5-2
「ああ……あちぃ、もう無理。溶ける」
襟元を引っ張りながら戻ってきたのは飯綱だ。エアコンの効いた部屋に入るなり大きく息を吐き、どっさりと着席した。あとに続くハイネも、額に珠のような汗を浮かべながら眉間に皺を寄せている。
「お帰り。冷蔵庫に麦茶できてるよ」
武塔の言葉に「やりぃ」と口角をあげる飯綱。書類で顔を扇ぎながら「エリー、頼んだ」とつぶやく。
「自分の分は自分で用意してください」と、ぶつくさ文句を言いながらも給湯室に消えるハイネ。なんだかんだ飯綱には甘い。
「最近、急に暑くなってきたよね」
「いい加減、神社まで行くのしんどいんですけど。まだ、うちの煉獄用通路直んないの?」
「櫟原君来る前は皆神社に行ってたじゃない」
あの事件で利用した事務所の扉は、強制的に道術をかけた結果、大きくひしゃけ、くしゃくしゃにねじれてしまった。どうにか、櫟原と天鬼の遷移には成功したものの、煉獄用通路どころか、ただの倉庫の扉としても機能しなくなり、しばらくは立ち入り禁止となっていた。
しかし、ようやく見積を済ませ、とうとう業者を入れての施工となった。
ぱたぱたと廊下をかける音がしたかと思うと、事務所の扉が勢いよく開いた。
「ようやく倉庫の扉直りましたよ!」
頭にタオルを巻いた櫟原が笑顔で飛び込んできた。飯綱も嬉しそうに顔をあげる。
「まじ? もう、煉獄行ける? 灼熱の道を歩かなくてもいい?」
「あ、それはまだです」
「なんだよぉ」と、再び椅子に沈む。
扉の修復は完了したが、まだ倉庫内は荒れたままだ。その修復後、ようやく術を掛けられる。
飯綱はそのまま机に突っ伏すと「てっちゃん、頼む。早くしてくれぇ」と、懇願する。そんな飯綱の脇に麦茶のグラスを置くハイネ。
「ないものはありませんよ」
「“求めよさらば与えられん”だよ、エリー」
うまいこと言ったな、とほくそ笑む様を気の毒そうに見るハイネ。
すると、再び事務所の扉が開いた。倉庫の掃除について話し合う天鬼と来栖だった。ああでもない、こうでもないと一生懸命に喋る天鬼に、否定も肯定もせず、短い言葉で提案をする来栖。飯綱たちを見つけた天鬼は「お帰りなさい!」と声をかける。
「ねえ、葵ちゃんからも言ってよ。早く煉獄用通路の術かけてって」
「あ、それは無理そうです」
「なんでよぉ!」
再び机に突っ伏した飯綱を見、「“苦難が練られた品性を生む”……」と、独り言ちるハイネ。
「倉庫の掃除はどれくらいで片付きそう?」
うちわで扇ぎながら武塔が訊ねる。三日もあればきれいになりそうだが、破損部分の修復がもう少しかかりそうだった。そのことを伝えると「ふむ」と、考え出す武塔。
くるりと、事務所を見回した天鬼。
「そう言えば、新しい社用車の引き取りって今日でしたよね」
「そのまま、任務に行くからって碓井隊が乗って行ったよ」
もちろん、それを言い出したのは波羅である。抜かりはない。
「いいなあ、新車でドライブして海かぁ……うらやましい」
「任務ですよ」
海と聞いて何か思いついた飯綱が顔をあげる。
そんな中、来栖は天鬼に準備をするように言う。
「……修復用のパテとか」
「はい! ホームセンターですね」
櫟原は留守番で術の準備だ。
「そうだ! みんな! 今夜バーベキューしない?!」
飯綱が立ち上がり声を上げる。一同揃って彼女を見ると、意気揚々としゃべりだす。
「ホームセンターに行く来栖隊はバーベキューコンロの調達。私たちは肉。海にいる碓井隊は魚介類。完璧じゃない?」
ため息を吐きながら「大体経費で落ちないでしょう……」と、ハイネ。しかし、飯綱はらんらんと輝いた目をしている。
「まあまあ、ハイネ。落ち着いて」
彼を諫めたのは武塔だった。
「たまにはいいんじゃない? 色々大変だったし慰労ってことで」
喜んだのは飯綱だけではなく、櫟原も嬉しそうに笑った。
すでに碓井隊に連絡を入れている飯綱に、「……炭、追加」と、つぶやく来栖。歓喜の声を上げながら「会場は駐車場で良いっすか?」と、はしゃぐ櫟原。何度目かわからないため息を吐いたハイネがやれやれと微笑んだ。
「天鬼さん」
武塔が声をかける。
「ホームセンターから帰ったらバーベキューの準備頼めるかな?」
「でも、倉庫の修復は」
「それは、しんちゃんに任せておこう。明日から手伝えばいいさ」
そう言ってくたびれた笑顔を向けると「どう、出来そう?」と、訊ねた。
様々な能力を持つ煉獄保安局職員。その中で、非能力者として在籍する鬼の末裔、天鬼葵。たとえ能力で活躍できずとも、仲間として受け入れてくれた彼ら。天鬼葵の居場所はここにある。
「はい! 頑張ります!」
綺麗に切りそろえられたショートヘア。きっちりと意志の強そうな目許。しゃっきりと伸びた背筋。まだまだ糊のきいたブルゾンを着て、天鬼は元気に笑った。
八咫烏―完―
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