第24話 ピンチの状況
駄目だ。もう我慢できない。
これ以上、友好的に接するのは無理だった。
気持ち悪すぎる。こんな人だと思わなかった。知らずに尊敬していた自分が馬鹿だ。
桜田先輩から体を守るように、背を向ける。
「市居?」
不思議そうな声。俺の気持ちの変化に気づいていない。俺のことを好きだと言いながら、全く見ていない。それは好きだと言えるのだろうか。
千堂なら、ささいなことにも気づくのに。また比べてしまった。今、何しているのだろう。会いたくてたまらない。
「……せんどう」
思わずこぼれた。呼べば届く気がした。
でもその声は違う人に届いた。
「どうして、そいつの名前を呼ぶんだ」
頭を掴まれた。そして無理やり顔を向けさせられる。顔を見なくても怒っているのだと分かった。見て裏付けされた。
怒りと書いてあるみたいだ。怒りすぎて我を忘れている。
思い通りにいかないのが、信じられないらしい。むしろ、ここまでしておいて好かれると勘違いしている方が驚きだ。
「どうして、その名前を呼ぶんだ。まだ分かっていないのか」
至近距離で目を合わせられる。桜田先輩の瞳に映る俺は、諦めた顔をしていた。どこかに連れて行かれるぐらいなら、ここで捨てられた方がいい。どんな痛みが待っていたとしても。
「反抗的な態度をとるなんておかしい」
「おかしいのは、あなたです」
「市居は、俺の市居はそんなことを言わない」
彼の言っている俺は、彼の中で勝手に作られた偽者だ。俺じゃない。
いもしない存在にすがって、愚かとしか言いようがなかった。
「俺は別に神に愛されているとか、そんなおとぎ話のような話は信じません。俺は俺です。あなたのために作られた偶像なんかじゃありません」
「嘘だ……信じない。市居は俺の希望で、そして光なんだ」
うろたえ話を聞きたくないと、耳を塞いでしまった。この人は、ただ俺を都合のいいポジションに据えようとした。そして上手くいかなかったから、こうして暴走したのだ。残念な人である。
「市居のおかげで、全てが望むままになったんだ。市居がいたから。傍にいてくれないと、またあの頃に逆戻りになる。それだけは嫌だ」
どうして俺に執着するのか、その言葉でなんとなく分かった。
前に別の先輩に聞いたのだが、桜田先輩は成績が落ち込んでいた時期があったらしい。どんな方法を試しても駄目で、辞める瀬戸際までいった。でもある頃からV字回復していき、前よりもさらに強くなった。
今ではスランプだったと簡単に言えるけど、彼の当時の絶望は想像以上だろう。追い込まれていたはずだ。
その転機に、どうやら俺が関わっているようだ。そのせいで、こんなに盲目に信じてしまうことになったとも言える。
でもタイミングが重なっただけだ。俺じゃなくても良かったし、俺のこの体は絶対に関係ない。
「それは桜田先輩自身が乗り越えたんです。俺がいなくても、いつかはいい方向に向かっていました。俺は関係ありません。俺じゃなくても良かったはずです」
耳を塞いでいる手を外しながら、静かに諭す。俺が特別な存在では無いと分かってもらうために。
「いや、市居は俺の希望の光だ」
「俺はそんなに大層なものじゃ……」
完全に信じきっていて、何を言っても意味が無さそうだ。どうすれば分かってもらえるのか。頭が痛くなってきた。
「市居。頼む。俺の傍にいてくれるだけでいい。それだけでいいんだ。他に何も望まない。2人きりになろうなんて、不相応なことも考えない。だから、どうか、どうか傍にいてくれ」
手を宝物のように包み込まれ、懇願される。とても必死だった。同情してしまうほどに。
俺がこの手を拒否したら、彼はどうなるのか。
心の支えにして依存している分、この段階では廃人になってしまう確率が高すぎる。一人の人生を背負えるほど、俺は強くない。責任を持ちたくない。
切り捨てるには勇気が足りなかった。
「桜田先輩の力になれるとは思いませんが、傍にいるだけなら。それだけなら……いいですよ」
「本当か?」
「……はい」
これは逃げているのと変わりない。結論を後回しにしただけに過ぎない。それでも見捨てられなかった。後悔すると分かっていても。
「嬉しい。幸せだ。ありがとう、市居」
怒りを消し去り、桜田先輩は甘えてくる。まるで犬みたいだ。でも懐かれて嬉しくはない。
憧れていた姿は、180度変わってしまったのだから。もう尊敬していた彼は、どこにもいなかった。
「ただ、条件があります」
「条件?」
「必ず守ると約束してください。どんなことでも」
「分かった。約束する。それで、どんな条件なんだ?」
そんな簡単に約束するべきじゃない。死ねと言われたらどうするんだ。……彼のことだから、実行してしまうかも。簡単に想像出来てしまった、とても嫌だった。
「条件というのは……」
俺の出した条件を聞いて、桜田先輩は不服そうな顔をしたが、約束は約束なので受け入れる以外になかった。
とりあえず、何とかいい方向にまとめられたから自分を褒めたい。
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