六 狂乱の街(三)
十五時五分、定刻に船は緑ヶ丘空港に到着した。
啓一たちは三等の乗客が降りるのを待ってから、ゆっくりと降りる。
さっきの性欲にたぎった男どもが我先にとどやどやと改札口を通過し、その後を露骨に空けるようにして残りの乗客がげっそりとした顔で降りて来た。
「ああ、そういうことだったのね……」
その様子を見て、サツキは啓一が見て来た光景を察したようである。
「それではお二人とも、お先に。どうぞ気をつけてくださいね」
ターミナルビルを出たところでシェリルたちを見送ると、二人は一回立ち止まった。
「今日泊まる宿ってどこだったっけ?」
「……んっと、中心部の西、
「どれどれ、これまた大雑把な地図だな」
啓一がのぞき込むと、そこには最低限の目標と道の構造だけが記された地図がある。
「まあ、調べれば済む話ね。どれどれ……」
サツキが空中ディスプレイを出し、ささっと調べた。
「あ、少し遠いけど歩いて行けるわ。まっすぐ行ってから左へ入ればいいみたいね」
「危険って言われてた『桜通』に少し入るのか?大丈夫かね、治安云々あるらしいが」
「多分そこまで心配しなくていいんじゃないかしら。ちょっと戸場口を通り過ぎるだけでしょ」
「じゃ、そうするか。もし何か変なのがいるようなら、大急ぎで逃げよう」
互いにうなずいて広場からまっすぐ通じる通りに入り、少し先で左折したのだが……。
「……あれ?ちょっと待った。これ、通行止めだ」
何とペーヴメントがぼろぼろにひび割れており、通行止めにされていたのだ。
調べると、さらに先に行ったところに横道があるのでここを迂回すればいいようである。
だがこのことは、桜通をしばらく歩く必要があることを意味していた。
「ええ……危険地帯に突入するの?」
サツキが困惑するが、他に道がない以上どうしようもない。
とりあえずそろそろと入って行くが、ごく普通のビルが立ち並んでいるだけだ。
(ありゃ、考えすぎか?)
そう思い、前を見た時である。
「え、あの、啓一さん……あれ」
サツキが見るからに凍りついて、震える声で言った。
「……うわ、思ったよりがちの風俗街じゃないか」
このことである。
そこではいきなり時空を飛び越えたかと思うように、風俗店やアダルトショップなど性産業関連の店がずらりと櫛の歯を並べていたのだ。
「しかも営業中かよ……法律上問題ないんだろうが、さすがになあ」
「とにかくおとなしく探しましょう」
下品なほどぎらぎらした電飾がともされ、淫猥な看板が躍る中を急いで通り過ぎて行く。
とりあえず、女連れということで客引きには目をつけられていないようだ。
そこで安堵して、少々足を緩めた時である。
「……お、いい女連れてんな。どこの嬢だい」
いきなり横合いから、下卑た声が響いて来た。
見れば、汚らしい若者が一人にやにやとこちらを見ている。
「嬢」、すなわちそっちの店で働いている女ということだ。
ちなみに仕事ということで、サツキはスーツ姿である。当然啓一もスーツなのだから、普通は外来者だと思うはずだろうが……。
(こいつはやばい)
直感的にそう感じた啓一は、耳と尻尾をぴんと立てているサツキをかばうようにして後退した。
相手の意図は分からないが、いずれにせよ破落戸の類だ、関わることはない。
「何だよ、教えてくれたっていいだろう。狐族の嬢は好みなんだ、似たようなのが店にいるだろ」
男がなおも迫って来るのに、啓一は口を開いた。
「失礼ながら、私も彼女もよそ者でして。あなたの思うような
相手は破落戸とはいえ、しょせん鼠だろう。これで「つまらねえ」などと引き下がるはずだ。
だが、その目論見は見事に外れてしまう。
「何だ、よそ者か。……じゃあ姉ちゃん、そんな男より俺と一緒に来ないか。悪いようにしないぜ」
ああ言ったにも関わらず、意にも介していないようだ。
どうやらサツキは、完全にこの男に狙われてしまっているようである。
(そう来たか、糞ったれが!)
啓一は心の中で毒づくが、後ろで尻尾を毛羽立たせておびえているサツキがそれで助かるわけではないのだ。
とにかく何とかして切り抜けなければならぬ。
「申しわけありませんがね、私たちは仕事で来てるんですよ。通りがかっただけでそんなことを言われて、同僚を差し出せと?」
「いいから寄越せっての!」
会話が成立していない。
いかんせん啓一はごく普通の社会人、性格も荒くはないのだ。完全になめてかかられている。
もっともそれ以前に、この男の頭自体がいかれているのだろうが……。
この際殴らせて正当防衛を取るか、とまで覚悟した時だ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん!ここにいたんだ、探したよ!」
ぱたぱたと走る音とともに、横合いから聞いたような声が響いて来たものである。
「シェ、シェリル!?」
声の主はシェリルだった。
泡を食う二人に、彼女は片眼を閉じてみせる。合わせろというのだろう。
「ああ、こんなところまで来ちゃ駄目じゃないか」
「へ、変な人に会ったりしなかった?」
サツキも震えを何とか振り払うと、躰を起こしてようやくそれだけ言った。
「……何だよ、がき連れだったのかよ」
破落戸がいかにも白けたという口調で言った瞬間、
「子供連れが何かね?」
野太い男性の声がする。
驚いてシェリルの肩向こうを見ると、警察官が二人立っていた。
恐らくはシェリルと一緒にいたのだろう、笑っていない眼で破落戸をじりじりと追いつめている。
「あ、いや、人違いですよ、人違い」
「ならいいがね。変なことをする人が多いから、この辺は」
「いや、大丈夫、大丈夫です」
完全に形勢逆転とあって、破落戸はおたつくばかりだ。
「じゃあ、さっさと行きなさい」
「わ、分かりました……」
しょせんは鼠というべきか、こそこそと去って行く。
「大丈夫ですか、お二人とも」
そう言って近寄って来る警察官に、
「大丈夫です、ありがとうございました」
啓一は頭を下げた。
「だ、大丈夫です……」
サツキもそう言って頭を下げようとしたが、安心したのかへなりと崩れる。
「危ない!……くそッ、俺がこの体たらくだから」
大あわてで抱き止め、啓一は思わず吐き棄てた。
「……啓一さんは充分にやったわ。あんな日本語の通じない人、想定外だもの」
「その通りです、あの手の輩に論理立った会話を求めちゃいけませんよ」
サツキとシェリルがそう取りなしていると、警察官の一人が近づいて来る。
「警視、行きましょう。人だかりが出来て来ていますから」
「まずいですね、余り目立ちたくはないので。……この通りを出るまで演技続けてください」
こくりとうなずくと、二人は再度演技に戻った。
「さあ、宿まで帰ろう。長居は無用だよ」
「そうそう。いくら探したからって、ここは中学生の来る場所じゃないわ」
「ごめんなさい」
謝る演技をしながら、シェリルはさりげなく事件のあった場所を見る。人は散ったようだ。
その時、ふと警察官が斜め前に向けて呼びかける。
「ああ、そうだ。
「う……分かったよ」
その言葉に出て来たのは銀髪の巫女だった。ひどく気まずそうな顔でほうきをかついでいる。
「また助けようと高台から飛び降りて来たのかい、そのうち本気でけがするよ」
どうやらこの倉敷女史とやら、二人を助けようと間に入るつもりだったようだ。
「えらい物騒な巫女さんだな……ってあれ?」
「どうかしたの?」
「あの人、会ったことある」
啓一がそう言った時、相手も思い出したらしく、
「あ、あれ、そこのあんた……前に筋違橋であたしの切符を拾ってくれた人じゃ」
心底驚いたとばかりに言う。
「やはりそうでしたか、その節は」
「い、いやそれはあたしのせりふで……」
互いに立ち止まって頭の下げ合いになるが、シェリルは、
「そういうのはまた後にして……宿はどっちですか」
そんなことをしている場合かと言いたげに、少々いらついた声で問うた。
「植月町の『ビジネスホテルよしやす』だ」
「植月町ですか?広場から左の道を上がっていけばいいはずですが……」
「え!?この道入る必要ないのか?」
「……ちょっとよろしいですか、何か勘違いされているようですね。どの道を通ろうとしたのか教えていただけますか」
警察官に訊ねられて、二人は簡単に説明する。
「それは地元民向けの裏道です。本来の道が街の西側に上るとは思えないような方向に向かってますから、見過ごして来てしまったんですね。広場の出口にある案内標識は見ましたか?」
「あッ、しまった!そこまで見なかった……!」
確かに広場の先に自動車向けの案内標識があった気がするが、歩行者には関係ないからと思い込んで見ていなかった。
「やはりそうでしたか。もし少しでも分からないと思ったら、遠慮なく空港の交番で訊いてくださいね。この街は下手なところへ入ると本当に危ないですから」
警察官が注意かたがた、歩みを早める。
そうして歩くこと十分ほど、ようやく一同は大通りとの交叉点に出た。
「すみません、仕事に戻ってください。ここから先は私がみなさんを送りますので」
「しかし……」
「また何かあったらまずいですよ。大丈夫です、あいつらもここから先下手に出て来ると、悪目立ちするしどやされて追い出されるしで、手を出したがらないですからね」
シェリルはそう言うと、倉敷女史――いや、あの時聞いた名前だと「
「……ちぇ、このちび刑事殿もちくちく言いやがるよな」
むっつりしているところを見るに、どうやらどやしているのは百枝らしい。
警察官が敬礼して戻るのを見届けると、啓一は大きな息をついた。
「しかしどうなってんだよ……治安が悪いというより、風紀紊乱じゃねえか」
「これは『間違えて入ったら即座に逃げろ』と言われるはずだわ」
「いろいろ疑問はあると思いますが……早く宿に入りましょう、また変なのに会わないうちに」
シェリルの言うまま坂を上りつつ、二人は嫌な予感にひしひしとかられるのだった。
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