第3話 最悪な日




「下校時間になったけど一人で帰れる? 辛いなら、迎えに来てもらうこともできるけど……」


「大丈夫です。休んだおかげで楽になりました」


「そう? でも気をつけてね。市居君、頻繁に体調が悪くなる日があるから。もしあれなら、一度病院で診てもらうのも」


「大丈夫です。失礼します」


 養護教諭の話を遮るようにして、俺は保健室から出ていった。まだ何か言いたげではあったけど、追いかけられることはなかった。荷物を取りに廊下を歩きながら、俺は息を吐いた。

 あまり保健室を利用しすぎると、こういう風に心配されてしまう。辛くても、行くのは最終手段にした方が良さそうだ。ないとは思うけど、無理やり病院に連れていかれたら、とんでもないことになる。

 職務として心配してくれているとしても、俺にとっては無用だった。あの先生にも、これ以上不審に見られないために注意しておこう。


 どんなに優しい言葉をかけてくる人でも、俺の秘密を知ったら、気持ち悪いと遠ざかるはずだ。気を許すわけにはいかない。

 俺はそっと腹を撫でる。寝たおかげで、先ほどよりはいくらかマシになっていた。でも元気というにはほど遠い。

 早く帰りたいけど、のろのろとしか歩けなかった。まあ、ほとんどの生徒が帰っているから、誰ともすれ違わない。こんな状態でも何か言われることはないので、そこまで焦らずに進む。


 どこかぼんやりとしていたせいで、俺は気が緩んでいた。誰もいないと決めつけてしまった。

 それが間違いだったと気がついた時には、すでに廊下の角で人とぶつかっていた。

 いつもなら平気なのに、弱っていたせいで尻もちをつく。冷たい廊下に、うった尻以上に腹が痛かった。


「っ……」


 全く周りを気にしていなかったとはいえ、急いでいないのにも関わらず誰かとぶつかるなんて。ついてない。

 痛みに顔をしかめると、手を差し伸べられた。


「大丈夫か?」


 げ。声が出そうになった。今日はとことんついてない。

 まさか、ぶつかった相手がよりによって千堂だなんて。どれだけの確率だ。


「あれ……世名ちゃんだ。ここで何してるの?」


 向こうも、俺だからぶつかったわけではないらしい。俺だと分かって驚いている。わざとだったら、本当に嫌になるところだった。


「ちゃん付けするな。お前だって、なんでここにいるんだよ」


 確か部活には入ってなかったはずだ。いつも周りに女子をはべらせて、さっさと帰っているのに。珍しいことに一人らしい。

 千堂の周りを見ていた俺は、その手に持っているものがなにか気づいた。


「それ、俺の荷物」


 見覚えのあるカバン。俺のだ。

 どうして千堂が持っているんだ。責める視線を向けた。


「ああ、これ。もう教室の鍵を閉めるって言うから、届けようと思ってたところだったんだ。さすがに、ないと困るでしょ?」


「そうだったのか……」


 これは、疑っていたのが申し訳ない。わざわざ荷物を持ってきてくれたらしい。罪悪感に苛まれながら、俺は差し伸べられた手を掴まないで立ち上がる。俺の行動は予想通りだったようで、千堂は苦笑しながら手を引っ込めた。


「……助かった。ありがとう」


 気を許したわけじゃないけど、助かったのは確かだ。礼を言いながら、今度は俺が手を差し出す。でも、何故かすぐに返してくれない。


「おい」


 なんだ。どうして返してくれないんだ。睨みつけても、返す気配はなかった。


「体調は良くなったの?」


 荷物を返さないまま、話しかけてきた。面倒くさい。いい人だと評価を上げかけたけど、すぐに元に戻した。やっぱりいけ好かない。苦手だ。


「ああ……もう大丈夫」


「本当に? それならいいけど、どこが悪いの? 頻繁に体調を崩すよね。不治の病とか?」


「お前に関係ないだろ」


「関係ないって、それって冷たくない? 心配しているのにさあ」


「さっきも言ったけど、放っておいてくれ。絶対に話すことは無い」


 こういうタイプにバレれば、面白おかしく周囲に話される。気持ち悪いと遠巻きにして、そのくせ集団で笑ってくるのだ。体験したことはなくても、なんとなく想像出来る。

 一番知られたくないタイプだった。だから関わらないようにしているのに。どこまでも俺に絡んでくる。


「酷いなあ。どうして、そこまで俺のこと嫌ってくるの? 俺が何かした? 何もしてないよね」


 千堂はまだ何もしていない。先のことを警戒して、遠ざけているだけだ。それを言っても、たぶん納得しないだろう。俺は相手の隙をみて、カバンを無理やり取り返した。油断していたから上手くいった。


「嫌われているのが分かっているなら、もう関わってくるな。カバンを持ってきたことは感謝するけど、それ以外は余計だ」


 これで嫌ってくれればいい。帰ろうと背を向けると、後ろから困惑する声が聞こえてくる。


「世名ちゃん……血が」


「血? っ!!」


 血という言葉に、俺は自分の体を確認して背筋が凍る。

 千堂の言う通り、服に血がついていた。でもそれは、怪我をしたからじゃない。まだそっちの方がマシだった。血がついているのは、転んだ時にナプキンがずれて漏れたせいだ。



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