七 落陽(一)

 翌日の朝。

 サツキと啓一は、さっそく仕事に取りかかることになった。

 修理が行われる反重力プールは、奇しくも同じ植月町にある市立体育館に設置されたものである。

 半分を地下に埋設する形式で高さは地上地下合わせても三メートルと小さなものだが、重力学研究所に設計依頼をする際にいろいろと注文をつけたため構造がかなり独特になっており、市だけでは修理が難航することが予想された。

 そこで図面を引いてもらったなら修理も手伝ってもらおう、ついでにとびきり優秀な人物に来てもらおうと話が投げられた結果、二人はこんなところまで引っ張られて来てしまったのである。

 だが、二人の立場はあくまで「立ち会い」だ。基本的に現場そばの天幕で待機しつつ、要請に応じて理論面からのアドバイスをすることしか出来ない。それだけで対応しきれない場合は現場に入って実見や検査をすることも可能だが、必要以上の手出し口出しは認められていなかった。

 こんな中途半端なありさまでは、とてもではないがまともな出番なぞ望めたものではないだろう。事実今のところ必要とされる場面はなく、二人はデータ整理などをしながら過ごしていた。

「まさに立ち会いって感じだな。何だか一生懸命やってる技師さんたちに悪い気がする」

「気持ちは分かるけど、権限がないんだから仕方ないわ。それに仮に手伝えたとしても、直接いじれるだけの伎倆うでがないんだから無理よ。技術の人ならともかく、こっちは理論だもの……」

 椅子に座って参考資料を見返しつつ、サツキが言う。

 これは設計に用いられた理論を記した論文類で、その道の者にしか理解出来ないものだ。当然のごとく啓一には意味不明でしかない。

 結果、いつも通りメモをまとめるくらいのことしか出来ない状態であった。

「でも君はアドバイス出来るだけまだましだろう、俺なんかまるで何の役にも立ちそうにないぞ。お偉いさんに、地蔵を連れて来たのかと文句言われなきゃいいが」

「そんなの言われないわよ、出来ることすればいいの。それに……」

「え?」

「……あ、いや、何でもないわ」

 サツキは、余計なことを言おうとしてしまったとあわてて口をつぐんだ。

(『こういう状況で助手に出来ることはほとんどない』なんて言えるわけないでしょうに。もっと落ち込むのがおちだわ……)

 だが、これを女々しいと責めることはサツキには出来ない。

 ここに普段事務仕事しかしていない者を連れて来た時点で、無理がありすぎるのだ。

 それでなくとも自分の知識が通用しなくなって自身の価値がなくなることを恐れているのだから、たといこうして精神状態を崩しても仕方のない話だと思うのである。

 「豆腐メンタル」と言わば言え、こうならない自信があるとおのれの首を賭して言える者だけが石を投げよ。

 サツキは正直そのような気持ちだった。

 その時、空中ディスプレイから手を離して水を飲んだ啓一が、息をつきながら言う。

「それにしても、仕事場がこの地区でよかったよ。中心部だったらとてもじゃないが……」

「同意。あんな話聞かされちゃね」

 あれから……。

 シェリルと警察官の機転によって桜通からうまく逃げ出すことを得た二人は、ほうほうの体で宿にたどり着いた。

 別の宿を取っているからと門前で別れたシェリルによると、この地区は高台の閑静な住宅地で中心部とは対照的に治安はかなりよい方であるという。少なくともここにいる限りは、厄介ごとに巻き込まれることはなさそうだ。

 それぞれに別の部屋で荷物を一通り整理し、陽が落ちたところで外へ夕飯を食べに出る。

 そこである店の入口をくぐったところ、何と百枝と再会したのだ。

「ああ、あんたらか!さっきはとんだ災難だったな……」

 仕事帰りのサラリーマンよろしく、定食を肴に麦酒ビールを呑む巫女。

 わさわさとした銀髪の外はねのショート・ヘアと特徴的な葡萄えびいろの眼が、豪快な絵面をさらに豪快にしてのけている。

 二人は眼が点になりつつも、他の客がいないのですぐ横に座った。

「いえ、助けていただこうとしてくだすったみたいで……ありがとうございます」

「あたしは何にもしてないさ。礼はがんばってくれた同僚の彼と、刑事殿に言いなよ」

「いやいや……俺も守りに徹してただけですし」

「向こう見ずに殴りに行って、変にけんかになるよかましだよ。あんな頭に泥つまってそうな破落戸相手にけがしたくないだろ?さらに同僚さん巻き込んだら、それこそ目も当てらんねえ」

「そうですけども……。さすがにあそこで追い払えないってのは、ちょっとどうかと」

「いいんだよ、そんなもん気にしなくって」

 そう言うと百枝は啓一の顔をちらと見て、麦酒のコップを置く。

「ああ、自己紹介が遅れたな。あたしは倉敷百くらしきもも、この地区の鎮守・植月神社の宮司兼巫女やってるんだ」

「これはどうも、俺はいな啓一けいいち、国立重力学研究所の助手です」

「私は真島サツキといいます。同じく重力学研究所の研究員です」

「ほー、そういや体育館の反重力プールが壊れたから研究員が来るって言ってたが、あんたらか」

「そうです」

「桜通が半端なくやばいところだって、上から聞かされてなかったのか?」

「聞かされていたんですけども……」

 啓一が桜通に迷い込んだ経緯いきさつを話すと、百枝は、

「ああ……ほぼ不可抗力ってやつだな、そりゃ。案内標識見てれば迷わなかったとか言っても、自動車用なんだからよっぽどじゃなけりゃ見ねえよ。もっともそれ以前に、住民も使う裏道がずたぼろでほっとかれてるってのが一番問題なんだけどさ」

 ぼやくように言って大きなため息をついてみせた。

「まあ、確かに……」

 あれさえなければ何も起こらなかったのだから、啓一も思わずうなずいてしまう。

 百枝はそれを一瞥して再び麦酒を呑んだ後、

「しっかし、本当に恥ずかしいところ見せちまったもんだ。あの桜通周辺は、緑ヶ丘の恥部でさ」

 渋面を作っていまいましげに言った。

「恥部って……」

「いや、恥部じゃなくて何なんだよ。真っ昼間からすけべな店がやってて、破落戸がうろうろしてんだぜ?しかも空港からすぐ近くの道でよ。サツキさんなんかたまんなかったろ?」

「因縁つけられたのを抜いても、確かにきつかったです……」

「だろうよ。あれでいて店は違法営業はしてないし、破落戸どももああいう頭のおかしいやつ以外は、警察を警戒して表通りじゃおとなしくしてる。周りに恥と恐怖をばらまいてるのに、誰も取り締まれやしねえんだ」

 百枝はそう言って、唇を噛んでみせる。

「……それに、あの辺破落戸以上にやばいのがわんさかいるしな」

「え?そんな話、俺たちは全く聞いてませんが……」

「そうか、外部にゃ伝わってないんだな。まあ積極的に言うことじゃなし……仕方ねえか」

 何と桜通やその周辺には暴力団などの反社会的勢力が相当数ひそんでおり、独自の闇社会まで作っているというのだ。

 確かにこのような商売は暴力団のしのぎとして行われることも多いので、納得の行く話ではある。

 そもそも破落戸どももただぶらぶらしているだけの無宿者ばかりとは考えづらく、そのような組織の三下として日銭を稼いでいる可能性は充分にあった。

「こうなると、連邦警察の出番だよ。しかもうちはどうやら相当ひどいと見込まれてるらしくてさ、他と違って特殊捜査課が担当してるらしい。ぞっとしないぜ、結構何でもありの怖い部署だって話だぞ。そんな部署がお出ましになってるんだ、巻き込まれたら厄介だから近づかない方がいいよ」

 割り箸を割ろうとして、啓一は百枝が口にした「特殊捜査課」の名にふと手を止める。

「あれ、じゃあシェリルが言ってた別口の案件はそれかな……。所属が特殊捜査課だし」

「ん?刑事殿知り合いなのか。様子見ててそうじゃないかなとは思ったけど」

「知ってるどころか、私の幼なじみです。怖いかどうかはともかく、連邦警察の中でも結構きわどいことも普通にやる部署だとは聞いてますね……」

 これはサツキであった。さすがに昵懇の仲だけに詳しい。

「あれ、待てよ?倉敷さん、何でシェリルのこと知ってるんです?それもあだ名で呼んだりして」

 飯を食べていた箸を止め、啓一が問うた。

 あだ名を奉っているということは、相当深い知り合いのはずである。

「ああ、前から反社の洗い出しってんで、こっちへ何度も来てるからな。定宿この周辺だし、来てる時は部下も連れずによく一人でうろついてるし。今じゃすっかり顔見知りになっちまった」

「そうなんですか。……全く、出先でまで一人歩きの神出鬼没なのね。今さらだけど、自分が刑事だって自覚あるのかしら」

 サツキがむすっとした顔となり、耳をぐっと内に寄せた。

 もうお気づきの読者もいるかも知れないが、シェリルの捜査は刑事としては異色である。

 階級が警視なので捜査指揮に回ることが多いのだが、捜査期間のほとんどは同僚の警視に本部をまかせてしまい、自分で市中にすっ飛んで行くのがいつものパターンなのだ。

 今回のように部下がいても一緒に行動をしていることは余りなく、自分の足で聞き込みなどをして事件の骨子を洗い出して行く。

 どちらかというと、刑事というより探偵のようなところがあるというと分かりやすいはずだ。

 しかも、被害者や関係者には捜査の進展を結構教えてしまったりもする。

 小説やドラマのようであるが、それを地でやってのけるのだからいろいろ型破りだ。

「……でも、あれで大将首確実に取るってんだろ?恐ろしいちびっ子だよ」

「本来ならおとがめになりかねないのをそれで黙らせてる、とか本人言ってるんですよ。もういろんな意味で大丈夫かしらこの子、と」

 そう言って、サツキは肩をすくめる。

「でもそんなんでもな、さっきも言った通りあそこは普通のやり方じゃ手に負えないのさ。だから反社に強い連邦警察は最後の希望なんだよ」

「………」

「それにここの場合、内部だけで済まねえんだよ。あそこがあるせいで外部では『風俗の街』のイメージがしみついちまって、性欲持て余した男が毎日のように押し寄せて来る。余りの気色悪さに、まともな外来者は嫌がって来やしねえ。挙句の果てに住民が外に出入りする時でも必ずどこかにいて、船じゃみんな見ないふりして避けるのに一生懸命、しまいにゃロビーに逃げ出すのまでいる始末だ。ここまで踏んだり蹴ったりじゃ、そりゃあ怨み骨髄に徹してる。どかんと潰してくれる可能性があるなら、何でもすがろうってもんだ」

 啓一は、ようやくあの時見た三等客の異様なありさまを理解した。

 船室にいた気色の悪い男たちは、噂を聞きつけて女を買いに来た者たちだったのである。かたぎの人々にあんな連中と二時間も一緒の箱の中でくっついていろというのは、さすがに酷というものだ。

 内部ではやくざ破落戸がのさばり、外部からは妙な評判を立てられ品性下劣の徒がやって来て、住民は大迷惑をこうむるばかり。とにかく殲滅を望むのも当然だ。

「まあそれはともかく、仕事で仕方ない時以外は中心部なんて興味本位で行くもんじゃないよ。ああ、中心部の北、特に東側辺りも余りよくないな……」

「北東部ですか?」

「うさんくさい連中が出入りしてる。しかも春には、そこの住民が反社をかくまってたってんで大騒ぎになった。何されるわけでもないが、行っても気味が悪いだけで何の得にもならないぜ」

「分かりました、ありがとうございます」

 そうしてそれからも時折「中心部へ行ったらいけない」と注意を受けながら二時間ほど話をして別れ、今に至るのである。

「中心部に行かなくても、用事は全部この高台の中で完結するようになってるらしいな。安全のため故意に生活圏を完全断絶させてるらしい。それでも中心部には普通の店や施設がほぼないから、そっちの住民もやむなくやって来るって話だが」

「互いに気の毒な話ねえ。安全確保のためとはいえ、同じ街の中で縁切りしなきゃいけないなんて」

「その安全も地区が封鎖されてるわけじゃないからやっとだよ。そもそも中心部から破落戸が来ないのだって、倉敷さんがぶちのめして警察が追い払うの繰り返しで怖がって来なくなっただけってんだからさ……普通じゃない」

 そこで啓一は再び水を飲むと、

「全く、何で出来て四年のコロニーがこんなことになってんだ。わけ分からんよ」

 既に二日目にして心底嫌になったという顔で頬杖をついた。

 その時、急に眼の前に影が落ちる。

「すみません。勝山宮かつやまみやと申しますが」

 見上げてみると、眼鏡をかけた黄色いボブカットの猫耳の女性が立っていた。

「ええと、市の職員さんにご用ですか?私たちは違うので」

「あッ、そうですか。……えと、いたいた。すみません、失礼しました」

 ぼさぼさした内はねの髪を揺らし一礼しててくてくと去るのを横目で見ていると、どうやら工事の指揮を取っている建設部の職員に用があったらしく、何やら動作確認のようなことをしている。

「プログラマーさんかしらね、あの勝山さんって人。さっきから検査用のソフトの話してるわ」

 聞き耳を自然に立てたのだろう、耳をぴこぴこと動かしながらサツキが言った。

「使ってる現場に直接来るプログラマーなんて初めて見たぞ。何かあるのかね」

「さあ……たださっきから聞いてると、近くに住んでるから直に来た方が早いって考えてるみたい」

「変わった人だな……。ま、俺たちには関係ないか」

「持ち込まれる話次第では検査が必要になるから、ソフトの方は関係あるかも知れないわね」

 そんなことを言っているうちに宮子は天幕を離れ、こちらに一礼して去って行く。

 何とはなしにその姿を見ていた啓一は、

(ん……?)

 ふと見慣れた顔を彼女の行く先に認めた気がした。

「どうしたの?」

「いや……シェリルの顔が今見えたような」

「別人でしょ。あの子の仕事にプログラマーさんは関係ないわよ」

「ううむ、結構変わった服装だし見間違えることないと思ったんだが」

 どうにも納得が行かず首をひねったが、そこで仕事を振られたためこの話はしまいになった。

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