七 落陽(二)

 二日後、初めての週末がやって来た。

 今日は休工日とあって、啓一たちも休みである。

 朝食を食べて戻って来た二人は、ロビーに座って話していた。

「こういう時、どうしてるんだい?」

「そうね……少し報告書をまとめる準備をしてから、散歩や買い物に出かけたりするわ。仕事のために来てる身だけど、これくらいの息抜きは許されてるから。でも……」

「今回は事情が事情だからなあ……」

 いかんせん、本来なら休みを過ごすのに絶好の場所である中心部が、常識外れの危険地帯という街である。安全なこの地域で過ごすしかなかろう。

「まあ、この地域も自然豊かなところだし……散歩するのもいいんじゃないかな。どうせ昼も食べなけりゃいけないから」

「そうしましょうか……あら、新聞に載ってるわ、目撃情報の件」

「ほんとだ。連邦警察、正式に発表したのか」

 そもそも連続事件と目される失踪事件に、ここに来て初めて有力な目撃情報がもたらされたのである。積極的に発表しない理由はないはずだ。

「多分、もう目撃者と接触してるんだろうな。まあ他に中心部がらみで仕事があるみたいだから、そっちに回ってるかも知れないが」

「話を聞きたいけど、会えるかしらね」

「どうだろうなあ。でもどうせまた一人でうろうろしてんだろ、普通に会えたりしてな」

「まあ、それもそうね。絶対現れないわけないわ」

 サツキはそう答えると、耳を一つかいてみせる。

 どうも刑事らしからぬ信頼を得ているように思えてならないが、事実なのだから仕方ない話だ。

「それはともかく、どこ行く?あなたの好きなようでいいわよ」

「んー、俺はあそこの神社行きたいな。植月神社」

「倉敷さんのとこね」

「何を祀ってるのか気にかかってさ。ここ、いろいろ日本本体とは勝手違うみたいだし」

 啓一は大学や大学院での専攻の関係で、寺社仏閣をこよなく愛している。このため日本人の作った国と聞いて、さっそくそちらに興味を持ったのだ。

 そこで驚いたのが、新星で二番目に大きい新星神社が北極星と同一視されるあめ之御のみなかぬしのかみを祀っていたことである。星を祀る「妙見信仰」で登場する神であるが、日本では大社はそこそこあるものの全体数はそれほどでもないのが実情だ。

 それが宇宙で「星」つながりということだろうか、首都で大社殿を営み崇敬されているというのは大変に面白い話である。

「ちょっと行ってみましょ。私も神社は好きだし」

「そんじゃ、さっそく」

 宿を出ると、そこはもう植月町の目抜き通りだ。

 家々のすき間から、中心部の街並みが見える。知らない者が見れば何のことはない街だが、事情を知っている身にはその姿はどこか灰色に濁って見えた。

 西は丘陵地帯となっており、いわゆる「里山」の雰囲気を見せている。

 植月神社はその一角、宿からすぐそばの丘の上にあるようだった。

「よっしゃ、ここから一上りだな」

 そう言って屈伸をすると、鳥居で一礼して参道の階段を真ん中を空けて上り始める。

 だがそれから五分後、二人は踊り場で横を見たまま呆然と立っていた。

「………」

「……何これ」

 眼の前には、休憩のために作られたとおぼしき石造りのベンチとテーブルがある。

 そこに、猫がたくさん寝ていた。三毛やら茶虎やら雉虎やら、地域で面倒を見ているのか二人が近づいても逃げない。

 が、問題はそこではなかった。

「何やってんだ、勝山さん……一緒に寝てるし」

「……見事な丸まり方ね」

 これである。

 何とそこには先日見かけたプログラマーの勝山宮子が、「猫」を主張せんばかりに丸まって寝ていたのだ。ついでのように、上には八割れの白黒が乗っかっている。

 余りにも斜め上の光景に二人が唖然としていると、

「あっ……勝山さん!やっぱりここでしたか」

 下からいきなりシェリルの声が響いて来た。

「お、おい、シェリル!?何でお前さんが?」

「何でも何も、訪ねて来たらいないんですから……近所の人に訊いて探しに来たんですよ」

 そういうことを訊きたいのではないが、本人がかなりあせっているので今は置く。

 シェリルの姿を見かけるや、八割れがぺしぺしと宮子をたたいた。

「『起きろ迎えだぞ』ですって」

 狐族など獣人は、ある程度まで動物の言葉が分かる。

「ああ、二人も一緒に起こしてください。全くもう……」

 そう言っている間に、既にぺしぺし、ちょいちょいと猫たちが宮子をたたいていた。

「……んー、この缶詰は食べらんないやつだよー」

 思い切り寝ぼけている宮子を、三人総出で起こす。

「えっ!?あっ……シェリル!?」

 ようやくしっかり眼を覚ました宮子は、シェリルを見るなりがばあっと起きた。

「こんなところでひるしてるとは思いませんでしたよ」

「余りに起きないんで、そこの茶虎ちゃんが『ええい猫パンチ食らわせたろか』言ってましたよ」

「ほのぼのしてる光景じゃあるけど、これは驚くな……」

「………」

 三者三様の言葉に宮子女史、言葉もない。

「……で、頼んでおいた仕事は、どうなってるんですか?」

 シェリルが珍しく怒った声で言うと、宮子は、

「あ、それは出来てる。しっかり釣果ありだよ」

 まじめな顔になって言った。

「なるほど。じゃあ行きますよ」

「ま、待った!そんながしっとつかまなくても!」

「はいはい。……失礼しました、二人とも」

 シェリルはほとんど何も説明しないまま、宮子を連れてどやどやと下りて行ってしまう。

「何があったんだ、あれ?」

「……さあ。仕事って言ってたわね」

「何だ?やかましいと思ったら、オタ猫が刑事殿に引っ張られて行ったのか」

 伝法な声にふと上を見ると、百枝がほうきを持って立っていた。

「あ……こんにちは、倉敷さん」

「こんにちは」

「ああ。……すまないな、びっくりしたろ。あいつ時々ここで猫と午睡しててさ」

「仕事頼まれといてあれですか」

「一瞬不安になっちまうけど、ああしてる時は完璧にやりきった証拠なんだってさ。刑事殿も言ってたから、多分今日もそうだろ」

「はあ……」

 頼んだ当のシェリルがそう言っているのなら問題ないのだろうが、不安はぬぐいきれない。

「それにしても『オタ猫』って……」

「ほんとのことだ。すさまじいコンピュータおたくだぜ、あいつ。ついでに言うとハッキングも出来るらしい。ふかしじゃなくて、国内でも有数だってさ」

 つまりは凄腕のハッカーだということだ。

 もっともなぜそんな人物にシェリルが仕事を頼んでいるのか、そもそも民間人なのに頼んでいいものなのかという疑問が湧くのだが……。

 話を元に戻そう。

「そういや、あんたらはもしかするとお参りか?」

 二人がうなずくと、百枝は先に立って歩き出した。

 しばらくすると、そこには大きな社殿ときれいに掃き清められた境内が現れる。

 鳥居が手前にあるので、むろん一礼して入った。

「ちょうど掃除が終わったばかりだから、ゆっくりして行きな」

 そう言って、百枝は社務所らしき建物へと引っ込んで行く。

 手水を済まし、二礼二拍手一礼で参拝を終えると、啓一は改めて社殿を見る。

「……うーん、結構しっかりした神社だな。まあ四年前に鎮守さんとして建てられたやつだから当たり前だが、これって倉敷さんが一人で管理してんのかね?」

 眼の前の社殿は、「鎮守」の名にふさわしく本殿も拝殿もそれなりの大きさのものだ。

 通常これくらいの神社なら管理は最低でも一家族がしているものなので、百枝が宮司を兼ねてまで一人ぼっちで回しているというのはいささか妙である。

 首をひねっていると百枝が、

「お茶持って来た。よかったら飲んでくれ、そこ座っていいから」

 ポットと紙コップを持ってやって来た。

 ありがたく二人で賽銭箱の横に座ってご相伴にあずかりつつ、啓一はさっきのことを訊ねてみる。

「いや、本当にあたしだけさ。本来なら他にも何人か来る予定だったんだけどな……」

 実は当初の計画では自分の他にも従姉妹たちが連れ立って来る予定だった、と百枝は語った。

「うちの一族、神社関係者ばっかりなんだよ。あたし自身が神社の娘だし、従姉妹も何やかやで神職やってたり巫女やってたりで、神社作るなら行きたいって言うやつも多かったんだ」

 ところが一族内では、移民に対して賛否が分かれていた。

 この際に反対派についた一部の親族が家族の移住すら禁止するという過激な行動に出たため、それに引っかかった従姉妹たちがことごとく来られなくなってしまったのだという。

「よりによって全員がそれだもんな……結局、あたし一人きりになっちまった。まあ神職の資格持ってたから、宮司も務められたのが不幸中の幸いだったけどな」

「人を雇ったりは……」

「それも考えた。だけど自分の生活と神社の維持整備だけで精一杯で、自由になる金なんて小づかい程度、給金なんて出せやしねえ。それ以前に、巫女だけじゃなくて神職も雇わないといけないってのがな。あれは資格がいるから人が限られるし……完全に手詰まりだよ」

 神社というと賽銭やらはつりょう(神社への謝礼金)やら寄附やらでそれなりの収入みいりがありそうなものだが、どうやらそれでもかなり苦しいようだ。

 しかもこれだけの神社だと、どう考えても一人で巫女と兼業しながらというのは無理のはずで、最低でももう一人二人は神職がいないと厳しいだろう。

 件の従姉妹たちの中に神職もいたというのだから、移住禁止さえなければ解決した問題のはずだ。何を思ったか知らないが、無理矢理束縛した親戚とやらにひとごとながら腹が立つ。

 もっとも百枝自身はもうしょうがないというような口ぶりなので、こちらは何も言えないのだが。

「神職さんってやっぱりいないと駄目なんですか?巫女さんだけでもよさそうですけど」

 これはサツキである。

「違う違う。知らない人によく勘違いされるんだが、巫女だけじゃ完全な祭祀は出来ない。大きいところだと神職の補助したり神楽や舞をしたりするが、多くのとこは実質ただの手伝いなんだ。だから何の資格もいらない。極端な話、作法を少し覚えればその辺の人だって出来る」

「そういうものなんですか……」

「そういうもんさ。祭祀の一番大切な部分、祝詞上げたり祈禱したりってとこは神職じゃないと出来ないから、いないと神社自体が成り立たない。当然専門知識が必要になるから、大学の専門の学部や養成所に通ってみっちり勉強する必要があるんだ。それで資格を取って、はじめて神職として祭祀の根本に関われるようになるのさ。巫女でこれ取って神職を兼務する人もいて、あたしもその口なんだが……なかなか分かってもらえないもんなんだよなあ」

 もっとも見かけ上巫女一人でやっているようにしか見えないような状態では、こういう誤解を招いてしまうのも仕方がない話だ。

「そこのところ、漫画やアニメの影響もあってか勘違いされてますよねえ。考えればすごいもんだ、巫女ってだけで妖怪と戦わせられたりするんだから」

「んで勝てば万々歳だが、負ければこっぴどい目に遭わされたりするんだもんな。あんなんだったらあたしこの仕事やってないよ」

 啓一の言葉にからからと笑うと、百枝は神社の説明を始める。

「境内はこのご本殿がど真ん中で、奥の方のご神木辺りからご本殿の裏へ回るようにして別個にいろんな神社をお祀りしてある。関係してるとこはもちろんのこと、主要なとこも大体な。敷地に限りがあるから全部とは行かねえが」

「ということは、摂末社が結構あるってことですか」

「そうだな、大きいのから小さいのまでいろいろだ」

「す、すいません。『せつまっしゃ』って何ですか?」

「『摂社』と『末社』のことで、神社にくっついた小さな神社だ。『摂社』は本体と何かの強い関わりがある神様とか、地主神といって鎮座地に縁のある神様とか祀ってる。『末社』はそれ以外、大抵有名神社をちょこんと祀ってるようなのだよ」

「そういえば、よく小さなお宮がありますね。あれって何だろうと思ってたんですよ」

 百枝はうなずくと、賽銭箱横の箱から神社案内の紙を取り、

「前置きはこれくらいにして。ご本殿の祭神は主神が鏡作かがみつくりのかみ相殿神あいどのしんあめのぬかどのかみ石凝いしこりどめのかみ。主神がメイン、相殿神がサブで、互いに非常に強い関係がある」

 二人に渡しながら説明してみせた。

「石凝姥神は知ってますよ。天の岩戸隠れの時にたのかがみを作った神様ですね」

「ああ。天糠戸神は親だってさ。……ただ、異伝にしか出て来ないみたいだが」

「あの辺は『古事記』と『日本書紀』本文と一書いっしょ(異伝)で違いが烈しくてぐっちゃぐちゃですから、あまり深く考えない方が」

「ん、詳しいのかい。そいや『日本書紀』読まされたけど、神代のとこはいちいち『一書あるふみに曰く』が入るんでうんざりしたな……何であそこだけああ律儀なんだ」

「素直に読み物にするなら、やっぱり『古事記』ですよ。俺もあっちが好きです」

 どうやらこう話をしてみると、この世界の神道や日本神話は元の世界と同一らしい。先述したように啓一にとっては自分の専門領域なので、これは実にありがたかった。

(こう共通点が多いとなると、他のとこでもある程度元の世界の知識で話しても大丈夫かね)

 こんな本当に日常では触れないところまで一緒となると、知識が通じないのではないかという懸念はそろそろしなくてもいいのではないかという気がして来る。

 だがそうして啓一が気をよくする一方で、サツキは困惑したような顔をしていた。

 そして二人の話が途切れたところで、

「何というか……神道や神話って、ややこしいんですね。私は理系なので分からなくて」

 いかにも言いづらそうにおずおずと訊ねて来たのである。

「あッ……」

 ここで啓一はしまったという顔になった。

(話が勢いでマニアックに振れすぎた)

 このことである。

 今の話は、啓一のように日本上代文学、すなわち『古事記』『日本書紀』『風土記』辺りが専門で日本神話に触れていたり、日本古代史に詳しかったりすればまだ話が分かったはずだ。

 だが理系一筋、恐らくこういった知識がほぼないであろうサツキに対してそれについて来いというのは、控えめに考えても無理がある。

(普段仕事が分からないとぼやいているくせに、得意な分野になると置いてけぼりかよ)

 最悪だ、と啓一は唇を噛んだ。

「い、いや、気にしないでいいんですよ。私が余りにも知らなさすぎるだけなんで」

「だけど……」

 気まずい空気になりかけたところで、それを破るように百枝がぱん、と手をたたく。

「まあ、ともかく。これは岡山県津山市にある中山神社って神社の分祀だ」

「ちょっと待ってください、津山の中山神社ですか!?津山、俺の母親の故郷くにですよ」

「そりゃあ奇遇だ。この地区の住民は、津山周辺からの移民が中心なんだよ。それもあって、せっかく祀るなら中山神社を……ってなったらしくてな」

 中山神社は「みまさかのくにいちのみや」と呼ばれ、美作国内で最も格の高い神社として扱われて来た、創建は八世紀初頭と伝える古社だ。

 本殿が妻入り、すなわち狭い側に入口のある形式で、そこに横向きに拝殿が配されるという逆丁字型の形状をした「中山造」という独特の建築様式で有名でもある。

 ここもそれにならっている辺り、どうやらこの辺は我々の世界と同じようだ。

「意外な出会いもあるものね。地域で移民団を組んでコロニーを造る例って多いから」

「まあな。ただ中心部の破落戸連中は違うぞ。あいつらはどこから入って来たとも、どこの馬の骨とも分からない連中だ。美作の者……というより、ここに移住して来た各地の人たちに、あんな糞ったれはいないからな」

「分かってますよ。あんな人たち、同じ人とも思いたくありませんし」

 一生懸命に言う百枝に、サツキが力強く答える。

「……そうだ、あと一つだけ紹介したいのがある。サツキさんもよけりゃ」

「いいですよ」

 百枝は本殿横のご神木を通り過ぎ、境内の右奥にあるやや大きめの社に二人を連れて行った。

「摂社の『さく神社じんじゃ』だ。『作る』に『楽』で『さくら』さ」

「ああ……祭神は後醍醐帝と島高徳じまたかのりですか?」

「大当り。やっぱり知ってるんだな」

「そうです。『船坂山ふなさかやまや杉坂と、御あと慕いていんのしょう』ですね」

 啓一が一発で当てたのに驚いているサツキに、百枝は、

「古典文学に『太平記』っていう軍記物があってな、その中に出て来るエピソードの舞台が津山郊外の院庄ってとこにあった館なんだ。その跡地に建ってる神社を分祀してもらったって寸法」

 ささっと軽く説明する。

 本当は長たらしい説明がいるのだが、これ以上彼女に負担をかけるのはいかにも気が引けた。

 その時である。啓一は、摂末社群の並ぶ中に小さな道を見出した。

「あの道、どこに通じてるんですか」

「ん?ああ、ありゃ奥宮だ」

「奥宮があるんですか」

 百枝はうなずくとサツキの方を向き、

「ああ……奥宮ってのは本殿のさらに奥にある特別なお宮だよ。神社にとって特別な場所に特別な意味を込めて祀ったもんだ。うちの場合、元になった中山神社が『吉備の中山』からかんじょうされたって伝説があるから、それにちなんで作ったらどうかって話になってのことだけど」

 なるべく噛み砕いて説明する。

「結構林が深そうですね……行けますか?」

「ああ、大丈夫大丈夫。中入ると意外とすっきりしてるから。それにそこ以外は木もまばら、『奥宮町おくみやまち』って住所ついて人住んでるくらいだぜ」

「なるほど」

 そう言うと、啓一は屈伸をし始めた。

「ちょっと行って来るよ」

「あ、じゃあ私も……」

「いいよ、これ以上俺の趣味につき合うことはないさ」

「そんな」

 サツキがそう言うのもいい加減に、啓一は細道を入って行く。

「あッ、いけね!注意するの忘れた……」

 百枝があわてて言うが、当の啓一はまるで聞いていなかった。

 言われた通り、中に入ると比較的歩きやすい雑木林である。道も一本道、さして勾配もなかった。

(はあ……おたくの悪い癖なんだよなあ。しかも自分の知識が役に立たなくて鬱憤たまってたから余計にああなったなんて、情けなくてしょうがないわ)

 サツキが自分のことを気にかけてくれているのをうすうす感じていただけに、話が通じてうれしくなった程度で彼女を置き去りにしたことを改めて悔いていた。

 その直後である。いきなり深い藪が周囲から迫って来た。

「やべ、間違えたか?」

 そう思って急に立ち止まったところ、足許の枝にけつまずいて体勢を崩してしまう。

「とッ、ととととッ!」

 危ういところで持ち直したが、藪に思い切り突っ込んでしまった。

「くっそう……」

 特大のため息をついて頭を抱え、前を向いた瞬間である。

 いきなり、藪をこいてぬっと何かが現れた。

「えッ!?」

 驚いてのけぞったが、よく見てみると人である。

(メイドさん……?何で藪の中から)

 そこにいたのは、黒いセミロングの髪に藍色の地味なメイド服を着たメイドであった。

「どうされましたか」

 啓一の驚きをよそに、メイドは表情一つ変えず問う。

「すみません、奥宮に行こうと思って道に迷ってしまって」

「奥宮は戻ったところを右です。ここから先は、私有地となりますのでご遠慮を」

 相変わらず淡々と案内すると、用は済んだとばかりに背を向けた。

「全く、マスターも柵を設けるなりすればよろしいのに……面倒くさがるからいけないのです」

 せりふは完全なぼやきだが、声はあくまで冷淡である。

 察するに仕えている家の敷地の境目に柵がないため巡回をしているのだろうが、やはり藪から棒ならぬ藪からメイドというのは異様の感がぬぐえなかった。

 何とか彼女の案内通り奥宮にたどり着いた啓一は、参拝を終えて境内へと戻る。

 行きに暗いことを考えていたところに、件のメイドの冷淡な態度はやはり精神的に効いていた。

「ああ、おかえり。迷っただろ?」

「え、どうしてそれを?」

「だって『途中左折だよ』ってあたしが注意しようとしたのに、どんどん行っちまうんだもの」

「すみません……。まっすぐ行って藪に突っ込んで、私有地だとメイドさんに叱られました」

「メイドさん……?どうしてそんなところに」

 これはサツキである。さもありなん、言葉だけ聞けば面妖極まることだ。

「ああ、それ……お隣のヤシロさんとこのメイドさんだ。時折巡回してるんだよな」

「ん?そういや、敷地に柵を作らないんで……みたいなこと言ってました」

「あたしもそれは聞いた。柵の一つくらいすぐに作れるだろに」

 百枝によると、件のメイドは昼夜を問わず定期的に巡回をしているらしい。

「回るのはいいんだが、真夜中に回ってたのにはさすがにびっくりしたぜ。しかも夜回りの人と出食わしてちょっとした騒ぎになるし……」

 植月町の町内会では夜回りを出しているのだが、ある時植月神社の横から奥宮町へと向かう宮の坂という坂を巡回していた際、突き当たりのヤシロ家の門先にあのメイドが急に現れたのだ。

 時刻が夜中の二時とあって、不審者扱いされたのは言うまでもない。

 百枝を含む近隣住民が集まり騒然とする中、本人が事情を説明して話し合いをした末、以後なるたけ控える旨を約束してその場は収まった。

「控えるとは言ってたが、やらないとは言ってないからな。今も夜回りの人とぶつからない範囲でやってるらしい。そこまで根性でやることかと思うぞ、主人もよく止めないもんだ」

「というより、騒ぎの時に主人は出て来なかったんですか」

「何か知らんが、風邪で熱出してたらしい。でも、治った後にちょいとあいさつくらいあってもよかろうに、何にもなかったんだからな」

「何とも面妖な話ですねえ」

 この話だけを聞いても、そのヤシロ家なる隣人はどうにも普通ではない。

「その分だと、ここに最初から住んでた人じゃないですよね?」

「ああ、後から引っ越して来た。研究室つきなんて変わった家に越して来たもんだから、町内でちょっと話題になったな」

 ヤシロ家が住んでいる家は、元はさるアンドロイド技術者が別宅として建てた家だった。

 これが事情があって手放されたものの、特殊な物件ゆえに買い手がつかず近所でも有名な空家となっていたのを、いきなり三年前に買って入居したのだという。

「となると、ご主人か誰かがアンドロイド関連の技術者なんですかね?」

「多分な。そうでもなけりゃ買わねえんじゃね」

 啓一が首をひねるのに、気のないような声で答えてみせた。

「そんなことよりおかしいのは、誰が住んでるのか全然分からないことなんだよな」

 ヤシロ家は、先ほどのメイドを含めると一応三人暮らしらしい。

 「一応」という表現になってしまうのは、本当にそうなのか分かっていないからだ。

「普通さ、庭くらいには出るだろ。ところがあそこ、あのメイドさん以外それすらもないんだよ。とりあえずメイドさんと主人は確定。窓越しにサツキさんより少し小さいくらいの女の子がいるのを何度か見たことがあるから、これも確定でとりあえず三人と。それ以外は知らねえ」

「名前だけでも分からないんですか?」

「分からねえ。件の騒動の時もメイドさん名乗らなかったしな」

「ええ……それはさすがにないでしょう」

 メイドの有り得ない行動に、啓一は開いた口がふさがらないとばかりに言う。

 何もないのならそれでも問題ないが、一悶着起こして名乗らぬとはどういうことなのだ。

「だろ?騒動起こしてなお名乗らないんだから、他が名乗るなんて期待出来ねえ。こっちも失礼だと遠慮して訊かねえから、永遠に分かんねえだろな」

「そんなに姿も名も隠すなんて、何かわけあって隠れ住んでるんですかね?」

「さあ……それはこっちが訊きたいさ」

 百枝はそう言って肩をすくめてみせる。

「ま、別に何か害があるわけじゃなし、どうでもいいんだけどさ……。それより、昼だよ。戻ったりしなくていいのかい」

 言われるまま時計を見ると、確かに正午を回っていた。

「じゃあ、帰るか。いいかな、サツキさん」

「え、ええ。いいわよ」

 サツキがうなずくのを確認した啓一は、

「じゃあ、失礼します。またいつか」

「では……」

 そうあいさつして境内を辞去する。

 石段をてくてくと下りて行く二人の後ろ姿を見ながら、百枝が、

「……面倒なことになんなけりゃいいが」

 そうつぶやいたのを聞く者は誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る