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 佐伯あらたにとって、心の支えになっていたのは三つ上の兄だった。引っ込み思案だった新を心配し子供のころからよく遊びにつれて行ってくれていた。その影響か健介の友人たちから聾唖者に対しての理解が伝播し、学校でも協力的な人々が多かった。とはいえ、煙たがる人間は少なからずおり、気にしないよう努めても新の心は徐々に疲弊していった。

 自暴自棄になりかける新を心配し、悩みを聞いてくれたのは健介だった。時には叱咤し、時には温かい優しさで包み込んでくれた。登下校も心配して一緒にしてくれた。中学生になったのだからと言えば、遠慮するなと返された。そんな兄の優しさがうれしかった。

 学校でも人気者の兄が誇らしかった。家族にも友人にも優しい兄のようになりたいと常に目標にしていた。

 ある日、学校であるうわさ話を聞いた。

[夢のうわさって知ってる?]

[夢のうわさ? なにそれ]

 ある夢を見ると三日後に死ぬらしい。よくある怪談だ。しかし、新にとって肝を冷やすには十分な話だった。

[それで、ある条件があって]

[もういいよ。聞きたくない]

[通りゃんせを聞くと死んじゃうんだって]

 ただ目を逸らせばよかったのに、それができなかった。それよりも安堵や疑問の方が大きかった。

 なんだよ、それ。俺には関係ないじゃないか。俺は大丈夫だ、死ぬことはない。それに何より、

[通りゃんせって何?]

 そう訊ねると友人は肩をすくめた。



 行政の仕事と言ってしまえばどこにでも立ち入ることは可能だ。専門職ならなおのことニッチな場所に入ることは容易だった。

 今回は先週葬儀を行った佐伯邸にアポイントをとってあった。事故当時の状況や前後の話などを伺うためにだ。すでに警察の資料は入手済みだが日を置くと冷静になり話の内容が変わってくることもある。

「この度はご愁傷様です」

 深々と頭を下げる碓井に倣い天鬼も頭を下げる。テーブルの木目がぐっと近くなった。奥の和室には真新しい仏壇に線香が立っていた。家の中も、周辺も澱は見受けられなかった。

「今回は事故の前、健介さんの様子についてお伺いしたいのですが」

「もう一度ですか……?」

 焦燥気味に健介さんの父が訊ねた。すでに何十回とやり取りをしただろうと言わんばかりの声だった。

「はい。お辛いでしょうが、お願いします」

 碓井は心を鬼にして言い切った。

 変わったことはなかったか、自殺の可能性はないか、すでにしたであろうやり取りを行った。そのたびに佐伯夫妻の目許が緩み、頬を涙が伝った。ハンカチで何度もぬぐえど乾かない頬は擦り切れて真っ赤になっていた。もうどうにでもしてくれと言わんばかりの夫妻を見、天鬼の心はひどく締め付けられた。まるで責められているような、そんな気がした。その姿から目を逸らすように少し顔を伏せると、玄関扉の開く音がした。私服を着た新だった。

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