第7話 憧れの先輩




「ここで何してるんだ?」


「あ……桜田先輩」


 扉を開けて入ってきた人物を見て、俺は肩の力を抜く。

 良かった、千堂じゃない。


 弓道部部長、桜田先輩。

 彼は俺の憧れている人だ。凛としたたたずまい、焦っているところを見たことがない。文武両道とはまさにこのことだと、尊敬してやまない。

 背が高く、表情を変えることがないから、圧を感じる人もいるらしいが、俺は全くそう思わなかった。むしろ、男らしくて格好いい。


 千堂よりはマシだけど、サボるためにここに来たと思われたくない。どこか緊張して、自然と背筋が伸びた。


「市居か。どうして部室に?」


 いぶかしげに聞かれ、どことなく後ろめたさを感じながら答えた。


「申し訳ありません。少し休憩しようと思って、勝手に中に入りました」


 ごまかしたり、嘘がつけなかった。言ったところで絶対にバレる。そっちの方が信用を失いそうだ。

 俺の答えを聞いて、桜田先輩の眉間に深いしわが寄った。呆れられたか。鍵を取り上げられるかもしれない。彼の答えが怖かった。


「……なにか理由があるんじゃないか?」


 叱責をされるかと思ったが、意外にも静かに問いかけられる。俺はどう答えるべきか迷って、千堂の話をした。


「そんなことがあったのか」


「申し訳ありません。私情で、部室を勝手に使うのは良くないと分かってはいたんですが。ここしか他になくて……」


 言い訳がましい感じになってしまった。桜田先輩の表情からは、何を考えているのか読み取れない。自分の駄目さ加減に、嫌気がさしてきた。


「えっと……本当にすみませんでした。鍵は返します」


「何故?」


「何故って、こんなふうに勝手に利用するのは良くないでしょう。他の部員にも示しがつきませんから、返すべきだと……」


 言葉につまった俺に、桜田先輩が近づいてきた。さらに背筋が伸びたが、肩に置かれた手に怖さは含まれていない。そう感じた。


「いつでも、ここを利用すればいい」


「でも……」


「ストレスを溜めたら、次の試合で力を発揮出来なくなる。市居は部のエースだ。期待しているから、変なことで潰れてもらいたくない」


「……桜田先輩」


 なんて優しい人だろう。さらに憧れの気持ちが強まった。


「でも、やっぱり勝手に使うのは良くないですよ。部室なんですから」


「それなら、試合の作戦会議をしよう」


「作戦会議?」


「ああ。もうすぐ大会も近い。試合でどう戦うべきか、俺と一緒に考えないか? アドバイスもしたい。……市居が望むのなら」


「ぜ、ぜひ!」


 桜田先輩のアドバイスなんて、頼んででも聞きたい。いつもは忙しそうだし、迷惑をかけたくなくて、そういう話を聞けなかった。


「あ、でも……それだと桜田先輩が大変じゃ……」


 俺だけに時間を割かせられない。魅力的な提案だったけど、すぐに思い直した。泣く泣く断ろうとしたが、肩に置かれた手が宥めるように叩いてくる。


「さっきも言ったように、市居は部のエースだ。強くなるためなら、大変だとは思わない。それに……」


「それに?」


「市居とゆっくり話がしたいと思っていた」


「お、俺とですか?」


 驚いた。桜田先輩が俺と話をしたい。そんなのありえるのか。信じられなくて、聞き返してしまう。


「ああ。2人で話す機会がなかっただろう。市居は真面目に部活に励んでいるし、ずっと好ましいと思っていた」


「お、俺も、桜田先輩に憧れていて……迷惑じゃないのなら、ぜひ話がしたいです」


 嬉しくて、俺は勢いよく提案に頷いた。食い気味だったから引かれないかと心配したが、桜田先輩は口角を上げた。


「そうか。それじゃあ、さっそく」


 桜田先輩との話は、俺にとってかなり有意義なものだった。アドバイスは全て的を射ていて、弱点だと悩んでいたことが何個か解決した。さすがだとキラキラした目を無意識に向けていたらしく、彼が恥ずかしそうにはにかむ。


「見すぎだ。さすがに照れる」


「あ、すみません。なんだか楽しくて」


「……俺も楽しい」


 お世辞だとしても、ものすごく嬉しい言葉だ。テンションが最高潮なのを抑えて、俺は頭を下げた。


「俺のために気を使ってもらって、本当にありがとうございます。おかげで、とても助かりました」


「いや、俺もいい刺激になった。考えつかない新鮮な意見を聞けて、もっと精進するべきだと痛感した」


「そう言ってもらえると嬉しいです。……もうこんな時間か。そろそろ教室に帰らないといけませんね」


 楽しい時間はあっという間に過ぎる。時計を見て、戻らないといけないことに気がつく。名残おしいが、桜田先輩を遅刻させられない。俺は寂しくなりながらも、仕方ないと我慢した。


「そうだな。……悲しい顔しなくていい。また話す機会は何度もあるんだから」


「そ、そうですよね。……何度もあるのか、嬉しい」


 思わずこぼしてしまったが、とてつもなく恥ずかしい言葉じゃないか。俺は口を押さえたけど、相手には届いていた。


「俺も嬉しいよ」


 そのまま頭を撫でられて、俺は大人しく手を受け入れた。桜田先輩に深い意味はないだろうけど、顔が熱くなって大変だった。

 熱は、教室に戻るまで冷めなかった。


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