいに行うと、神社横の宮の坂を上って行った。
「はあ、びっくりした……。本気で本人かと思ったわ」
「そんなに顔つき似てたのかい。……というより俺、英田さんの顔知らなかったわ」
「あ、そうだったわね……これ」
サツキはすっと携帯電話を出すと、一枚の写真を見せる。
「この私の横の人」
「ああ……分からんでもないな。特徴的な眼してるし」
指差された女性の顔を見た瞬間、啓一は納得した。
確かに青灰色の髪と橙色の眼を黒と山吹色に変えれば、あのセレナになるといえばなる。
「でもなあ、あのメイドさん少し細めじゃなかったか?服のせいかも知らんが」
「あ、あらやだ、そうだった?そこまで間違えるなんて……」
「しょうがないんじゃないか、それだけ必死なんだし」
しゅん、と耳を垂れるサツキをそう慰めると、啓一は、
「しっかし何だ……何者なんだろうな、あの人の主人とやらは。この街の状況を考えると、隠棲してるってのはいかにも怪しそうだが」
腕を組みながら言った。
「それはさすがにうがちすぎじゃないかしら」
「いや、そうでもないですよ」
「そうか……ってうわあ、シェリル!?」
突然背後に現れたシェリルに、啓一はのけぞる。
「い、いきなり現れるな、このからくり人形!」
「禾津さんまで『からくり人形』呼ばわりですか……」
げっそりとした顔をするシェリルに、啓一は苦笑した。
「あのですね、私たちの仲ですから冗談で済みますけど、下手に言っちゃいけませんよ。種族差別扱いになることがありますから」
「す、すまん」
啓一が小さくなるのにシェリルが一つため息をつくと、
「それより『そうでもない』ってどういうこと?あの人のご主人に目をつけてるってこと?」
サツキが話を元に戻す。
「有り体に言えばそういうことですね。私と一緒にいた部下二人がいましたでしょう」
「ああ。あれから顔見てないが」
「それはそうです、桜通で探りをかけてる最中なので。で、この二人が特定の日に何度も同じ人物が妙な行動をしているのを見かけたんです」
当初、潜入していた刑事はこの人物を気にも止めていなかった。
しかし余りに何度も現われ、何度も同じアダルトショップをはしごしていることに気づいたため、とりあえず追ってみることにしたのだという。
すると、何とも意外なものを探していることが分かったのだ。
「何でもですね、新しい等身大ドールが入っていないかと訊いて回っているんだそうです。さすがに毎回ではないようなんですが……」
等身大ドール、つまりはそちらの処理に使う人形のことである。
正直かなり高いもので、高級品になると我々の世界では数十万はするものだ。
「要は『オランダ妻』のリアルなやつか」
「そうですね。ただあんな特殊な代物、そう置いてあるものじゃないでしょう」
「そりゃそうだ、無理がある」
確かに、値段と大きさとを考えるとそう簡単に置いてあるわけがない。
もしあるとすれば、それ専門の店くらいだ。数がどれだけあるかは知らぬが……。
「それを入ったか入ったかと、定期的に何度も同じ店で訊くなんて普通じゃありませんよ。単に運が悪くて手に入らないだけなのかも知れませんが、やはり何か妙な意図があるんじゃないかと勘繰ってしまいます。些細な異変でも、意外な手がかりにつながることは少なくないですからね」
「うーん……言われてみればな。というより、取り寄せすりゃいいだけの話だろうに」
「それは私も思いましたね。現物を見て選びたいのかも知れませんけども」
「ものを考えると、分からんじゃないが……」
啓一はそう言って首をかしげた。確かにただ探しているにしては、いささか面妖である。
「そこでまず何者かを突き止めるため、尾行をしてみたんですよ。すると何と、ちょうどこの坂を上へと上がって行ったそうなんです。道が狭くて目立つというのでそれ以上の尾行は断念されましたが、面相だけは確認したため聞き込みをしたところ、一番上に住居を構えるジェイ・ヤシロという人だということが分かりました」
聞いたことのある苗字に、啓一が食いついた。
「おいおい、何だ?その人、もしかすると植月神社の裏隣にある家の主人じゃないのか?前に倉敷さんから苗字だけだが聞いたぞ」
「そうなりますね。ご存知でしたか」
「そこ、家人はほとんど外出しないって話だったんだが……まさか主人が悪所通いしてたとはなあ。ひとり者ならまだしも、同居人がいるんだぞ。現にさっきそこんちのメイドさんと会ったし、もう一人女性もいるっぽいから……最低三人家族になるはずだ」
「ええ、同居人がそれだけいるってのに変な話ですよ、誰か見とがめないのかと」
ここまで言ったところで、サツキが話に割り込んで来る。
「ちょっと待って。いろいろ不審な人なのは確かだけど、見張って何か甲斐がありそうに思えないわ。反社の捜査って大変そうだし、手がかりがほしいのは分かるけど……」
「確かにそれだけなら、そのうちこちらも監視対象から外した可能性はあります。何が出るか分からない場所ですし、他のところなら驚くような不審者が普通にいてもおかしくないと」
ところが、意外なところでそれがただの不審者ではなくなった。
宮子がさるサーバをハッキング中、別の場所からハッキングが行われていることを発見したのが、そのきっかけである。
自分たち以外にそんなことをする者がいるのをいぶかしんだ宮子が、慎重に発信元をたどったところ、何とヤシロ宅附近から行われていることが分かったのだ。
「えッ、それって、あそこの主人が……」
「恐らくはそうでしょう」
一方でともすれば反社会的勢力に益するかも知れない行為を取りながら、一方でその懐を探るような行為をしている。
こんな矛盾を行っている可能性があるとなっては、放っておくわけには行かなくなった。
「何か警察に隠したままで独自に調べてるとかかしら?」
「有り得ますが、意図は全くもって不明です。何のデータを見ているかだけでも分かれば予想もつくんですが、何せ『恐ろしい
「あなたのところも大変ねえ」
サツキがため息をついてそう言った時である。
いつの間にか、百枝がすぐそばまでやって来て話を聞いているのに気づいた。
だが、様子が少々おかしい。ヤシロ家に興味がないと言っていたのに、必死に聞いているのだ。
「……倉敷さん、どうかしたんですか?」
思わず不思議の体になって啓一が呼びかけると、百枝は、
「うお、な、何だい」
我に返ったようにおたおたと答える。
「いや、わざわざ来てまで聞いてるんで……何かあるのかなと」
「ち、違うよ。隣人が桜通通いのやつだなんて、聞き捨てならないじゃねえか」
「まあ、それもそうですか」
その様子に首をひねりつつ、啓一は二人の方に向き直った。
「しっかし、その分だと俺の予想は外れたなあ。もしかすると、あの人が『高徳』やってたりしないかな、なんて思ってたんだけど」
「……それはさすがにないと思いますよ、禾津さん」
「そうよ。それに技術者なんだし、古典文学なんてまず縁がないでしょ」
シェリルにじとりとした眼で否定され、サツキに一笑に付された啓一は、
「ええ……倉敷さんはどう思います?」
百枝に助けを求めるように水を向ける。
だが返って来たのは、
「え……違うんじゃね?」
何とも頼りない声での否定だった。
いつもなら苦笑しながら伝法な口調で返しそうなものを、少々妙な感じである。
「……というより、『高徳』のことどこで知ったよ?」
「いや、シェリルからなんですがね……」
そう訊ねて来る百枝に、啓一はさっと昨日の話をしてみせた。
「そうか……しかしそんなもん、よく手に入ったな」
「投函し損ねたらしく、玄関先に落ちていたそうです。それに住民が気づかずにいたのを、通報を受けた警察官が発見して……という流れだと聞きました」
「あー……疲れててとちっちまったかな?」
「まあ、どう考えても幽霊や妖怪の類じゃないでしょうから疲れるでしょうね」
百枝の言葉にシェリルが苦笑混じりに言うのに、啓一も思わず笑ったが、
(………?)
何やら引っかかるものを感じていぶかしげな顔となる。
どうやらシェリルやサツキもそうだったらしく、軽く首をひねるなどしていた。
場が妙な雰囲気になったところで、百枝が急にサツキの方を向き、
「あ、そんなことよりさ……サツキさん、早く帰った方がよくね?」
今までの話を振り切るようにして声をかけた。
「そういえば……何だかとても疲れた顔してますね。何かありました……?」
シェリルが心配そうに言うのに、これまでの
「運が悪かったですね……ほんとに」
一瞬絶句してようやくそれだけ言う。
「一新興国産業もいろいろあるためうちの捜査対象なんですが、この分だとお話はやめておいた方がいいですかね。第一、失踪事件の話からかなり大きく外れてしまいますから」
「そうしてくれ。かなり精神的にまいってるし、今日はこれ以上はやめで頼む」
「分かりました。……サツキちゃん、どうかお大事に」
そう言うとシェリルは背伸びしながらサツキの頭を一なでし、どこへともなく去って行った。
「はあ……お腹すいたわ。ショッピングセンターのフードコートでも行きましょ。……それじゃ倉敷さん、失礼します」
「……失礼します」
そう言って一礼し歩き出すのに、啓一も頭を下げてゆっくりと歩き出す。
百枝はそれをいやに険しい顔をして見送っていたが、すぐにきびすを返して掃除へと戻った。
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