第45話 八つ当たり





 どちらの両親にも交際を認められ、俺達に立ち塞がる壁はなくなった。まだ人に言って回れないけど、付き合っているという事実が嬉しかった。


 でも一つだけ、どうしてもまだ気になっていることがある。それを解消しないとモヤモヤしたままだ。

 だから連絡を入れた。





「久しぶりだね。世名君」


「色々とあって、ちょっと来るのが遅れたんだ」


「何かあったんじゃないかって、心配していたんだよ。でも見たところ、元気そうで良かった」


「今はね」


 先生のところに来るのは、久しぶりだった。いつもの定期検診の日取りが、家出をしていた時と被っていたので、電話を入れて延期してもらった。それから、一度も来ていなかった。

 体のことを考えれば、定期検診に行かないのは良くない。分かっていたけど、ここまで後回しにした。

 先生と顔を合わせるのが気まずいと、初めてそう思ったのだ。


 これまで反抗期になった時も、親には言えなかったことも、先生には素直に相談できた。

 でも今回の件で、裏切られたという気持ちが強すぎて、顔を見たら文句を言ってしまいそうだった。

 落ち着いてからと思っていたら、今日まで行けなかった。


 久しぶりだからか、それともまだ吹っ切れていないせいか、どこかぎこちない空気になる。それを察知した先生は、診察を終えるとお茶を飲もうと提案してきた。

 いつも後に患者がいない時はグダグダと残っているので、ここで断ったら駄目かと受け入れる。


「あれ?」


 お茶を持ってきたのは、桜田先輩だった。エプロンをつけて、存在がさり気なかったから初めは気づかなかった。でも、見覚えのある顔に、気づいた時には驚いた。


「ここで、手伝いをさせてもらっている」


 お茶を置きながら、簡潔に状況を説明してくれた。桜田先輩をここに連れてきたのは、自発的に手伝いをするぐらいの転機だったのか。


 前よりもずっと晴れやかな顔をしていて、重圧に押しつぶされかけていたのが嘘みたいだ。俺を神格化しかけた頃と比べると、全然雰囲気が違う。これが本来の桜田先輩なのだろう。


「あ。美味しいです」


「良かった。最初は淹れ方すらも分からずに苦労した。まだまだ俺の知らないことは、世の中にたくさんあるんだな」


「桜田君はよくやってくれているよ。とても助かっている。ここでずっと働いてほしいぐらいだ」


「恐縮です」


 2人は、とてもいい関係みたいだ。見ていて、信頼を築いているのが伝わってくる。

 冗談のように言っているけど、本当に桜田先輩がここで働く未来があるかもしれない。


 それなら、彼がいても構わないか。いや、また変な方向に受け止められたら困る。

 今日のところは席を外してもらおう。


 先生と二人きりで話したいと言えば、空気を読んで部屋から出て行ってくれた。寂しそうな表情に申し訳わけなくなったが、さすがにまだ教えられない。


 2人になった途端、部屋の空気が変わった。


「……ご両親から話は聞いているよ。体のことを知ったと」


 そういえば両親に口止めしていなかった。話していたとしても不思議じゃない。

 俺と同じぐらい、先生を信頼しているから。


「ずっと黙っていたんだよな。なんで? 話してくれれば良かったのに」


 どうしても、恨みのこもった言い方になってしまう。裏切られたという考えは、まだ変わっていなかった。


「あの時は、それが正解だと思ってしまった。他の人には無い部分が備わっていて、しかも生理が来て、世名君は心配になるぐらいに混乱していた。だから、そこでさらに妊娠できる事実まで伝えたら、危険だと判断したんだ」


「俺が自傷するんじゃないかって? 世の中に絶望するんじゃないかって? でも、あんな形で知るよりはマシだったよ。早くに教えてくれていれば、最初は受け止めきれなかったとしても、時間が経てばこの体と共に生きようと思ったはずだ。何も教えてくれないで、恋人を作るなと禁止する方が酷い」


 先生が、恋人を作るなと言ったわけではない。むしろ響也との関係で悩んでいた時、背中を押してくれた。

 それがあるからこそ、余計に裏切られたと感じるのかもしれない。


「そうだね。世名君が、とても強い子だって忘れていたよ。勝手に決めつけて、君の意思を尊重しなかった。黙っていて、本当に申し訳ない」


 責め続けた俺に、先生は深く頭を下げた。その姿を見て、ここまでさせてしまった自分に嫌気が差した。

 勝手に裏切られた気になって、今まで支えてくれた恩を仇で返すところだった。先生だって人間だ。間違えることだってある。

 これまで支えてくれたのは間違いないのだから、それを信じればいい。


 ここに来る前から、すでにその結論は出ていたのに責めてしまったのは、俺がまだまだ子供だったからだ。


「……先生」


 話しかけても、先生は頭を下げていた。


「先生、顔を上げて」


 その背中に手を置き、俺は話しかける。


「先生に八つ当たりした。ごめん。何も悪くないのに。先生はずっと、俺のことを考えて守ってくれていたのに。さっきの言葉は、全部取り消すから。守ってくれて、支えてくれてありがとう」


 ようやく顔を上げてくれた。俺はその胸に抱きつく。


「これからもよろしく」


「……こちらこそ」


 涙がにじむ。鼻声で伝えれば、しっかりと抱きしめ返された。




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