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遠野物語、今昔物語集、御伽草子……。天鬼のデスクにはそれらを筆頭に様々な書物の背表紙が並んでいた。左手最下部の引き出しの中、その中にも持ち出し不可の文献からコピーした紙面資料がびっしりと詰まっている。
「葵ちゃん、前回の報告書のデータってどこにあるかな」
「施行日の日付ファイルの中です」
櫟原に要件を伝えるとすぐさま資料に目を落とす。
それ以外にも、局の備品の使い方や注意点、仕組みなどを書き記したメモは常にポケットの中にある。
暇さえあれば過去の報告書に目を通し、事象の成り立ちから原因、対処方法を調べるようになった天鬼。今では波羅に歩く説明書と揶揄されるようになっていた。
「……次の資料は」
「はい! もうできます」
天鬼の中で、すでに次の任務の予想は立っていた。最近は天鬼の予想を聞くのが趣味になった来栖。クイズの要領で任務の資料を渡すようになってから、天鬼の成長が目まぐるしかった。
「ただいま戻りました」
事務所の扉を開いたのは碓井隊の面々だった。喪服のジャケットを脱ぐと椅子の背に掛けた。声をかけたが何やら考え込んでいる碓井は無反応だった。
困ったように肩をすくめる波羅が「斎場からずっとこんな感じでさ」とぼやく。
「波羅さん、本当に仏教ではその印がないんですね」
「だからそうだって! あるとしたら密教かカルトだよ」
またまた困り果てた様子の碓井。また思考の海に潜り込んでしまった。
きょとんとその様子を見ていた来栖隊の面々。今度は佐藤が困ったように肩をすくめた。
「なんか、印相がどうとかで……私もようわかりません」
「印相……」
両手で形を作り意味を成す仏教の印章。仏像などに使われる場合その仏が何をするかを意味する。
天鬼の頭の中で情報の泉が湧きあがった。
「じゃあ、一番詳しいのは波羅さんっすね」
「そうなんよ。でも環ちゃんもわからんて言うてはって」
仏の導きが専門分野の波羅がわからないのであれば、ここにいるメンバーでは誰もがわかりかねる問題だった。
「櫟原君、陰陽道の印章で心当たりはないですか」
碓井がそう言うとゆっくりとジェスチャーをした。左手を口許に、右手を耳許に寄せる動作だった。
「わかんねえっすね。とりあえず俺の扱う印章にはない感じっす」
櫟原も首をかしげる。仏教も陰陽道も駄目となるとあとは他に誰に聞けばいいだろうか。碓井がそんなことを考えていると、控えめな声で「あの……」と呼ぶ声がした。
小さく手をあげた天鬼が碓井を見ていた。控えめなのに凛々しい目許のせいで主張が激しい。
「印章かどうかはわかりませんが、もしかしたら意味なら分かるかもしれません」
「えっ!」
碓井はもちろん波羅や櫟原も身を乗り出した。まさかここで天鬼の知識が役に立つとは思わなかった。一同が思ったことだった。
天鬼は同じジェスチャーをゆっくりと行いながら口を開いた。
「“聾唖者”という手話です」
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