一 突発(三)
一時間後。
病院から少々離れた連邦警察分署の会議室に、啓一たちの姿を見出すことが出来る。
『警視、結果が出ました。データをお送りしましたのでご覧ください』
若い技官の声がどこからか響いたのに、シェリルは、
「ありがとうございます。説明はこっちでするからいいですよ」
即座にいかにも「未来」と言わんばかりの空中ディスプレイを出してさっと画面を見ると、啓一たちの方に向き直った。
「さっきの検査の結果が出ました」
「ほぼ立ってただけだったんですけど、あれで俺がどこから来たとか分かるんですか」
「ええ。時空を越える騒ぎですからね、どうしても何かしら影響が残るものなんです」
実は啓一は事情を聞かれた後、元いた世界の時空上の位置を示す「時空座標」なるものを突き止める装置によって検査を受けていたのである。
これで得られた座標とこの世界の座標とが近ければ世界として類似点が多く、遠ければ少ないということが分かるそうだ。
よくそんな装置なぞ造ったものだと思うが、シェリルによると人や動物以上に物が結構な頻度で飛び込んで来るため、危険性がないか検査する必要に迫られてのことだという。
「ほんと、物にまで好かれるなんて……うちは納戸や物置じゃないんですがね」
そう言ってシェリルは苦笑してみせた。
ただしそのため装置は小型化し、精度も百発百中に限りなく近くなっているというから皮肉なものである。実際レントゲン撮影でもしているかのように簡単で、啓一は拍子抜けしてしまった。
「ああ、これ……説明しますね」
微妙にシェリルが眉をひそめたのを見て嫌な予感にかられた啓一は、居住まいを正す。
「結論から言うと、厄介な結果になりました」
「え、厄介って……」
「百聞は一見にしかず。禾津さん、手を少し前に出してみてください。ディスプレイが出ますから」
「え?え?」
恐らくは彼女の前に出ている空中ディスプレイのことだろうが、そんなもののかけらもない世界で育った啓一が出せるわけがなかった。
やむなく空間を押したりこすったりと試行錯誤していると、横に座っていたサツキが手を取って、
「こう、こう……あ、出た」
手の出し方を教えてくれる。
だが、そこで啓一は固まってしまった。
(……って、女性に手を握られただと?)
このことである。女性経験が一切合切ない啓一にとって、余りに慣れないことだったのだ。
(待て、うぶなねんねじゃあるまいし)
そうは思うが、ひとしきり眼を白黒させているそのさまは完全にうぶそのものである。
「シェリル、初めての人にいきなりは無理よ。……ってどうしたの、啓一さん」
そうとも知らず肩をすくめてシェリルにそう言うと、サツキは啓一を見て不思議そうな顔をした。
「あ、いや、何でもないです。ありがとうございます」
あわてて首を振るが、顔が赤い。
手のこともだが、サツキがいきなり敬語をやめて話しかけて来たのも効いていた。
「ああ、ごめんなさい……と、いいですか、続けても」
こちらも不思議そうなシェリルの声で、ようやく啓一は我に返る。
「え、ええ」
「………?ともかく、今データを送ったので見ながら聞いてください」
言うや、すっと何やらグラフが画面に現れた。
「これは『平面時空座標図』といいます。時空座標はそのままだと非常に見づらいので、こんなグラフに落とし込んで見るようにしてるんです」
シェリルが画面を操作すると、グラフの右上に点がともる。
「これがこちらの世界ですね。次に禾津さんの世界についても……と言いたいところなんですが、測定で得られたデータに非常に癖がありまして、結果だけ出すと誤解を招く可能性があります。そこでここでは手順に従いながらデータを読み込ませ、その過程を見ていただくことで説明して行きます」
そう言いつつ操作すると、すぐ左下に点が出た。
「近い場所に出ていますね。これですとまだ並行世界程度です。が……」
シェリルは含みを持たせた後、一つ、また一つとデータを読み込ませて行く。
啓一はそれを黙って見ていたが、次第にいぶかしげな表情となり、
「……ちょっと待ってください、何でさっきから点がこう忙しくあっち飛んだりこっち飛んだりしてるんですか。一向に落ち着く気配が見えないんですけど」
ついにたまりかねたように問うた。
事実グラフ上の点は、極度に近くなったかと思うと直後にはあさっての方向へ遠くなり、かと思うとまた近くに戻って来たりと、動きが極端かつ無秩序極まりない。
「訊かれると思いました。それを示すためにわざわざこんな風に過程を示したんですよ」
シェリルによると……。
この点の挙動は、比較する世界間の一致点と不一致点の比率によって決まるのだという。
このため一致点が多ければ近い場所へ、不一致点が多ければ遠い場所へと大体の位置が最初から決まってしまい、動いてもその周辺を少しばかりうろうろとするだけなのだ。
逆に言うと、位置が全く定まらずこのように極めて大振りな挙動をするのは、
「世界間に中途半端に一致点と不一致点があることの証左」
なのだというのである。
「実際に読み込ませるデータを見ると、一致点と不一致点が無秩序に転がっていて比率も滅茶苦茶なんです。モザイク状になっていて、もはや何が何やらですよ」
「むう……」
啓一は、うなって唇を噛んだ。
シェリルの言うことを信じれば、自分の世界とこの世界との間には、
「共通点と相違点とがまだらに入り混じって存在している」
ということになるではないか……。
「……これだけならまだよかったんですが、最後にさらなる問題が。『時間軸』の項目です」
そう言って、データが読み込まれた瞬間だ。
「げえっ……」
人目も構わず、啓一がとんでもない叫びを上げた。
点がいきなり原点を飛び越し、グラフを外れそうなほどに左下の隅へ瞬間移動したのである。
「ああ、やっぱり……。これなんです、これが一番大きな違いなんですよ」
反応を予想していたのか、シェリルは大きなため息をつくと説明を始めた。
「確か禾津さんの世界の年は、西暦二〇二一年でしたよね」
「え、ええ」
「こちらにも『西暦』が存在するんですが、暦法など全て同一であることが判明しましたのでそのまま言います。こちらの世界の年は西暦二二六七年です」
「へっ……?」
「二百四十六年後ですね、要するに」
とんでもないことをさらっと言ってのけるシェリルに、啓一はただただ唖然とする。
「これだけ時代が離れてしまうと、計算上ここまで座標が食い違ってしまうんですよ。さすがに埋めがたいものがあります」
「確かに道理ではありますが……」
啓一はこの言葉に、こめかみに手をやりながら呆然と言った。
一致不一致がにわかに分けられないほどの渾沌状態の上、さらにすさまじい時代の差である。もはや近い遠いという概念が意味をなす領域を超えていた。
「ただし留意していただきたいのは、これはデータ上の話だということです。現実に何がどう違うかについては分からないため、様々な可能性が考えられるんですよ」
通常は世界間での不一致となると、どうしても歴史の違いなど深刻なものを想像しがちである。
だが決してそればかりとは誰も言い切れない、とシェリルは語った。
「実際にはちょっとした生活習慣や考え方の違いばかりだったということも有り得ます。これだって細かいことですし、日常や社会の中のことですから無秩序に転がっていても何の驚くにも値しません。蓋を開けてみないことには分かりませんが、結果どうであったとしてもそういうものと受け容れていただくより他なく……」
なるたけ安心させるような口調で言うが、やはり歯切れが悪い。
もしかするといい方に転ぶかも知れないとつけ加えているだけで、いずれにせよ何が飛び出すか分からないと言っているのには違いないことを、本人も分かっているわけだ。
だがここまで来て、啓一はあることに気づく。
「ちょっと待ってください、もしかして俺がここ住む前提で話してませんか?少しの間留まるくらいなら仕方ないでしょうしいいですけど、そこまでする気はないですよ!?」
よくよく噛み砕くと話の中身がいやに細かくなりつつあるだけでなく、さらにはそれらをいかに受け止めるかという方向に向かい始めているようだ。
中身が細かいのは職務ゆえと解釈すればまだ分かるが、暗に何が出るか知れたものではないから何ごとも覚悟してかかれと言いたげな言葉は、一時逗留するだけの者にかけるには大げさすぎる。
どうにもきなくさいものを感じた啓一は、
「あ、あの、そもそも元の世界に戻れるんですか!?」
大あわてでそう訊ねた。
先ほどから聞くに、この世界では異世界転移が日常茶飯事という。
それでなくとも二十三世紀、相当科学技術が進んでいるのは間違いないはずだ。人一人帰すくらいは何とかなるはずだろう。
だが、シェリルの口から飛び出た言葉は、余りに無情なものであった。
「それが……結論から言いますと戻れません」
「……えッ」
「時空を移動する技術自体がないんです」
「で、でも、転移のメカニズムが分かるなら……」
「分かるからこそなんです。時空の壁を破る衝撃力は計算出来ますしかけることも可能なので、人工的に裂け目を作ること自体は出来ます。……しかし、それだけなんです。作ることが出来るだけで、それ以上実験すら出来ないんです」
「実験が出来ないって……」
「さっきの説明を思い出してください。時空のはざまに入った後、どの世界のどの場所に出るかは適当に選ばれると。そんな状況で実験をすれば、被験者はことごとく行方不明になり、成果もなく無為に
「………」
シェリルが強めの口調で説明するのに、啓一はもはや言葉もない。
技術水準を考えると簡単に出来そうなことが出来ないというのは世の中ままあることではあるが、まさかよりによってここで当たってほしくはなかった。
「ともかく全く力になれないのです……申しわけもありません」
「あ、いや……」
シェリルが頭を下げるのに、啓一は呆然として答える。
「……じゃあ、結局はこの世界に骨埋めるしかないってわけですか?生きてるにも関わらず、あっちで永遠に行方不明の扱いのままで?そして両親も親戚も友人も、原稿も本もパソコンも何もかも全部あっちに残したままで?」
「そういうことになります。大変にお気の毒な話ですが……」
シェリルは伏し眼がちとなって、再び頭を下げて言った。
だが次の瞬間、それまで呆けていた啓一が急に
「じゃあどうすりゃいいんですか。どうしろってんですか」
いきなり語気を荒くして食ってかかって来る。
「え、ちょ、ちょっと……」
「ええ、ええ。もう無理なもんは無理なんでしょう、
啓一は絶望からかやけくその体となり、完全に開き直っていた。
シェリルの経験からすると、転移者がよく取る態度の一つである。
正直なところ、泣き叫んだり怒り狂ったりしながら直接的な罵倒や暴力をしかけて来る方がまだましと思うくらい、見るにたえないものだ。
だがこんなに昂奮されると話が続かない。やむなくシェリルは、
「とりあえず、お話ししますから一旦落ち着いて……」
部屋の隅のウォーター・サーバーの水をくみ、啓一に渡した。
その水を一気飲みしてぜえぜえと息を吐き終わるのを待ち、話を再開する。
「もちろん、そんな非人道的なことはしません。行政側で住居の提供を行うとともに、生活に慣れるまで諸々の保護や援助、金銭物品の支給などを行わせていただきます」
「……衣食住足りても、この世界のことが分からないじゃ困りますよ」
「もちろん、そこも考えています。保護司を派遣しまして、対面での生活指導や援助を行わせていだたくことになっていますので」
「ありがたい話じゃありますが……保護対象が右も左も分からないどころの話じゃないんですから、相当大変なことになるんじゃ。それこそつきっきりとか……うまく行くもんなんですか?」
啓一がいぶかしげに問うのに、シェリルは一つこめかみをかくと、
「……正直難しい質問です。おっしゃる通り本来はつきっきりで援助するのが理想なのですが、実際には通いになってしまいますので、どうしても空白が生じてしまいます。むろん支障がないようにしますが……うまく行くかと問われれば、究極的には人によるとしか言えません」
困ったように眉間にしわを寄せて言った。
「それって不安しか感じないんですが……」
「本当にこればかりはやってみないと分からないので、どうにもこうにも」
「そっちにも都合があるでしょうし、分かるんですがね。何せこちらは寄る辺なき者、余り不確実なようではたまったもんじゃないですよ」
何せ援助される側は、一時的とはいえ完全に生活能力を喪失してしまっているのである。援助者の目が常に届かないとなると、何か問題が起きても対処しきれない可能性があるし、それ以前に不安で仕方なくなるはずだ。
やはりシェリルもこの辺を難詰されるのは分かっていたらしく、さらに苦渋の表情となる。
「……正直なことを言いますと、その辺はむらが烈しいです。余りにうまく行かないからとご本人が自力で無理に何とかしようとした結果、その……問題が起きることも少なくありませんでして」
奥歯にもののはさまったような言い方に、啓一は思わず何とも言えぬ表情となった。
(さてはしょっちゅう振り回されたり、場合によっちゃ事件起こされたりしてるのか?)
正直うがった見方ではあるが、充分に有り得ることだろう。極めて特殊な状況での生活を強いられているのだから、追いつめられ思いつめて爆発した日には大変なことになるのが目に見えていた。
余りの悩ましさに啓一が頬杖をつきながら考え込んでいると、シェリルは、
「ですが、もう一つの方法として条件に見合う家庭や個人に保護してもらうというのがあります。同居ですので援助者がそばにいる時間がぐんと増えますし、一緒に暮らして行くだけで生活指導や援助になりますから、自然になじんで行くことが可能ですよ。これはほぼ確実です」
明るい声となって言ってみせる。
「ありなんですか、そんなの」
「充分にありです。ホーム・ステイの一種だと思ってもらえば」
「ああ、なるほど……もしかして、そちらとしてはこっちがお勧めなんですか?」
「……そういうことになりますかね」
シェリルはそう言いながら、眼をそらして眉をかいた。
やはり警察としても不確定要素が多すぎる転移者だけの独居生活よりも、確実性の高い市民との同居生活の方を、さまざまな意味で推奨したいようである。
だが、ここで問題となることがあった。
「保護してもらうのはいいとして、誰になんですか?」
このことである。こんな重大事態に巻き込まれた人物を、ちょっと親切な程度の家にほいと預けるような真似なぞ到底出来ないはずだ。
「それなんですが……発見者が第一候補となります。そちらで互いに承諾が得られなければ、警察や行政で探すことになりますね。私たち警察官が預かれればいいのですが、職務が職務のため満足な援助が出来ないからと原則禁止する通達が出ているので」
そう言うと、シェリルは困ったようにちらりとサツキへ目をやる。
「……サツキちゃんなら充分援助出来ると思うんですが、いかんせん一人暮らしですからね」
ため息をつくように言うのに、啓一は頭を抱えた。
確かにどう考えても、一人暮らしの女性に男を押しつけるなぞというのはいかにもまずいだろう。
「いいわよ」
「そうでしょう……ええッ!?」
「ですよね……ええッ!?」
サツキの口から出た信じられない言葉に、啓一はぎょっとなって横を向いた。
シェリルも予想していなかったらしく、眼をむき出して驚いている。
「だからいいわよ。うちに来てもらっても」
「あの、一人暮らしですよね?俺、男ですよ?」
「気にしないわよ、困るでしょ?」
「………」
余りにもあっさりと言ってみせるのに、啓一は完全に言葉を失った。
気持ちは実にありがたいのだが、何度でも言うが一人暮らしのうら若き女性なのである。
しかも、今日今さっき初めて出会ったばかりなのだ。そんな状況で転がり込んでいいと言われてよしとするほど、啓一も無神経ではない。
「サツキちゃん、実家があるでしょう?そっちじゃいけないんですか?」
ここでシェリルが助け舟を出して来た。
「実家だって一緒よ?お父さんとお兄ちゃんが地球にいるから、お母さん一人だし」
「いやまあ、そうですが……こういうことは、年上の方の方が向いてるんじゃないかと」
「理屈は分からないでもないけど、何せあの忙しさだもの……。ちょくちょく出張してるし、普段の仕事でも大きな案件抱えちゃって数日家に帰れないなんてこともざら。啓一さんのこと、事実上ほったかしになっちゃうわよ?」
「そ、そういえばそうでしたね……。保護の役目が果たせなくなります」
「でしょ。そうなると、もう私のところしかないじゃない。私は週休二日の九時五時勤務、出張も年に二三度あるかないかで、家に帰らないことなんてまずないんだから」
「道理ではありますけどね、うーん……」
シェリルはついにそう言ったきり、天をあおいで黙り込んでしまう。
「いやいやいけません、それなら一人暮らしで……」
「だから、そんな遠慮しなくてもいいの」
「……サツキさんは怖くないんですか、家に男が入り込むんですよ!?」
「別に怖くないわ。啓一さん、変な人じゃなさそうじゃない。私ってこう見えて勘が鋭くてね、善人か悪人かって大体分かっちゃうのよ」
「それでいいんですか!?……第一その、俺は三十二のおじさんですよ!?」
直接的に自分の脅威を述べても意に介さず、ひたすらこちらを信用するばかりのサツキに、啓一は関係ないはずの歳の話まで引っ張り出して一生懸命止めにかかった。
ちらりとシェリルを見ると、何を言っても無駄と言わんばかりに小さく首を振るだけである。
「そんなのどうでもいいわよ。ホーム・ステイ感覚なんだし、思い切って気軽に来ればいいの。それに困ってる人を放っておけないわ。しかも、自分が助けた人だもの」
もはやサツキ女史、すっかり乗り気だ。
啓一はどうしたものか困り果てたが、ここまで言われて断るわけにも行くまいし、何よりこうして押し問答を続けていても全員の負担になるばかりである。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
とうとう折れた啓一に、サツキは、
「どうぞどうぞ、大歓迎よ」
上機嫌で尻尾を振りながら答えた。
「と、とりあえず話がまとまったようで何よりです……」
困惑しきり引き気味となった顔で、シェリルがそうまとめる。
制度上も規則上も問題がなく互いに承諾も取れたため、不本意ながらこう言わざるを得なかったというのが不安そうな声からありありと分かった。
「……ただ、一つだけ注意を。禾津さんの言うことももっともな部分がかなりありますので、互いに気をつけてくださいね。変なことにはならないと信じていますが」
何とか警戒を促そうと思ったのか、「かなり」の部分を強調しながら注意をするが、当のサツキは馬耳東風でにこにこしている。
(本当にいいのかよ……とんでもないことになっちまった)
こうして混乱と不安の中、啓一の異世界生活が始まったのであった。
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