第9話 彼の怒り
千堂をあの手この手で回避しながら、桜田先輩と仲良くなっていった。
そのおかげで、調子がすごくいい。体も弓道も。
あとは千堂が諦めてくれれば。まだそんな気配はないけど。
桜田先輩と話が出来て浮かれている俺は、全く気がついていなかった。不満が爆発しかけていることを。
逃げるのを考えすぎて、ちゃんと見ていなかった。
「ねえ……さすがに限界なんだけど」
「せ、千堂」
油断していた。
少し大人しくなってきていたから、そろそろ飽きていたのかと思っていたぐらいだ。千堂に詰め寄られて、初めてそれが間違いだったと知った。
「ずっと逃げてくれたね。俺を振り回して楽しかった?」
「えっと」
「仲良くするって言ったのに、全然してくれないじゃん。それって騙したことになるんじゃない?」
「いや、騙したわけじゃ」
「騙したんだよ」
怖い。
壁際に追い詰められた俺が逃げないように、両脇を千堂の手が塞いでいる。それでも、隙があれば逃げられるんじゃないかと期待したが、全くない。
一挙一動を見逃さないとばかりに、見てくる。あまりに距離が近いから気まずい。
「こっち見て」
いたたまれなくて視線をそらそうとしたら、その前に阻止された。俺はできる限り視界の隅で、千堂の姿をとらえる。
「それで言い訳はある?」
完全に悪人扱いだ。そこまで悪いことをしていないのに。
段々とこの状況に納得出来なくなる。
「俺は騒がしいのが嫌いなんだ。千堂がいるとうるさいから、静かな場所に避難している。昼は付き合ってやってるだろ。それ以上、俺に何を求める気だ」
謝ってこの場を乗り切れば楽だが、挑発してしまう。良くないと分かっていても、止められなかった。
「俺がどこで何をしていようが、千堂には関係ない」
「へえ。関係ないね」
地雷を踏んだと、すぐに分かった。
笑っているのに怒っている。そんな矛盾した状態だ。でも、本当にそうだった。
「関係ない。関係ないか。ははっ。それって
……全然面白くない冗談だね」
そう言って、うつむいてしまった。前髪で隠れて表情が読めなくなる。
話しかけられるような雰囲気でもなくて、黙るしかない。何も言わない俺にどう思ったのか、千堂が舌打ちをした。いつもひょうひょうとしているから、こんなに苛立った姿を見たことがなくて驚く。
「俺は我慢した方だと思わない? もっと早くめちゃくちゃにしても良かったけど、世名ちゃんが嫌がるかもって抑えてたんだから。それなのに、世名ちゃんは俺を馬鹿にしているよね」
凄まじい怒りが、声だけで伝わってきた。
でも不思議なことに、俺に全ての怒りを向けているようではなかった。他にも怒りを向ける対象がいる。そんな気がした。
「本当、ムカつく」
また舌打ちをすると、俺の胸の辺りに頭をのせてきた。加減をしていないから、痛いし重い。しかもぐりぐりと押し付けてきて、さらに力が集中した。
「お、おい」
「悪いと少しでも思っているなら、頭撫でて」
「はあ?」
何言ってるんだ。
反射的に声が出たが、千堂は気にせず頭で攻撃し続けた。
「そうしたら、とりあえずは許してあげる。変なこともしない」
謎に上から目線。俺にとっては、この状況からすでに変だった。
でもまあ言ったところで、素直に聞かないだろう。俺の方が折れるしかない。
「分かったよ。撫でればいいんだろ。撫でれば」
もうやりとりするのも面倒くさくなって、ため息を吐き雑に撫でた。優しくなんかしない。攻撃するぐらいの強さだった。
「い。いててっ。世名ちゃん、強いよ。もっと優しく」
「これが精一杯だ」
ガシガシと音が出そうなぐらいに撫でる。文句が聞こえてきたが、受け流して逆に力を込めた。俺の胸も同じぐらい痛い。お返しだ。
それに、痛いと言いながらも嬉しそうだ。怒りも小さくなって、笑ってもいる。
「ははっ、撫で慣れてないね」
「文句があるなら、もう止めるぞ」
「誰も文句なんて言ってないよ。世名ちゃんは血の気が多いなあ」
「ちゃん付けするな」
良かった。空気がいつも通りになった。相手に気づかれないように安堵する。
たまに千堂は、雰囲気が恐ろしくなる。得体の知れない怖さがあって、それに翻弄される自分が悔しかった。
「だって、可愛いんだもん。世名ちゃん。そう思わない?」
「可愛いって言われて、嬉しいと思うのか?」
「嬉しくないの?」
「そんなわけあるか」
軽口も取り戻せて、俺は気を緩めていた。警戒を解くべきじゃなかったのに、緊張し続けるのに耐えられなかったのだ。
「ねえ、世名ちゃん」
「なんだ?」
「静かにするし、誰も呼ばないからさ……俺とも二人きりの時間を作ってくれるよね」
「はあ?」
「そうじゃないと、俺悲しくてまた何をするか分からないな。暴れ回っちゃうかも」
絶対に断りたい。千堂と二人きりなんて嫌だ。
でも冗談で言っているようではなくて、断ってはいけないと本能が警告していて、俺はその提案を泣く泣く受け入れた。
嬉しそうな千堂に、なにか引っかかるものがあったが、考えても答えが出なさそうだったので気にしないことにした。
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