八 義士・高徳(一)

 正午を知らせるサイレンが鳴ったのは、ちょうど二人が検査を半分終えた時だった。

「ん、正午?片側だけで随分かかっちゃったわね……。反対側は検査出来るようになったのかしら」

「遠くてよく見えないが、どうやらまだ作業やってるみたいだぞ。まだ駄目じゃないか?」

「困ったわね、両方検査しないと結論出せないのに」

 その言葉にすぐそばにいた監督の技師が、無線機を手許に出す。

「訊いてみましょう。……おい、そっち検査出来そうか?」

『まだ無理です。予想以上に手間取ってまして』

「どれくらいかかりそうだ?」

『あと一時間は確実に……もしかするともう少し超えるかも』

「ううむ、困ったな。……真島さん、いなさん、ちょっとこれはしばらく無理ですよ」

 こちらを見て盆の窪をかく技師に、サツキは、

「仕方ないです。戻ってしばらく待つことにしましょう」

 空中ディスプレイを消しながら答えた。

 ひょいとプールの隅に張られた昇降用反重力場に入り、飛び上がったサツキは、

「……こういう時、技術の人がうらやましくなるわ」

 作業用の出入口へつながる台に着地しながらぽそりと言う。

「自分の専門領域なのに助けられないなんてね、切ないわよ」

 ここに来てサツキは、このような言葉を何度言ったか知れぬ。

 同じ重力学の知識を持つ身でありながらアドバイス役に甘んじざるを得ず、苦労を強いられている技師たちを直接助けに行けないことが耐えられないのだ。

 サツキの専門分野はあくまで理論研究であり、技術研究ではない。大工が家を建てている現場に普段研究室ごもりの建築学者を呼ぶようなもので、お呼びでないというのが正直なところだ。

 こういうことを一切考慮せず「知名度」の一点だけで呼んだ市当局を、一体何を考えているのかと問いつめたくなる。

「………」

 啓一はこういう時、何も言わないことにしていた。

 あの近寄りがたい数式や理論と戦って来たサツキにとって、「知識」とはおのれのきょうとするところに他ならないはずである。

 それが通じないとまでは言わぬまでも、満足に使うことが出来ないというのは蛇の生殺しだ。

 啓一も転移直後から今までの知識がまるで役に立たなくなりかねないことに恐怖し、研究所で助手を始めても役に立てない無力感に長くさいなまれている身である。方向性は違えど、彼女の気持ちを理解するには充分だった。

 変に安い慰めは言わない。その類の言葉で嫌な思いをしたことなぞ数知れぬだけに、それを通すことにしたまでだ。

 話を元に戻そう。

 天幕まで戻って来た二人は、困惑した顔で椅子に座った。

「それにしてもまいったわね。せっかくいいソフトを作ってもらったのに」

 そう言いつつ、空中ディスプレイを出し、取ったデータを軽くチェックする。

「ああ。重力学関係の検査ソフトで、こんな分かりやすいのあるもんなんだな」

 啓一もディスプレイを触り、ちょいちょいとデータを点検し始めた。

 いつもがいつもの状態だけに、ソフトを触ることが出来ているというだけで驚きである。

「これはとてもいいものだわ、簡易なソフトでここまでの機能を備えてるのはそうあるもんじゃないもの。勝山宮子さんだったかしら、こんな優秀な人材が埋もれてたなんてね」

 宮子の作ったソフトは、とにかく「分かりやすく高機能」の一言に尽きた。

 重力学で使用する各種ソフトは研究者や技師が使うため、極めて専門性が高く使い方もデータの見方も難解である。簡易なものもあるにはあるが、あくまで補助的なものであって本格的な使用にたえるようなものはまずないのが実情だ。

「確かにすごいんだよな、どの数字を拾えばいいか検査しながら見当つくんだから。取り扱いも難しくなくてすぐ慣れるしさ」

 普段データ整理しかしない啓一がこう言うのだから、相当なものである。

「こういうのって、もっとあってもよさそうなもんだけどな。学問が難しいからソフトまで難しくなけりゃいけないって法はないんだから」

「言えてるわ。研究者や技師にしか需要がないとはいえ、きちんとした機能さえ備えていれば使いやすいものもあったっていいのよ。いつも小難しい計算してられるとは限らないんだし……。いい加減歴史が長いんだから、もっとそういうことも考えなくちゃね」

 サツキがそう答えた時、建設部の職員の横で通信機の呼出音がした。

「こちら本部……何ですって?」

 何やら不穏な声に、サツキが耳をぴくぴく動かして聞き耳を立てる。

「なるほど、事前調査内容に不備があったらしいということですか?ええ、ええ、かなりかかりそうだと。工期に影響は……ええッ、そんな」

 職員の声は、どんどん深刻なものとなって行った。

「……うっわあ、大変なことになった」

「どうしたんですか」

「どうしたもこうしたもない、数ヶ所調査不備でストップ。工期に響く可能性が出て来た」

「ええ!それ、早く連絡しないと!!」

 どたばたと足音が響き、今度は電話の声がする。どうやら市庁に連絡しているようだ。

 振り返ると、職員たちの顔は蒼白である。もはや嫌な予感しかしなかった。

 やがて、建設部の責任者がこちらへやって来る。

「すみません、お二人とも。緊急事態です」

 責任者はそう言ってことの経緯いきさつを説明すると、

「工期延長となると大変な話なので、市庁で今緊急会議が開かれています。その間動けないので、今日はこのまま休工にしろとの命令です。恐れ入りますが、本日はこれで終了ということにしていただけますか。私たちは市庁に行きますので」

「私たちはついて行かなくても大丈夫なんですか?」

「建設部からは、職員と監督技師、あと該当箇所を担当した技師のみでいいと」

 それにサツキは一瞬不満そうな顔をしたが、すぐに戻り、

「分かりました。技術面のことです、理論専門の者の出番はなさそうなので仕方ありません」

 当てこするようなとげのある言い回しで返事をした。

「いや、そういうわけでは……」

「ま、まあ、諒解しました。上の方がいいというのなら、そうしますから」

 あわてて啓一が間に入り、その場を収める。

「よろしくお願いします。明日どうするかは、またお伝えしますので」

 そう言って責任者は奥へ戻って行った。

「サツキさん、あんな言い方はよくないよ」

「……だって、形式上とはいえ立ち会いなのに」

「分かるけどさ。この状況で無理に連れてけとは言えないじゃないか……」

「……はあ。仕方ないわ、撤収しましょ。仕出しのお弁当は、宿で使うことにしましょうか」

 ため息をつき、不承不承サツキは撤収を開始する。

 恐らく市庁側は緊急ということで純粋に職員と直接の関係者だけを集めようとしたのだろうが、それが彼女の技術面を扱えないという劣等感を刺戟してしまったようだ。

 わらわらと車に乗る職員や技師を尻目に、二人はプールのある体育館の敷地を出る。

「……どうしましょうかね。宿に戻る?」

「まずは研究所に電話した方がよくないかな?工期に影響が出たら俺たちの出張期間も変わるぞ」

「じゃ……」

 サツキの電話の声を聞きつつ、啓一はひょいと道の向こうを見た。

(そういや煙草がもうなかったな……)

 そこには飲料と並んで煙草の自動販売機がある。この世界ではチェリーは現役銘柄なので、多分入っているはずだ。

「……仔細が分かるまで待機ですって。まあそりゃそうよね」

「さもありなん。とりあえず、煙草買っていい?」

「いいわよ、そこでしょ」

 どこか仏頂面で言うサツキと一緒に自動販売機のところまで行くと、チェリーを買う。

 そして取出口から箱を取り出し、立ち上がった時だった。

 いつの間にか隣に人が来ていたらしく、どんと尻に衝撃が走る。

 そして、尻相撲の要領ですっ転びかけてしまったのだ。

「わわっ、すみません!大丈夫ですか!」

 大あわてで体勢を立て直して振り向くと、そこでは、

「だ、大丈夫です。僕、猫ですから」

 何と宮子がペットボトルを持って立っている。

 先日現場に来た時と違い、長袖シャツにジャージというラフな格好であった。

「何ですか?」

「いや、特に」

「啓一さん、女性をじろじろ見るのはよくないわよ」

 サツキのたしなめ声にそちらを向くと、なぜかむくれている。まだ機嫌が斜めらしい。

 余り怒ることも引きずることもなく、まして当たることもしない彼女にしては珍しいことだ。よほど外されたのが気に入らなかったのだろうか。

「ああ、あいさつを忘れていました。神社で一度お会いしましたが……改めて。国立重力学研究所の助手、禾津啓一です」

「私の方も改めて。同じく国立重力学研究所の研究員、真島サツキです」

「これはごていねいに。フリープログラマーの勝山宮子です。そういえば、きちんと顔を合わせるの初めてですね」

 ぱたぱたと細長い尻尾を振りつつ、小さな耳をかいて宮子は言った。

「扱いやすくて助かっています、あのソフト。従来のものは、どうしても一発で慣れるようなものじゃないですから……」

「専門家の方にそう言ってもらえると、僕も作った甲斐がありますよ」

 尻尾をぴんと張りながら照れる宮子に、サツキは笑ってみせる。

 その時、ぱたぱたと小さな足音がして、

「勝山さん、ここにいたんですか」

 何とシェリルが姿を見せた。

 植月神社で宮子がひるをしていた時連れ戻しに来たことから察していたが、やはり仕事上深いつき合いのある仲のようである。

 その時だ。笑っていたサツキがいきなりむくれ顔に戻ったかと思うと、

「出たわね、からくり人形」

 驚くような言葉を放った。

「か、からくり人形!?」

 尋常ならざる発言と態度にのけぞるシェリルに、ずんずんとサツキが迫る。

「あれから何も言って来ないで……あい先輩のことはどうなったのかしら?」

「え、いや、それは、しっかりあるはあるんですが」

「あるなら、多少は話してくれたっていいでしょ?」

「でもそちらは仕事がありますし……って!?」

 そしてたじたじとなるシェリルにいきなりつかみかかったかと思うと、

「吐かせる!首を取ってでも吐かせるわ!生首持って語りなさい!確保お!」

 後ろから絞め上げ、無茶苦茶なことを言いつつ首を上に引っ張り始めたものだ。

「私は被疑者じゃ……チョーク!チョーク!」

「あなたは息しなくても大丈夫でしょうが!」

「デュラハンは勘弁ですよ!」

 完全に乱心したサツキの行動に、啓一と宮子がそろって引きはがしにかかる。

 果たして悪戦苦闘の末取り押さえられたサツキは、しばらくして落ち着くと、

「はあ、はあ……ごめんなさい、機嫌が悪かったんでつい」

 息の荒いまま謝った。

「ついじゃないですよ……ちょっと点検、点検」

 あきれたような声で言うと、シェリルは首を横からつかんでこきこき回す。「点検」という辺りがアンドロイドらしいというべきだろうか。

「………」

「い、いやね、勝山さん。彼女、普段はこんな荒っぽい人じゃないんですよ?何だか今日は、よほど鬱憤がたまってるらしくて……」

 呆然としている宮子に、啓一は肩で息をしながら弁解した。

 だが宮子は何か考えるような素振りを見せた後、

「……『英田』さん?ねえシェリル、それって失踪者の一人でしょ?今反社の件とのつながりを捜査してなかったっけ?」

 思い出したような顔をしながら言う。

「あッ!勝山さん、私の許可なく言っちゃ駄目だと……」

「シェリル?」

 サツキの声に、シェリルはあわてて首を押さえる。

 また抜かれると思ったのだろうが、サツキは、

「反社の件とのつながりって、どういうこと?」

 毒気を完全に抜かれて深刻な顔つきとなっていた。

「もう……!」

「ご、ごめん。これだけ必死なんだからと思ったらつい」

「はあ、気持ちは分かりますけどね……。本当は私の方から頃合を見て話そうと思ってたんですが、もうそんなこと言ってられなくなりました。……じゃあ勝山さん、お二人を自宅に入れてもいいですね?そのお弁当も使う場所なさそうですし」

「え、ええ?僕の家汚いよ?」

「いいですね?」

 拒否権はないとばかりにシェリルに迫られ、宮子はうなずく。

 シェリルに追い立てられるようにして自宅へ案内させられる宮子に半ば同情しつつ、二人はその後について歩いて行った。

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