第53話 幸せの時間
「響也、放課後ちょっと出かけないか」
「出かける? いいよ」
どこに行くのか聞くことなく、響也は頷いた。前にも思ったけど、それでいいのか。もっと詳しい状況を知ってから、判断するべきだと思う。
でもまあ、誘っている俺からすれば、こっちの方がいいのだろう。
今日は目的地を言うつもりは無い。
どこに行くのか伝えていないのに、響也はただ俺についてくる。目的地を尋ねて来ない。その従順さが、信頼されているみたいで嬉しかった。
ルートは頭に入っている。調べておいた。だから迷わずに行けるはずだ。
電車を乗り継ぎ、駅からバスに乗る。その間、一度も響也は何も言ってはこなかった。ただ世間話をするだけだ。
でも、俺が何か覚悟しているのには気付いているだろう。俺の緊張が伝わっている。
窓の外を見た。日が沈むまで、あとどれぐらいだろうか。間に合えばいいのだけど。
いや、大丈夫だ。絶対間に合う。
俺は自分を落ち着かせて、そしていつの間にか手を握られていることに気づいた。
「……響也?」
「大丈夫だよ。ほら、もうすぐ着くから」
どこに行くのかも知らないくせに、響也は自信満々に言い切った。その能天気さが、俺を助けてくれた。
「それじゃあ行こう」
バスのボタンを押した。そして響也を案内するために、手を繋いだ。驚いた様子だったけど、手が離されることは無かった。
潮風を感じる。いい匂いだ。
風が気持ち良くて、思わず口角が上がった。
「……もうすぐ、海?」
「そうだ」
ここまで来たら、もう隠せないだろう。俺は正直に話した。
「そっか。絶対に綺麗だよね」
そう言ってくれるだけで、勇気をもらえた。俺が何をする気か知らないのに。どうして、そんなに俺の気持ちを分かってくれるのだろうか。
「ああ、そのはずだ」
海は日が沈みかけて、オレンジ色に染まっていた。とても綺麗だ。
海に入る時期でもないからか、そこまで人の姿は無い。俺は話を頼りに、さらに進んでいく。
「あと少しだから」
「大丈夫だよ。そんなにヤワじゃないって」
あと少し。そうすれば、目的の場所が見えてきた。
「う、わあ」
響也の驚く声が聞こえてきた。それだけで、ここに来たかいがある。
俺も、あまりの美しさに息を飲んだ。
そこは崖の上だった。きちんと安全対策のために柵が設置されていて、よほど無茶なことをしないかぎりは落ちない。
何も邪魔をしない水平線。それはこの世界に、俺達2人だけのように錯覚させた。いや、今ここには俺達しかいない。だから、何をしてもいいのだ。
「……響也」
俺は響也に向き合う。そして両手を握った。
響也は何かを言おうとして、でも結局何も言わなかった。
ただ、俺だけを真剣な眼差して見つめていた。
「……最初はなんだこいつって思ったし、体の秘密がバレるし、関わりたくないタイプだった」
急な悪口に、驚き困惑している。いい雰囲気だったところで、急な落差に戸惑っているみたいだった。でも何も言ってこない。
「でも気づいたら俺の頭の中を占めていて、傍にいることが普通になって、かけがえのない存在になっていた」
遠回りもした。関係が壊れかけたりもした。
それでも、こうして俺達は乗り越えた。
「俺の未来には響也がいて、響也の未来には俺がいてほしい。俺と、一緒に未来を歩んでください。これから先もずっと」
夕日に照らされながら、俺はプロポーズをした。
ここは、俺の父が母にプロポーズした場所だった。2人からずっと話を聞いていて、もし俺が誰かにプロポーズをするとしたら、ここでやると決めていた。
「せ、なちゃん」
「指輪はまだ用意できていないけど……これを受け取ってほしい」
握っていた手を離し、俺はカバンの中から手のひらサイズぐらいの箱を取り出した。そしてゆっくりと開ける。
「俺と、同じ時を刻んでいこう」
中に入っているのは腕時計だ。俺と響也おそろいの。
「そ、こまで高くなくて悪い。バイトは部活に入っていると禁止されているから」
何も言わないから、もしかして気に入らなかったのかと焦る。
時計を買うのに、今まで貯めていたお金を使った。でもバイトをしていれば、もっといいものが買えたはずだ。どうして貯めなかったんだろう。
金遣いが荒い方では無いけど、今思うと無駄な出費だった買い物が何個かあった。その時の自分を全力で止めたい。もっと必要な時に使えと。
叶わない願いをしていたら、響也がようやく口を開いた。
「世名ちゃん。本当に、ありがとう。俺、俺……すごく、うれしい」
その目は潤んでいた。演技でも、気を遣ったわけでもない。本当に喜んでくれている。
「手を、出してくれ」
ゆっくりと震える手で、手首に時計をつけていく。
「きつくないか?」
「大丈夫。ぴったりだね」
シルバーを基調にし、アクセントとして赤が入っている時計は、とても似合っていた。
響也のことを考えながら買ったので、俺の見る目に狂いはなかった。
満足していると、響也に手を掴まれた。
「今度は、俺がつける番」
そう言って、俺の手からもう一つの時計をとると、同じぐらい手を震わせながらつけてくれた。
シルバーを基調としているのは一緒だが、俺のは青がアクセントとして入っている。
「世名ちゃんも、よく似合っている。おそろいだね」
「ああ。これなら学校でも、外でもつけられるだろ」
「うん。もう外したくないぐらい」
「それは止めろ」
馬鹿なことを言うから軽く諌めれば、急に真剣な表情に変わる。
「指輪は、俺に用意させてね」
これは、プロポーズの正式な返事として受け取っていいはずだ。俺はゆっくりと頷く。
その瞬間、浮遊感に襲われる。響也が抱き上げてきたのだ。
俺より背が高いが、それでも決して軽々とじゃない。それに場所が場所だ。柵があっても、バランスを崩せば落ちる。
俺は響也の背中を叩いて抗議する。しかし興奮していて届いていない。そのままグルグルと回されて、落ち着く頃には精神的な疲れでぐったりしていた。
まあ、これも俺達らしいと言えば俺達らしいのかもしれない。
まだまだ問題は起こりそうだけど、それでも2人ならば乗り越えられる。確信があった。
恋には遠い 瀬川 @segawa08
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