第12話 離れた距離




 伸ばした手は、桜田先輩に掴まれた。


「市居、情けをかけることはない。諦めると約束したのだから、もう苦しまなくて済むんだ」


「でも……」


 でも、なんだろう?

 続く言葉が思い浮かばなかった。桜田先輩が正しい。もう煩わされることはないのだから、喜んで受け入れればいいんだ。

 これで静かな生活に戻れる。ずっと望んでいたことじゃないか。

 それなのに、胸に穴が開いたような微妙な気持ちになるのは、少しだけ千堂といるのが楽しいと感じ始めていたからだろう。

 でもそれは、時間が経てば忘れていくはずだ。絶対に。





 予想通り、千堂がいなくなると静かな時間を過ごせるようになった。

 桜田先輩の忠告が効いたのか、同じ教室にいても話しかけてくるどころか目を合わせようともしない。俺の存在がいないみたいにふるまっている。

 初めは喧嘩したのなら仲直りをするべきだと騒いでいた周りも、段々と諦めて俺達が元々仲が良かった事実を頭から消し去った。

 そうすれば、千堂の存在で遠巻きにしていた友人が話しかけてくるようになり、前までの生活と変わらない状態になった。


 喜べばいいのに、俺の気持ちは晴れなかった。

 千堂の声がすると、無意識にそちらを見てしまう。でも、決して視線は合わない。自分が選んだ結果なのに傷ついた。


 そしてそれが、体にも不調として出てきた。とにかく、ずっと腹が重い。太ったとかではなく、内部に圧がかかっている感じだ。

 生理の時と似たものがあったが、生理じゃない。

 重みが終始あるせいで、色々なことをするのが億劫だった。


「……はあ」


 体が辛いと落ち込む。落ち込むと体に影響がある。

 負のループに陥っていた。ため息ばかりが出て、自分でもどうしようもなかった。


「……先生に診てもらった方がいいか」


 俺の事情を把握している先生に相談した方がいい。

 生活に支障が出てきたし、周りにも心配されている。部活にも身が入っていないせいで、桜田先輩がまだ付きまとわれているんじゃないかと誤解してしまっている。

 本当に違うと何度も言っているが、俺の状態がこのままだと乗り込みに行きそうだ。そうなったら目も当てられない。


 先生に診てもらえば、今よりは楽になるはず。他に適任もいない。話すだけでも、きっと違う。そう計画を立てただけで、もう気持ちが軽くなっていた。俺も単純な人間だ。




 先生の名前は、新井あらい小太郎こたろう

 昔からやっている新井産婦人科の先生だ。もう70歳を超えているけど、しっかりしているし見た目も変わっていない。昔から、優しいおじいちゃんといった感じで、悩み事があるとなんでも相談していた。

 先生も俺のことを心配してくれて、孫みたいに可愛がってくれている。定期健診以外の時でも、連絡すれば時間を割いてくれた。


「突然なのに、ありがとう」


「なあに、ここは暇だからいいんだよ。世名君とお茶をして話をする時間が、私の楽しみでもあるから遠慮しないでほしい」


「俺も先生と話すのが好きだよ。たくさん迷惑をかけてしまってごめん。先生にしか頼れなくて。また話をしてもいい?」


「いいよ、また悩み事があるんだね。もしかして体調も良くないのかな。随分と顔色が悪い」


「ん。ちょっと色々あって」


 先生は俺のことを誰よりも知っているから、すぐに体調の変化に気づいてくれる。心配して俺の目元に手で触れる。手から優しさが伝わってきて、そっと目を閉じた。


 リラックスした状態で、最近あったことを話す。

 千堂にバレかかったこと、でもなんとか乗り越えたこと。付きまとわれたけど、桜田先輩がなんとかしてくれたこと。でも、それから調子が上がらないこと。


 上手に話が出来なくて支離滅裂になってしまったけど、先生は途中で邪魔することなく最後まで聞いてくれた。大体の流れを説明すると、出してもらったお茶を飲む。


「……こんな感じかな。それで、ずっとお腹が重いんだ。あんまり良くないよね」


「……そうだね。世名君の体にとっては、あまり良くない状態だね」


「分かっているんだけどね……でも、原因がはっきりしてなくて」


 俺は目を開けて、先生と目を合わせた。穏やかに見守ってくれていたらしく、ほっと肩の力が抜けた。


「原因は分かっているんじゃないかな?」


「俺が?」


「話に出ていた千堂君って子と、本当は仲良くしたいのかと思ったけど。違うかい?」


 違うはず。でも先生が言うのなら、心の底ではそう思っているんだろうか。自信がなくなってきた。


「でも、俺この体のことを知られたくない。千堂にはバレそうになったから、あまり危険な状況になりたくないんだ。やっぱり千堂とは一緒にいない方がいいよ」


「……そうなんだね。世名君がそう決めたのなら、私は反対しないよ。ただ自覚はあると思うけど、ストレスが一番体に良くない。原因を何とかしないといけないね。世名君はどうしたい?」


「俺は……」


 どうしたいと聞かれたら、返答に困ってしまう。返事を出せずにいると、先生が俺の手を握ってきた。


「どんな時にも、私は世名君の味方だからね」


 その言葉だけで、俺には十分だった。




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