1-7

「かあしゅあね、ぃでぃでってしゅうの」

「……えっと?」

「でね、みおちゃんえーんえーんちたの」

「はあ……」

 泣きまねのために握ったクリームパンのようなこぶしを目許に添える。全く要領を得ないどころか話している言葉がちんぷんかんぷんだ。

「とりあえず、煉獄から出ましょうか」

 碓井が言うと一同は外へ向かった。外へ出ると思い出したかのように佐藤が振り返る。

「そうや、天鬼さん。さっきの確かめたいこと、見ておく?」

 しかし、佐藤の胸にはしっかりと澪ちゃんが抱き着いていて衰弱している。親も心配しているだろう。早く帰ることが先決だと天鬼は首を横に振った。

 小木曽邸の周辺に目立つ澱はなく、特に作業することもなく簡単な点検だけ済ませた。チェック事項を碓井から聞き、メモを取ると先程の犬走の方を見る。澱一つなく、きれいなものだった。だからだろうか、奥に写る影がやけに濃く感じた。


 車内に入るなり、澪ちゃんは安心したのかすやすやと眠りについた。車が走る音だけが車内に響いている。

「健太郎さん、いなかったね」

 波羅が静かに呟いた。碓井が彼女を一瞥すると、落ち着いた声色で口を開く。

「澪さんの近くか家の近辺で見つかるかと思ったんですが……」

 帰巣本能とも言うべきか、魂に刻まれた記憶というのは彼らを自然と惹きつけてしまう。思い出の場所や自分の気持ちに。

「調査しとく?」

 波羅が尋ねると碓井はゆっくり頷いた。

「調査といえば小木曽さん家の近くで、天鬼さんが気になることがあったみたいです」

 佐藤が天鬼の次の言葉を促した。天鬼は頷くと、先程佐藤に尋ねたことをもう一度口にした。謎の羽音、黒い影。初めてのことで何もかもが分からないが、分からないからこそ尋ねるべきだと思った。

「もしかしたら、他の区画の氏神が迷い込んだのかもしれませんね」

 碓井がハンドルを右に回転させながら言った。徐々に事務所に近づいている。

「時々、本当に気まぐれで現れることがあるんです。羽の生えた神使だと鳩とか烏あたりですかね」

「そんなことあるんですか? なんのために?」

 おもわず前のめりになって尋ねた。碓井は肩をすくめて「さあ?」と言うと言葉を続けた。

「僕が入局したての頃、迷子の牛を送り届ける仕事をしたことがありますから」

 波羅がクツクツと笑い声を抑える。牛を横に携えた碓井を想像したのだろう。

「よくあることなんですか? 他の管轄に立ち入ることで排除されたりしないんですか」

「氏神の気質によるんじゃないでしょうか。神様同士も相性がありますから」

 前にも同じことを考えたことがある。そこんところは人と変わらないじゃないか、と。


 その後、母の元へ届けられた澪ちゃんの容体はすぐに回復し本当の家に帰ることができた。この一件は行方不明事件として処理され、天鬼葵の初仕事は無事解決することができた。しかし、澪ちゃんの父、健太郎さんは未だに帰らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る