十五 朝霧(一)

「はあ……」

 早朝の街角で煙草をふかしながら、啓一はため息をついた。

 朝食は既に食べたが、その足が現場に向かうことはない。

「再度の休工ってか。もういい加減にしてくれよ……」

 このことであった。

 今度の休工の理由は、何と市当局の内輪もめである。

 工事が余りにも混乱を来たしているのを問題視されたのがきっかけとのことで、その間強制的に工事を止めざるを得なくなったようなのだ。

 さすがにこんな知ったことかと言いたくなるような理由で休まれては、たまったものではない。

 サツキは朝食を食べるなり、部屋でふて寝してしまった。

 そんな柄でもないことをする辺り、すっかり辟易しきってしまっているのだろう。

「しかし、霧か。すっげえな、こりゃ」

 周囲は、濃い朝霧が立っていた。

 起きて窓を見ると外が暗かったので、小雨でも降っているのかと思ったらこれである。

 しかも、目抜き通りの一つ先の交叉点が完全に霞んでいた。視程は二百メートルというところか。

 植月町ですらこれだ。高台の下に当たる中心部なぞ、霧がたまってまるで真っ白である。

「……少し歩くか」

 もの珍しさに勢いで出て来たものの、することもないので目抜き通りを歩き始めた。

 開店時間にはまだ早く、時折モーニングをしている喫茶店が開いている程度である。

 車も乗合が通る程度で、そんなに交通量があるわけではなかった。

 そして霧をかき分けながら、商店が一旦途切れる場所へ差しかかった時である。

(おや……?)

 眼の前に、飽きるほど見た小さな人影が見えた。

「おい、おはよう、シェリル。どうしたんだ」

「……え?あれ、おはようございます。いなさんこそどうして?」

「いや、ちょっとな」

 経緯いきさつを話してやると、シェリルは、

「サツキちゃん、よっぽどですね……」

 ため息をつきながら言う。

「そりゃなあ、せっかく来たのにこう振り回されてばかりじゃね」

「何から何までお粗末すぎですよ。そもそも、名前だけで後先考えず無理矢理引っ張って来たってだけでも問題なのに」

「そこは思いっきり責められるべきとこだろうな。……もっともそのおかげで、探していたあいさんとあんな形とはいえ再会出来たのは皮肉だが」

 啓一は、すっかり髪の伸びた頭をかいてみせた。

「と、お前さんは何してたんだ?捜査中……にしちゃおかしいよな。霧で下何も見えないし」

 先ほど見た時、シェリルは商店横にある柵の欄干おばしまに寄りかかり、真っ白になった中心部をぼんやり眺めていた。

 アンドロイドに霧を透かしてものを見る機能があるとは聞いたことがないので、純粋に霧を見ていたことになる。

「いえ、この街の霧が好きなんですよ。おかげで汚いものも見えなくなりますし」

「そういうことか。毎日毎日あんなとんでもないもん見せられたらたまったもんじゃない、たまには隠れてほしくもなるわな」

 実際すぐ下に当たる桜通は、その狂態ごとすっかり霧に隠れてしまっていた。

「……今みたいに、霧の下に隠れていてくれればいいんですよ、連中も。今騒いでる等身大ドールだって、本当に本当のお人形をこっそりやり取りしてる分には、何も言う気はありません」

「え?」

 欄干おばしまに再び寄りかかって下を見つつ、ぽつり、とこぼすように言い出したシェリルの言葉に、思わず啓一は声を上げる。

「警察の使命を考えれば、本来は全部潰すべきなんでしょうがね。ですが、そんなのは無理です。知的生命体に欲がある以上、ああいう闇の世界は消えるものじゃないですから」

 シェリルは、静かに眼を桜通の方角へ向けた。

「それに光と闇って分かれないんですよね、どうしても。境目の灰色が出るわけでして。そこは理解してある程度まで認めないと、世の中がきれいになりすぎてしまって……息苦しいですよ。汚すぎるところでも人は生きられませんが、きれいすぎるところでも生きられませんから」

「どこのディストピアだって話になるもんな……」

「そうです。だから、連邦警察……というよりも、うちの特殊捜査課が特にそうなんですけど、少々の闇はあるもの、湧いて来るもの、灰色があるものともう認めてしまって動くことにしてるんですよ。……まあ、それにしたって闇入りすぎって気もしますがね」

 シェリルはそう言うと苦笑する。どこか、自嘲するような笑いであった。

「その代わり、闇の連中が自分の領分からはい出して来て、かたぎに迷惑かけたら絶対許しませんがね。さらに外道な真似をしようもんなら、追いつめて容赦なく命でおのれの立場を理解させてやりますよ。ましてね、こいつが一日生きれば一日誰かが苦しむ、そうなったら髪の毛一本も残さない覚悟でやらせてもらいます」

 そこで拳を固めるでもなく、まるで普通のことのように軽くうなずきながら言う。

「……なあ、シェリル。失礼だが、お前さん、確か歳って俺より二つ下だったよな?」

「そうですね。余り歳の話は……ですが」

「どこでそんなに世の中知っちまったんだ?」

 啓一は、シェリルの善悪観に驚いていた。およそ齢三十で持てるようなものとは思えない。

 中学生にしか見えない美少女から発せられたことを除いても、違和感があった。

「特殊捜査課の元々の気風もありますけど、入った時の課長が無能だったってのもありますね」

「えッ?どういうことだ?」

「簡単ですよ。上司が木偶の坊なら、私たち部下が尻ぬぐいする必要があるわけです。だから本来なら指揮する側になるはずの警部になっても、現場を駆けずり回っていたんですよ」

 「警部」というとよくミステリーで登場する刑事の階級であるが、実際には現場にはよほどでないと出ることはない。

 それが課長の無能のために、いみじくも創作の警部のように現場を駆ける羽目になったのだ。

「まあ、幸いその無能は数年で警察庁に行ってしまいましたがね。その間に現場を見まくって、いい勉強させてもらいました」

 その時の経験がすっかり癖になってしまい、課長が変わり自分が警視になった後も足で稼ぐ主義を崩していないのだという。

「まあ、いろいろありましたよ。いろいろあったからこそ、分かるんでしょうね」

 眼を軽く伏せながらシェリルは言った。

 その「いろいろ」の中で、一体どんな経験をして来たというのか……。

 啓一はしばらく黙っていたが、ややあって、

「……まあ、何だ。お前さんみたいなやつと知り合えてよかったよ」

 すい、とシェリルの頭をなでながら言う。

 本来なら嫌がりそうなものだが、シェリルは払いのけもせずに静かに笑った。

 その時左手から、

「ああ、啓一さん!ここにいたの」

 サツキの声が聞こえて来た。

「いつの間にかいなくなってるから、どこ行ったかと思って探しちゃったわ……って、シェリルが何でここにいるの?」

 はあはあと息を荒くしながらやって来たサツキが問うのに、

「神出鬼没が私の特技ですし」

 さっきまでのしんみりした雰囲気はどこへやら、いつもの調子でシェリルは答える。

「散歩してたら途中でいきなり現われたんだから、まんざら間違いでもないわな」

「何かいい雰囲気だった気がするけど……」

「霧でたまたまそう見えただけさ。話してたことはえらく固いよ」

 苦笑しながら、啓一がそう答えた時だ。

「きゃあッ……」

 いきなり、絹を裂くような女性の声が響いたものである。

 驚いてそちらを向くと、道路の斜向かいにあるごみ集積所の前で若い女性が腰を抜かしていた。

 霧が収まりそうなところを見はからって、ごみを捨てに来たのだろうか。

 ただならぬ雰囲気に、三人は一気に現場へ走った。

「あ、あ、あ……お、お巡りさんを……」

「私がそうです。一体、どうしましたか」

 シェリルがさっとホログラムを見せると、女性はその小さな躰にすがりついて集積所に指を差す。

「し、屍体が、屍体が……!」

「なッ……!?」

 見れば、そこには確かに人の左半身が見えていた。恐らくこの中に全身が埋まっているのだろう。

「すみません、禾津さんにサツキちゃん。その人をお願いします。あと通報を」

 そう言って女性を渡すと、シェリルは近づけるところまで近づき、アイ・カメラの倍率を最大まで上げて屍体を観察し始める。

 だが、すぐにおかしなことに気づいた。

(これは……。でも掘り出さないといけませんし、鑑識に見てもらって確定した方がいいですね)

 そうしているうちに市警のパトカーが飛んで来て、現場は騒然となった。

 しかしごみがどかされ、鑑識が入ってすぐのことである。

「部長、警視、これ人形ですよ。等身大の」

 呆れたような声がビニルシートの中から響いて来た。

「はあ?」

「あ、やっぱりそうでしたか……」

 唖然とする市警の巡査部長と納得するシェリルを、鑑識がビニルシートを開けて入れる。事件性がないと判断したため入れたのだ。

「何だこりゃ、大人のおもちゃじゃないか」

「ですね。もしかしてとは思ったんですよ」

「気づいてらしたんですか、警視」

「大体。ですがアンドロイドの可能性もあったので、鑑識に見てもらった方がいいかと」

 巡査部長とシェリルがそう話している足許には、薄汚れた等身大ドールが転がっている。

 要は屍体なぞではなく、ただの粗大ごみだったわけだ。

 巡査部長は人騒がせなと言いたげにこめかみへ手をやると、

「今お聞きになった通りですので……。粗大ごみとして処理すれば、何の問題もありません。本来は捨てた人を探して手続きしてもらうのが本筋なんですが、心当たりありますか?」

 女性にそう問う。

「ないですよ、そんなもの……」

「部長、多分これ分からないですよ。こういうのは隠しておきたいでしょうし、外部からの持ち込みの可能性もありますし……そちらで処分してもらうしかないんじゃ」

「ううん、それもそうか。迷惑かけられた側にやってもらうのも心苦しいが……」

 部下とそうやり取りした後、巡査部長はシェリルに向けて眼で合図する。

 それを見て、待っていたようにシェリルがうなずいた。

「ともかく、市に連絡してください。あとは収集してもらえますので」

「分かりました。ご迷惑をおかけいたしまして……」

「まあ仕方ないですよ、リアルすぎますからね。お気になさらず。それでは失礼します」

 そう言い残して、巡査部長はパトカーで去って行く。

 残された女性はそれをぽかんと見送っていたが、げっそりとした顔で市の清掃局に電話を始めた。

「じゃ、私もこれで失礼しますね」

「ご迷惑おかけしました」

「いえいえ」

 シェリルはにこにこと手を振り、啓一とサツキとともに道を渡る。

 だがそこで急に表情を険しくすると、さっと左手を耳の横に添えて内蔵通信機を起動した。

 これまでは一同の眼の前で使う機会が少ない機能だったが、人体改造事件が発覚して以降はこのように何かと起動することが多くなっている。

 そのまま通信をどこかへ飛ばし、声をひそめて話し始めた。

「大庭です。一体、行きます。……はい、大丈夫ですか。よろしくお願いします」

 さらに続いて別の場所へも通信を飛ばす。

「連邦警察の大庭です。一体行きますので、例の場所へ回すよう担当者の方にお伝えください」

 そして何やらひそひそと話している啓一とサツキに向き直ると、

「もし当たりだった場合、来ますか?」

 そう問うて来た。

「今ちと話してたんだが、気になることがある。行かせてもらえるか」

「同じくよ。私も行くわ」

「当たらないことを願いますが……では参道下で待機していてください」

 そんな会話の後、三人はそのまま別れたのである。

 一時間後……。

 果たして、啓一とサツキの姿を植月神社の参道下に見出すことが出来る。

「今回も、あたしの出番がなけりゃいいがな」

 鳥居前を掃除しながら、百枝が心配そうに言う。

 ややあって、緊張した面持ちで立っている啓一の耳に着信音が聞こえた。

「……ッ!南無三!」

 そう叫んで電話に出ると、シェリルが、

『当たりました……』

 ひどく深刻な声で言ったものである。

「ほんとかよ……!」

「啓一さん、まさか!?」

「そのまさかだ。ついに来ちまったか……」

「分かった。すぐに車回すから乗ってくれ」

 百枝が状況を察し、車を出して来た。

「分かりました、ありがとうございます」

「いいってことさ。……しかし、二度あることは三度あってほしくなかったな」

 目抜き通りを抜け、車は本通を走り出す。

 市庁が近づけば近づくほど、緊張が高まり始めて来た。

「まさか三人目が出てしまうとは……」

 ただただ、これに尽きる。

 市庁の裏から赤駒集落へ抜け、赤駒本町の停留所の先で左折すると、果たしてそこに「緑ヶ丘市民病院」と書かれた大きな総合病院が現われた。

 中心部から最も近い救急指定病院であり、そして市警や連邦警察が扱う事件で発生したけが人や病人を収容する場所でもある。

 一同は受付で、連邦警察関係者用の特別通行証を提示して大急ぎで指定の病室へ回った。

「いいのか、あたしまで入っちまって?」

「いいんですよ、『関係者』扱いされてるんですから」

 実はシェリル、何と建前は「技術者・科学者チーム」だというのに、全く畑違いの百枝までメンバーに入れてしまっている。

 清香や葵や瑞香と違って自由に動けるのに、情報一つやらないというのも気の毒だということらしいが、「サツキの臨時助手」という扱いで無理に押し込んでおり、さすがに大丈夫かと心配だ。

 それはともかく……。

 一同は入院病棟の一角にある「多目的室」なる部屋に入った。

「失礼します」

「ああ、来ましたか。どうぞ、こちらへ」

 シェリルがひょいと顔を出し、一同を真ん中に置かれたテーブルへといざなう。

 そこにエリナがぽつりと座っているのを見て、

「あれ?エリナさん、ヤシロさんはどうしたの?」

 サツキがぽかんとした顔で問うた。

「マスターは、今検査の方に回っています。本来は私も手伝いに入るはずだったんですが、病院が予想以上に看護師さんを出してくれたので待っていなさいと」

「被害者の方は見ましたか」

「いえ、全然……。運ばれて来る前にそういう話になったので」

 若干申しわけなさそうに言うのを、シェリルは、

「お気になさらず。来ていただく必要はあったんですから」

 気にするなというように手を振ってみせる。

「他の刑事さんは?」

「隣の部屋です。ヤシロさんは検査が終わり次第ですので、ちょっと時間が読めないですね」

「分かった。……しっかし、えらいことになったな」

「用意した病室、役に立ってほしくなかったんですがね……」

 この周辺の部屋は「多目的室」と名乗っているが、実際には財政の関係で維持が難しくなった病室から常設のベッドを撤去しただけの空室だ。

 今回の捜査で警察はこのうち三室を借り上げ、仮設ベッドを入れて捜査中に入手した等身大ドールの検査場所として用いている。

 人体改造が発覚した場合、被害者用の病室として使用することも視野に入れていたのだが、今回それがいみじくも活用される機会が来てしまったのだ。

「こういう言い方も何だが、地道な収集が実ったわけか……」

 現在連邦警察は、事件の証拠固めに「ホソエ技研」が製造した等身大ドールを集めている。

 既に述べたが、この会社は一新興国産業とは資本上関係のない別会社であるものの、元取締役が社長であり、以前簡単な図面提供を受けたことがあるという事実があった。

 このため、一新興国産業が隠れ蓑として使っているという疑いが持たれているのである。

 同社製品の中から人体改造を受けたドールがさらに発見され、その口から証言が取れるようなことがあれば、一気に捜査が進展する可能性があるのだ。

「そんなものそうそう集まってたまるか、と当てにされてなかったんですが……集まりましたねえ」

 シェリルの言う通り、この作戦は当初まるで期待されていなかった。

 曰く、いくら一新興国産業や橋井地所の統制が弛緩しているとはいえ、商売物としての扱いは最低限しているのだから、そう簡単に手に入るはずがない。

 曰く、しらみつぶしとなるため、企業自体を調べるよりも手間と時間がかかってしまう。

 そういった意見が、予想もつかない方向から吹き飛んだ。

「まさか、あっちから粗大ごみとして出すなんて普通思いもしないわよねえ。慎重さのかけらもなくて、逆に感心しちゃったわ」

 何と代用風俗営業をしている店が、古くなったドールをためらいなく粗大ごみとして廃棄しているのが分かったのである。

 等身大ドールの廃棄については、

「廃棄の際は通常の粗大ごみに出さず、回収担当部署へ依頼を」

 そうホソエ技研がネットで公開している説明書にも書かれていた。

 一応環境への配慮云々言っているが、その実が証拠湮滅なのは間違いない。

 しかし下請業者が最近さぼっているらしく、店や所有者がしびれを切らして粗大ごみ扱いで捨ててしまう事例が続発していることが次第に分かって来た。

 あちらから証拠を放り出してくれるならまさに千載一遇、下請業者が変わる前に回収するだけしてしまえと、連邦警察が市清掃局と連携して回収し検査しているのである。

 それにしても、下請がさぼっても気づかない、店が規則を破っても押さえつけられない、証拠となり得る品が行政の手に大量に流れても気にしないとは、

「一体この連中は用意周到なのか間抜けなのか、さっぱり分からない……」

 というのが捜査本部内での一致した意見であった。

 それはともかく、とシェリルはこほん、とせき払いする。

「気になることって、何でしょうか?」

「ああ、それか。……実はあのドール、よく知ってる人に似てるんだ」

「知ってる人?まさか……お知り合い、ですか?」

「いや、そうじゃない。これは、サツキさんの方がいいんじゃないかな」

 そう言って啓一がサツキに水を向けた。

「そうね……。単刀直入に言うと、UniTuberのあかつきヒカリさんにそっくりなのよ」

「えッ……!それって!」

 名を聞いた途端、シェリルが息を飲んだ。

 有名人だというのもあるが、それ以上に彼女が驚いたことがある。

「あの人、ですね。七月にあった『UniTuber拉致事件』の被害者……」

「そういうことね」

 このことだった。

 この事件については先に少しだけ触れたので、読者の中には覚えている者もいるかも知れぬ。

 兇漢によって拉致されたヒカリの行方は、今でもまだ分からないままだ。

 このUniTuber拉致事件は事件の経緯いきさつも性質も異なること、そして管轄が違うことから、女性連続拉致事件とは今も別件扱いとされ捜査も別になっている。

 しかし捜査本部ではこちらの事件が拉致事件であることが判明して以降、捜査を行っている新星警視庁から「近接する事件」として捜査情報の提供を受け、動向に注意を払うようになっていた。

 そこにこれなのだから、驚かぬ道理がない。

「超有名ってほどじゃないけど、顔はそれなり知られてるからすぐに分かるわよ」

「俺も調べてるうちに何度も見たから覚えてるし、それで分かった。そこ来てこの世界で最初から知ってるサツキさんがああ言うくらいだ、本当に似ていると思ってくれていい」

「……ううむ」

 シェリルは空中ディスプレイでヒカリの顔写真を見ながら、一つうなった。

 二人が言いたいことは分かる。

「ヒカリは一新興国産業に関係する反社会的勢力に拉致され、等身大ドールに改造されてしまった」

 こういうことだ。

 一見すると荒唐無稽なようだが、可能性がないわけではない。

 実は個人が反社会的勢力の力を借りて自分の気に入った女性を拉致した挙句、奴隷として改造してもてあそぶという事件が、実際に過去何度も発生しているのだ。

 これを考えると、同じような経緯いきさつで毒牙にかけられたと考えることも出来る。

 だがそれが成立するのは、「顔が変えられていない」という前提があってこその話だ。

 もしかすると全く関係のない女性を、よく似た面相に改造した可能性もあるからである。

 もっともどちらであれ、人一人の存在が蹂躙されている以上短絡的な推測は慎まなければならぬ。

「今は推理にはやらないで、結果が出るのを待ちましょう。それからでも遅くはありません」

「ああ……エリナさんにも、関わることだしな」

「そ、そうですね……当たらないことを、祈ります」

 やっとそこで、それまで黙っていたエリナがぽつりと言った。

(………?)

 含みのある雰囲気に、シェリルはいぶかしげな顔となる。

 大きな反応がなかったので気づかなかったが、よく見るとエリナは冷汗を流し唇を噛んでいた。

 シェリル自身はUniTuberについては通りいっぺんの知識しかないし、エリナの配信活動についても事件と関係があるわけではないので何も調べていない。

 同じUniTuberとして事件自体も気になるところ、そこでこう来たために衝撃にたえないということなのだろうか……。

 シェリルが真意を訊ねようとした時、

「しっかし、どうしちまったんだ?えらい長くかかってるんだが」

 横合いから百枝がいらついたように言う。

 なお一連の情報は、シェリルから伝えずともジェイの口から伝わっていた。

 さらには清香や葵、果てには瑞香にも伝わってしまっているため、実質的に関係者全員が捜査情報を共有していることになる。

 もう既に捜査情報の秘密も何もあったものではないが、シェリルとしては関係者に広がる分にはとがめ立てする気もないようだ。

 それにしても時間がかかる。発見したのは九時のことなのに、もう正午になりそうだ。

 そして一度刑事たちのところに引っ込んだシェリルが、こちらへ戻って来た時である。

「大庭さん、みなさん。検査が一通り完了しました」

 ジェイが部屋に入って来た途端、固い表情でそう言った。

「医者や看護師さんはどうしたんだ?」

「今、被害者や医療機器の病室への移動を行っている最中さ。ありゃまかせるしかない」

 啓一が訊くのに、ジェイは険しい顔で答える。

「何か異常はなかったんですか?躰とか意識とか精神状態とか」

 これをまず訊かねばなるまいと、サツキが問うた。

「意識は当初ありませんでしたが、今では問題ないほどに恢復し、精神状態にも異常はありません。ただし躰はどうもよくありませんね……所有者のところで相当ひどい扱いを受けたのでしょう、外殼に大小の傷やへこみが多数、人工臓器にも打撲によると見られるあざが残り、人工骨にはひびが入った跡まである状態です。ここまで損傷した躰を見るのは何年ぶりか……」

 搬入された時、被害者が人体改造を受けており、生きているということは一発で分かったという。

 だが到着時点で昏睡状態に陥っていた上に文字通りの満身創痍とあって、一時は意識が戻るかどうかすら危ぶまれていた。

 しかし予想に反して一時間ほど前に眼を覚まし、三十分ほどでコミュニケーションを取れるほどまで恢復したというのである。

 医師が質問をいくつか投げ、精神状態に異常がないことも簡易的だが確認された。

 これまで性的搾取に耐えかねて精神崩壊した被害者が相次いで出たことを考えると、まさに驚くべき奇跡としか言いようがない。

「……記憶なども、大丈夫なんですか?」

「大丈夫でしょう。うちにある機械があれば分かるんですが……いかんせん据えつけで、持って来られませんから」

 せんかたなし、という顔をするジェイに、

「それでなんですが……あの方は自分を誰だと名乗ったんでしょうか?実は今、そのことである疑惑が持ち上がってまして」

 シェリルが核心へ切り込んだ問いを投げた。

「『二宮ふたみやさき』と名乗ってらっしゃるんですが……一方で『暁ヒカリ』という名前でUniTuberをしてらっしゃったと……」

「………!!」

 その瞬間、一同の顔が紙のように真っ白になったのは言うまでもない。

 図らずも、啓一とサツキによる推理が当たってしまったのだ。

 ジェイもヒカリのことを知っていたのだろう、唇を噛んでいる。

 だが、一同より衝撃を受けていたのが、

「まさか……こ、こんな、こんなことになるなんて……嘘です、嘘です」

 他ならぬエリナであった。

「ど、どういうことですか、エリナさん」

「大庭さんはご存知ないと思いますが……ヒカリさんは、私が『エレミィ』として活動を始めたきっかけになった、大切な方なんです」

 このことである。これを、何度もエリナは放送内で話していた。

 当然のごとく先輩として憧れの的であり、一番の「推し」でもあるのは言うまでもない。

 その憧れの人が、よりによって獰悪な連中によって切り刻まれ、男にもてあそばれるという辱めを生きながらに受けたというのだ。これが衝撃でなくて何だというのか。

 顔が土気色になったまま、椅子から転げ落ちそうになるエリナを思わずサツキが支えた。

「だ、大丈夫です、ありがとうございます」

 全く大丈夫ではない様子で、力なく礼を言う。

「……今は恢復しているようですが、これからの見通しはどうなんですか」

 ジェイが座ったところで、シェリルが恐る恐る訊ねた。

「はかばかしくないというのが我々の見解です。さっきも言いました通り、昏睡から醒めたこと自体が奇跡のようなものでして……。今はよくてもこれからまた増悪する可能性があります」

「そうですか……」

 これまで発見された二人にも、外殼の損傷などはなかったわけではない。

 しかし体力がかなり温存されていた上、さして大きいものでもなかったので、投薬治療で恢復するだろうという診断であった。

 だがそれは店側も商売物ということで粗雑な扱いを避けたこと、そして最近では旧型化して茶を挽いている方が多かったことが、いい方にはたらいただけである。

 個人に所有された場合、どんな扱いを受けるか到底知れぬし、札束で頬を引っぱたくような下衆なら使い捨てにするような外道な真似も充分するはずだ。

 大体にして平然と夜中によその街のごみ捨て場に投棄するような時点で、彼女がどう扱われていたか推して知るべしと言うべきであろう。

「手術とかはどうなんですか。新しい義体に移すまではしなくても、今の躰をどうにかして直すというようなことは……」

 サツキが恐る恐るそう訊ねた。

 大体分かってはいたが、訊かずにおれなかったのである。

「それは、私がこうして戻された時点で分かっていただけるかと」

「つまり、出来ないってことですか……?」

 ジェイは、眼をつむって小さくうなずいた。

 アンドロイドに対する医療行為はほとんどの場合修理と同義のため、専門医でも技師でも行うことが許可されている。違うのは専門医が免許持ちで開業可能であること、業務範囲が医師寄りとなっていて一部の行為を独占していることくらいだ。

 このように境目があいまいであることを逆手に取り、大規模な手術を行う際に医師の補助として技師を招くことも少なくない。

 今回の事件では、患者が被害者はじめ事件関係者で大規模な手術が必要となる場合に限り、ジェイが入って医師の補助を務めることになっていた。

 それが用なしとして戻されたということは、そのような大きい手術をしない、いやしても無駄だということである。

「大手術に耐えられるだけの体力が本人に残っていませんので、こちらに出来ることは小さな手術で一部の損傷を直し、投薬治療をすることだけです。体力が復活すればと言いたいところですが、機械部分と生体部分の均衡が滅茶苦茶で、とてもそこまで望めない状態です。よくあれで昏睡しないで済んでいるものだというくらいに……」

「あの、それって……もしや?」

「……その『もしや』が充分有り得ます。しかもかなり近い時期に」

 その瞬間である。

 後ろで、がたあんとすさまじい音がした。

「エ、エリナ!!……くそッ、しまったッ!!」

 大急ぎで振り向くと、エリナが椅子ごと倒れて動作停止していたものである。

「担架、誰か担架をお願いします!動作停止です!急いでお医者様を!」

 シェリルが叫び、その場は修羅場と化した。

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