第4話 絡んでくる




 あの後、何を言って帰ったのか覚えていない。たぶん、上手い言い訳は出来なかった気がする。とにかく逃げるように走って、家まで一度も止まらなかった。

 飛び込むように入り鍵をかけて、そこで足の力が抜けた。ずるずると床に座り、顔を手で覆う。


「……さいあく」


 早く服を洗わないとしみになる。それは分かっているけど、今は動けなかった。

 終わった。頭の中に占めるのは、その言葉だけだ。絶対にバレた。服に、それも尻に近いところが血で汚れている。どう考えても、普通の怪我じゃない。

 頭が良ければ、俺が隠そうとしている秘密に気がつくだろう。そして、千堂はへらへらしているけど馬鹿じゃない。勉強をしている様子は無いのに、テストの成績は良かった。

 最初は驚いていたかもしれないけど、冷静になったら血の理由を考える。生理に結びつけるまで時間がかかっても、最後には行き着く。


「……おれのばか」


 今まで隠し通せていたのに、こんなあっけなくバレるなんて。親になんて説明すればいいんだ。どんなに考えても、答えは見つからない。俺はしばらく動けなかった。


 さすがに制服を洗わなくてはと、風呂場で血を落としている最中は、とてもみじめだった。どうして俺がこんな目に。久しぶりに、自分の体を呪った。




 親には、バレたかもしれないと話せなかった。どう説明すればいいか分からないし、俺のうかつな行動を言いたくなかった。

 学校を休みたかったけど、どんな状況になっているのかを確認したかったので、結局行くことにした。

 とにかく足が進まない。生理のピークは過ぎたのに、体が鉛のようだった。歩くたびに、ため息が出る。


 教室に行ったら、きっと黒板に大きな文字で書かれている。

『男女きもい!!』

 それぐらいならまだいいけど、俺が想像出来ないような罵詈雑言が書かれているかもしれない。言葉を見て、平然としていられるか自信がなかった。そういった悪意に耐性がない。


 拳を握る。握るだけじゃなく、手のひらに爪がくい込むぐらいに力を入れた。皮膚を突き破ったのか、痛みが走った。でも、今はその痛みが必要なぐらい辛い。

 またため息が出る。


「せーなちゃんっ!」


「!!」


 いきなり肩を叩かれ、俺は驚いて声も出せなかった。そのまま崩れ落ちかけたところを、何とか踏ん張って留まる。びっくりした。肩を叩かれただけなのに、俺からすると殴られたんじゃないかというぐらいの衝撃だった。


「おっと、驚かせちゃった? ごめんごめん」


 驚かせてきたのに、相手は全く悪びれた様子がない。いつも通りに話しかけてくる。それがおかしかった。


「昨日は大丈夫だった? 世名ちゃん?」


「……千堂」


 振り返ると、そこにはヒラヒラと手を振っている千堂が立っていた。その顔に嫌悪の感情はない。蔑んでいる感じでもない。

 でも安心はできず、俺は身構えた。


「そんな怖い顔しないでよ。嫌わないでほしいなあ。……俺達は秘密の関係なんだからさ」


 最後の言葉は、耳元で囁かれた。俺は吐息が気持ち悪くて、反射的に耳を押さえて後ずさる。舌打ちをして睨むが、相手はひょうひょうと笑っていた。


「……秘密の関係?」


「そう。バレたくない秘密あるでしょ?」


 ある。あるに決まっている。

 やっぱり心の中で留めてくれず。馬鹿にする気なのか。そういう人間だと思っていた。

 だからバレたくなかったのに。俺は息を吐いて、髪をかき乱す。


「俺の秘密? それを知って、どうする気なんだ。そもそも秘密って?」


 無駄だと分かっていても、悪あがきをする。まだ何とかなるかもしれない。同情に訴えればいいんじゃないか。秘密にしてくれるのなら、土下座でもなんでもする。

 余裕に見えるよう、口角を上げる。でも相手の反応からすると、あまり上手くいかなかった。


「顔引きつってるよ。そんなに知られたくなかった? まあ、無理もないよね。だって」


「ちょっと来い!」


 まさか、人のいる場所で言う気か。俺は有無を言わさず、千堂の腕を掴んで人気のないところまで引っ張った。


「こんなところに連れてくるなんて、何をする気なの? えっち」


「はあ? そういうのじゃないから、気持ち悪いこと言うな」


「だって、こんな誰もいないところに連れてくるなんて、俺を無理やり手篭めにでも……ごめんって。清廉潔白な世名ちゃんが、そんなことするはずないよね」


 ベラベラとうるさいから軽蔑の眼差しを向ければ、すぐに謝ってくる。どこまでが本気なのか分からないから、相手にしづらい。

 どう話を進めればいいのか、どうすればここだけの話にしてくれるのか。


「……誰にも、言わないでくれ。頼む」


 千堂から視線をそらして、ボソボソと言った。こいつに頼むなんて最悪だ。でもそうしなければ、俺の体のことを広められる。


「まあ、知られたくないよね。恥ずかしくてたまらないもん」


 恥ずかしい、俺の体は恥ずかしい。その言葉に傷つく。こんなことぐらいで傷ついていたら、これから先耐えられないだろう。

 千堂なんて気にしなければいい。

 俺は唇を噛みしめ、睨みつける。


「そんな怖い顔しないでよ。秘密にしといてあげるからさ。世名ちゃんが……痔だってこと」





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