一 突発(二)

 次に眼が覚めた時、啓一が見たのは病院らしき建物の天井だった。

 一瞬、あれは白昼夢か何かだったのではないかとも思ったが、

(それにしちゃ落ちた時の衝撃とか、やたら生々しかったぞ)

 すぐに首を振って否定する。

 と、その時だ。

「あれっ、もしかして眼が覚めて……って、動かしちゃ駄目ね。看護師さん、眼が覚めました!」

 すぐそばから、若い女性の声がする。声からするに、先ほど自分を拾った女性のようだ。

「サツキちゃん、私がした注意を忘れないでくださいね」

 それを追うように、今度はいやに子供じみた女性の声がする。一瞬中学生くらいの少女かと思ったが、言葉の内容からしてただ声が高いだけの成人女性と思われた。

「分かってるわよ、シェリル。……あの、念のため先に言いますが、これから私の顔を見せます。どうか驚かないでくださいね」

(………?)

 ただ顔を見せるにしては、どうも面妖な言葉である。何か急には見せられないもの、例えば大きな傷跡やあざなぞでもあると言いたげだ。

 そう戸惑っていた時である。

「じゃ……」

 すっ、と眼の前に現れた女性の顔を見た啓一は、

「………!?」

 驚くを通り越して一瞬のうちにはね起きた。

 そこにあったのは、レイヤー・ボブカットの薄茶色の髪に鳶色の眸の女性の顔である。

 ゆったりした藍色のチェックのワンピースという、いかにも社会人らしい服装からして成人のようだが、童顔とも思える丸顔はまだ「美少女」の言葉で表現しても決してばちは当たらぬはずだ。

 だがそれより問題なのは、

「狐耳、えッ、狐耳!?」

 このことである。

 女性の頭の上では、髪と同じ色で先だけ黒の差した大きく長い狐耳が、これでもかとばかりにまっすぐ立って存在を主張していたのだ。よく見ると、同じ色の尻尾もある。

 しかも動いているところを見ると、これは本物だ。いわゆる「狐娘」という存在としか思えない。

 だが「狐娘」というのはあくまで創作の産物で、架空の存在でしか有り得ないはずだ。

 それがいきなり現実に現れたという時点で、啓一は脳が停止してしまっている。

 完全に固まった啓一に、女性——サツキの方も困ってしまったらしく、

「……あの、落ち着きました?」

 恐る恐る訊いて来た。

 そこではっとなった啓一は、

(落ち着け、禾津啓一……相手は普通に日本語が通じているんだ、話せば何とかなる……落ち着け、落ち着くんだ)

 眉間に指をやってひとしきり自分に言い聞かせ、思い切って口を切る。

「い、いや、まだ混乱してます……。失礼ながら、あなたのような姿の方を見るのは初めてで」

「ああ……これは決まり、かもね」

 啓一の言葉を受け、サツキは気まずそうにぽつりと妙なことを言った。

 その言葉に啓一がぽかんとしていると、

しまさん、ここは私がやりますので」

 余りの様子を見かねたか、看護師が割って入って来る。

(こっちは普通の人間か……)

 何ともほっとした気分になっている啓一をよそに、サツキは奥に顔を向けると、

「ねえシェリル、やっぱり刺戟強過ぎたんじゃない?あなたが最初の方がよかったんじゃ」

 とがめるように言った。

「一理ありますけど、まだ報告が残っていましたからね」

「まあ、そりゃあなたは仕事が仕事だし……でも種族的に外見はまだなじみやすいでしょうに」

 奥でサツキがさっきの少女声の女性と話をしているが、啓一は一つの単語に引っかかりを覚える。

(『種族』……ねえ)

 言うまでもないが、「人種」「民族」ならともかくこんな言葉は我々の日常では使わない言葉だ。人間以外の知的生命体がいないからである。

 もっとも狐娘が眼の前にいる時点で、この言葉が出て来たとて今さらそう驚くに値するまいが。

 ともかく今確実に言えるのは、ここは自分の住んでいた人間だけが生きている世界ではない……すなわち「異世界」であり、自分はそこに転移してしまったということだ。

 いわゆる「異世界転移」と呼ばれる現象である。

(おいおい、よりにもよってこの展開かよ……えらいことになっちまった)

 看護師に寝具の整頓をしてもらいながら、啓一は頭を抱えていた。

 少なくとも我々の世界では、今のところ「異世界転移」は創作の産物でしかない。それが現実に起こってしまったのだから、たまったものではなかった。

 その時、奥から足音が近づいて来たかと思うと、

「もう大丈夫ですか……失礼します」

 横合いからサツキと話していた女性の声が響いて来る。

(……え?)

 ふとこうべをめぐらしてその姿を見た啓一は、驚きの余り瞠目した。

 何とそこにいたのは成人女性ではなく、赤紫色でレイヤー・ボブカットの髪にビリジアンの眼をした見た目中学生くらいの少女だったのである。

 しかもハイネックでノースリーブのワイン色の上着に白のミニスカート、さらには白のサイハイソックスと白のアーム・カヴァーというなりだ。服飾としては実在し得るもののはずなのだが、どうにも漫画やアニメから出て来たような感がぬぐえぬ。

 それらを抜きにしても、なぜこんなどう年かさに見積もっても十四五歳にしか見えぬ少女がこんな場にいて、まるで社会に出た成人女性のごとく振る舞っているのかが理解出来なかった。

(どういうこった……?)

 だが世間には何らかの理由で実年齢よりはるかに下に見えるような体格をしている人間なぞ、有名無名に関わらず山ほどいると聞く。

 大体にして狐娘なぞというこちらの常識外の存在が実在する世界なのだから、人間の姿一つ様子が異なっていたとしても決しておかしくはないはずだ。

 啓一がそう思い直して困惑を収めようとしているのに気づいたのか、少女は少し様子を見るような素振りを見せてから口を開く。

「申しわけありません。本来だったら目覚めるまで私も立ち会う必要があったんですが、職務の関係で彼女におまかせしてしまって。人間と違うので驚かれたでしょう?」

 幼い外見に似合わず、下手な大人よりしっかりした口調で言う少女に、

「い、いえ……それよりあの人には、実に失礼なことをしました。あれだけ気を使わせた上、驚いて飛び起きるなんて……。さすがに今は落ち着いてますが」

 思わず敬語となって返した。

「安心しました。説明の義務があるので、パニック状態だと大変なことになりますから……」

「説明の義務?……というより、どなたで」

 啓一がそう言うと、少女ははっとしたような顔をして、

「失礼しました、改めて自己紹介を。あま川連邦がわれんぽう連邦警察特殊捜査課所属の警視・おおシェリルといいます」

 手のひらに警察の徽章とおぼしきホログラムを浮かべて提示してみせる。

「へっ!?」

 それを見た途端、啓一は思わず間抜けな声を上げた。

(け、刑事!?この子が!?しかも警視って……警部の上だぞ!?)

 外見が中学生の女性警視。所属は聞く限り、何やら通常の警察とは違うようだ。

 しかも警察手帳が実体ではなく、宙に浮かんだホログラムなのである。

 さらに、国名もまるで聞いたことがないと来ていた。

 突然入って来た大量の情報に啓一の脳が輻輳を起こしているのを見て、少女――シェリルは、

「再び混乱させてしまい申しわけありません。しかし事件や事故として取り扱う以上、身分を明かさないわけには行きませんので……」

 盆の窪に手をやりながら申しわけなさそうに言う。

「は、はあ……」

 反応がなおも薄い啓一に、シェリルは、

「ええとですね……疑問も多分におありとは思いますが、一旦右に置いておいてください。説明しながら、漸次分かる範囲でいろいろ確認して行こうと思います」

 つとめて冷静に話を続けた。

「職務上、持ち物から氏名など身分を調べさせていただきました。日本国の東京都青梅市在住、禾津啓一さんでいいですね?」

「え、ええ」

「大体予想はついていると思いますが、ここは禾津さんの住んでいた世界から見ると異世界です」

「やっぱりそうなんですか……」

 今さらながらはっきりと「異世界」宣告を受けたことで、啓一は天をあおぐ。

「そうです。ですが、共通点がまるでないわけではありません。この時点で共通していると判断出来る部分についてお話しします」

 シェリルはそう言うと、一つずつ話し始めた。

 この世界にも太陽系が存在し、地球も存在している。

 そして日本もしっかり存在しており、

「持ち物からの判断ですが……」

 国家体制や習俗文化など基礎的な部分について、同一とみられるというのだ。

「言語も日本語に関しては完全に同一ですね。会話が出来ている時点で分かりきっていますが」

 こういった異世界をはじめとする未知との遭遇を描いた創作などでは、いきなり互いに言語が通じてしまうという描写が多用される。

 だが、現実はそのようなものではないわけだ。第一にして地球の中ですら国や民族が違えば言葉が通じないというのに、いわんや異世界をやである。

 これがしっかり通じているのだから、明確な共通点として断じてしまって問題ないはずだ。

「次は、相違点と判断出来る部分についてです。この世界は、人間以外の知的生命体が存在する多種族世界です。さっきの反応から大体察せられたのですが、人間のみの単一種族世界だったのでは?」

「そ、そうです」

 答えつつ、思わずサツキの狐耳と尻尾をちらりと見る。

 改めて近くで観察しても、生きている本物の耳と尻尾でしか有り得なかった。

「やはりそうでしたか。その可能性を考え、対面の際に一言注意してから顔を見せるようにと言っておいたんです。もしそうだった場合、少しでも驚きを緩和してパニックを防ぐためにと……」

 言われてみれば、あの時のサツキの言葉はその辺を考慮した上でないと出て来ないものである。

 正直効果は疑わしかったが、初見であれ以上の配慮を求めるのは酷というものだ。

「あと時代についてですが、そちらからするとかなり未来の可能性が高いです。ことによると、百年単位になる可能性も否定出来ません。実際には、暦法が一緒かどうかなど種々の検証を行う必要があるので、にわかに結論の出せるものではありませんが」

「えッ……」

 啓一はこの言葉に一瞬息を飲む。

 今のところ周囲を見た感じでは二十一世紀と余り変わりがないため油断していたが、言われてみれば充分に有り得る話であった。

「まずここまでは、ご理解をいただけたでしょうか」

「……大丈夫です」

 啓一が頼りないながらも答えると、シェリルはその顔をうかがいながらさらに話を進める。

「そして今いる場所ですが、ここは地球上ではありません」

「え……?」

「地球より約四光年ほど離れた宇宙コロニー群からなる『天ノ川連邦』という国の首都・新星しんせい市という場所になります」

「ということは……地球から宇宙への移民で出来た国ですか、やっぱり?」

「そういうことです。正確には、日本人移民が中心となって作ったものですけどね。だから余計に日本語が通じるというのもあるんですが」

「………」

 啓一は頭を抱えてしまった。いきなり「宇宙コロニー」なぞという、自分の世界ではまだ構想段階で実現していなかったものが飛び出して来たのだから当然である。

 だがそれより、彼が衝撃を受けていたことがあった。

「ちょっと待ってくださいよ……俺、地球にいたはずなんですよ。宇宙に飛ぶって変でしょう」

 このことである。むしろそちらの方が理解出来ぬ話だ。

「元の世界では、地球にいらっしゃったんですね……それで宇宙に飛ばされれば、戸惑うのも無理はありません。とりあえず、ここに来るまでの経緯いきさつを簡単におうかがいしていいですか」

「え、ええ」

 言われるまま、啓一は件の事故の詳細を話す。

「なるほど、よくあるパターンです」

 シェリルはこの話を、実にあっさりと受け止めた。

 そして説明するところによると……。

 物理的に生じた衝撃力が、偶然その世界を包んでいる「時空の壁」の固有振動数と一致、共振してしまうことが全ての始まりなのだという。

 そうなると、共振が時に物の破壊をもたらすのと同じ原理で「時空の壁」が大きく裂け、一定時間近くの人や動物や物体を吸い込んでしまうのだ。

「この吸い込まれた空間を『時空のはざま』と呼び、しばらくここを漂流することになります。禾津さんが見た闇の世界は、ここですね」

 しかし、それも長くは続かない。「時空のはざま」は本来物体の存在しない世界であるため、異物がまぎれ込んだ形になるからだ。

 そのため排除作用がはたらき、どこかの世界に押し込められてしまうのである。

「とにかく排除出来ればいいので、どの世界のどの場所にするかは適当に選択されます。この際に元と異なる無関係な世界や場所が選ばれ、そこに無理矢理入れられてしまうわけです。これが転移現象のメカニズムですね」

「そんな簡単な話だったんですか……」

「そうです。ちなみにこちらでは現象そのものは『転移』、遭った方は『転移者』と呼んでいます」

 シェリルの説明は、啓一にも納得の行くものであった。

 もっと小難しい理論理屈が出て来ると思っていたのだが、存外に単純なものである。

「しかし『適当』とは、随分いい加減な真似をしてくれるもんで」

「仕方ないですよ、時空に意思はありませんから」

「……神の類でもいれば、文句の一つも言えるんですがねえ」

 まあおらぬものは仕方もなし、と再び眉間をもんで、啓一は一つ訊ねた。

「それはともかく、これってよくある事件なんですか」

 先ほどのサツキの「決まり」発言といいシェリルのこなれた説明や対応といい、どうもこちらが異世界から転移して来た者であるということをはなから予測した上で動いているとしか思えない。

 ある程度慣れていなければ、そもそもそんなことすら考えられないはずだ。

「そうです。うちの世界は、どうやら転移者の方をやたらに引きつけてしまう傾向があるようでして……。それもですね、奇妙なことに地球ではなく宇宙にあるここが。時空にとって押し込めやすい世界と場所として、完全に好かれてしまっているようなんですよ」

 シェリルはそう言って、肩をすくめて首を振ってみせる。

「それだけならまだしも、頻度が高い高い。半年に一回は必ずというところでしょうか」

「半年に一回!?……そりゃ慣れますわ」

「そうなんです。正直こんな大ごとが簡単に起こっていいのかとすら思うんですが、私たちのあずかり知らぬ力のなせること。一世界の警察に出来ることといったら、せいぜい適切かつ迅速な処理を可能にしておくことくらいですよ」

「何とも因果な話ですな……」

 啓一は思わず盆の窪に手をやり、気の毒そうに言った。

 事故の重大さと頻度が釣り合っていないのでは、シェリルがこうどこかあきらめたような言い方をしたくなるのも分からなくはない。

「今まで何人くらい来てるんです?」

「おおよその数字だけで言えば、三百二十人くらいだったかと」

「その人数がいろんな世界から、定期的にここ目がけてってわけですか……」

「そうなんですよ。しかも父祖の代から続いてまして」

 シェリルがまいったような表情をするのに、啓一は事態の深刻さを見た。

 先ほどの話に出た頻度で単純計算すると、百六十年はこの現象が続いていることになる。

 この世界の人々の寿命は知らぬが、父祖の代からというのならこんな顔にもなろうはずだ。

「やっぱり特定の世界から集中して、とかあるんですか?」

「一応ないではないですが……すみません、余り詳しくは教えられないんです。転移者の方の生活に関わるからと、いろいろ守秘義務がかかってまして」

「ああ、なるほど」

 考えてみれば、異世界転移した者なぞかなり特殊な存在である。下手に明かしたら本人に何の累が及ぶか分からぬと、扱いに過剰なほど慎重になるのも道理といえた。

「あ、すみません。お訊きになりたいことが多いと思いますが、一旦ここまでで。お手数ですけれど分署で改めて事情をお聞きしながらにしたいと思うんですが、いいでしょうか」

「いいですよ」

 想定済みとばかりに啓一は快諾した。慣れているとは言いつつも、警察沙汰になるからにはこれくらいはあってもおかしくないだろう。

「サツキちゃんも、第一発見者ということでお願いします」

「分かったわ、ことがことだしね」

 その言葉に、啓一がベッドから起き上がるのを見つつサツキもうなずいた。

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