第31話 偶像の終わり





 心配しながら病院に戻れば、想像以上の光景が広がっていた。


「えーっと、先生?」


「おかえり、世名君。それはもしかして大福かな?」


「ただいま。今日のおすすめだって言うから買ってきた」


「とても美味しそうだね。お茶まで淹れてくれて、至れり尽くせりだ」


「今日のお礼だから気にしないで。って、それよりも……どういう状況?」


 普通に話をしたが、ツッコミどころが多い。

 まず桜田先輩だ。大号泣という言葉が思い浮かぶぐらいの泣きっぷり。俺が帰ってきたのにも気づいていない。

 そして先生が、それに対してほとんど無反応なのもおかしい。桜田先輩は先生にすがりついているけど、気にしていないみたいだった。


 驚いている俺がおかしいのか。そんなわけない。どう考えても、おかしな状況だった。


「えっと……上手くいったってことでいいんですか?」


 先生が怪我をしていないのなら、とりあえずはいいけど、これは上手くいったと言えるのだろうか。とにかく説明を求めれば、先生が穏やかに笑う。


「そう考えていいと思うよ」


「一体どんな魔法を使ったんですか」


 2人きりにしたといっても、せいぜい15分ぐらいしかかかっていない。和菓子屋の店主と話はしたけど、それでも長くはかからなかった。

 しかしその短時間で、俺の悩みを解消したのだ。先生の凄さに、驚きすぎて逆に怖くなってきた。


「魔法なんて使っていないよ。ただ、話を聞いてあげただけだ。桜田君には、それが必要だった。誰かに話を聞いてもらいたかったんだ」


「……話を聞いただけ」


「彼は、色々な重圧がかかっていたみたいだからね。世名君と同じで、溜め込むタイプだったから、それが爆発して行動が止められなかったんだよ」


 重圧か。たしかに、桜田先輩は大きかっただろう。部長というだけでも重いのに、他にも委員会活動や勉学など色々と完璧にこなしている。

 それをため込んで、俺への偶像崇拝になってしまったわけだ。


「もう大丈夫。執着は全て消しされなかったけど、小さくはなったから。先輩後輩の関係でいられるよ」


「……ありがとうございます」


 こんなにあっさりと解決するなら、もっと早く先生に相談すれば良かった。でもここまで悩まなければ、相談しようなんて考えなかっただろう。

 俺は頭を下げる。


「……市居」


 ようやく泣き止んだ桜田先輩が、先生の足元から離れて、俺の方に近づいてきた。大丈夫だと言われても、恐怖を感じてしまった。

 反射的に体をすくませてしまうと、それを見て悲しそうな顔をした。


「あ、すみません」


「いや、俺が市居を怖がらせてしまったんだよな。……今まで悪かった」


「あ、謝らないでください。俺も大げさな反応をしてしまいました。ごめんなさい」


「謝らせてくれ。気持ち悪かっただろう。先生と話していて、自分の不甲斐なさを実感した。もう付きまとうことはしない。……ただ、許してくれるのであれば……部活では顔を合わせるのだけは許してほしい」


 土下座をする勢いに、俺の方が慌てる。


「そ、そこまでしなくていいんですよ。部活だけじゃなく、今まで通り先輩後輩としての関係でいさせてください。桜田先輩が良ければですが」


「もちろんだ。こっちの方が頼みたい。……俺のことを許してくれて、心から感謝する」


 俺は桜田先輩の肩に触れた。驚いたように震えたが、振り払われはしなかった。触ったことにだけ驚いているらしい。


「桜田先輩のことは尊敬しています。体をバラさないでくれて、影からサポートしてくれてありがとうございました」


 お礼を伝えれば、桜田先輩はくしゃりと顔を歪めた。その瞳から涙が溢れて、そしてまた号泣ぐらいの量になる。


「泣かないでください。桜田先輩に泣かれると困ってしまいます」


 涙を拭うほどは触れられない。そんなふうに触れたら、せっかく解けた誤解を戻してしまう。先生の行動が無意味になる。

 だから言葉で止めようとした。


「……悪い。もう少ししたら止まるから。大丈夫。そんな顔しないでくれ」


 俺の方が泣きそうになっていた。俺達をそっと見守っていた先生が、それぞれの肩に手を置く。


「2人とも、今は我慢せずに泣いていいんだよ。ため込みすぎは良くないって、今回の件ではっきりしたんだから。泣きたい時は泣きなさい。ここでなら、どれだけ泣いても誰も文句は言わない」


 先生の言葉に、さらに涙が溢れた。俺達はそこから先生に見守られながら、しばらく泣き続けた。


「市居、先生ありがとうございます。おかげで、とてもすっきりしました」


 晴れ晴れとした顔をした桜田先輩は、涙も止まり俺と先生にお礼を言った。憑き物がとれたようで、俺の憧れていた姿になっていた。良かった。もう執着することは無いだろう。


「話がしたかったら、いつでもおいで。連絡先を教えておくからね」


「何から何までありがとうございます」


「世名君も、いつでも来ていいからね」


「うん。また来る」


 病院を出ると、桜田先輩が俺を見た。


「今日はありがとうな。市居のおかげだ」


 そう言って笑う姿に、俺も笑い返した。




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