5-2

「新さんの生命維持問題ありません」

 隣の様子を見てきた天鬼が報告する。寝汗はかいていたが、すやすやと眠る新に苦悶の様子はなかった。

「このまま煉獄に行って辻神封印の支援っすね」

 しかし、部屋をぐるりと見渡した天鬼がおずおずと声を上げる。

「部屋はこのままでいくんですか……」

 牛の足跡やら、澱やら血痕やらで散らかり、破壊された部屋。このまま出ていくには忍びないと思っていた。

「それならうちの人間に片付けてもらいましょう」

 部屋の戸を開けて入ってきたのは全身真っ赤になった碓井だった。驚いた櫟原が思わず「大丈夫っすか?」と、訊ねる。

「全部返り血です。怪我はしてませんよ」

「……無事だったか」

「ええ。早くいきましょう。まだ辻神は封印されていません」

 険しい表情で言う碓井に頷き返す来栖たち。煉獄への道はまだ繋がっている。その中からかすかに通りゃんせの電子音が木霊して聞こえてくる。

「……様子がおかしい」

 異変に気付いたのは来栖だけではなかった。

「早く行きましょう」

 そう言って煉獄へ入り込む碓井。次いで来栖が入る。

「葵ちゃん? 大丈夫?」

 いそいそとリュックを背負う天鬼を見て訊ねた。ただのリュックではないようで、かなりの重量があるようだ。背負ったものの足許がおぼつかないらしい。

「平気です! 早くいきましょう!」

「本当に? 俺持つよ?」

「いいえ! 重いので!」

 だったらなおのことではなかろうかと思う間に天鬼は煉獄に入っていった。


 はるか先を行く碓井たちに追いつくように必死に足を前に出した。走るたびに肩ひもが食い込み、重心が明後日の方向へ持っていかれる。そのせいもあってちっとも距離は縮まらない。跳ね上がる呼吸を押さえようと息を吸うも、ひねり出されてしまう。

 リュックの繊維がちぎれたような気がした。

「俺代わるよ?」

「いいえ! 自分で持ってきたので!」

 心配した櫟原が天鬼のそばで並走してくれている。しかし、ここに持ってきた意地もあるのか天鬼は決して首を縦には振らなかった。

「それよりも! 早く! 先に行ってください!」

 息を切らしながら叫ぶ。しかし、櫟原は歯切れ悪く言葉を濁す。

「行っても俺戦えないし」

 確かにそうだと納得してしまった。非戦闘員である天鬼と櫟原は戦えてもせいぜい下級の怪異程度。邪神レベルに立ち向かえるほどの技量は持ち合わせていなかった。だから、現場に走る理由もない。

「でも! 何か! 手伝える、かも!」

 息を切らし、決して早くはない速度で必死に走りながら天鬼は叫んだ。役に立ちたい、立たねばならない。そんな気迫を天鬼に感じた。

 そんなこと、微塵も思ったことなどなかった。自分など連絡係で、出来てもせいぜい澱の除去のみ。戦闘になれば安全なところで隠れて待つのが常。こんなに必死になることなんてなかった。煉獄に入ったのも、戦う仲間に申し訳なさを感じているが故だし、迷惑だと言われればすぐさま撤退する気でいた。できることなどない。そう決めつけていた。

 天鬼はただの空元気だと思っていた。愛想よくするための姿勢だと思っていた。無難な道を選ぶこともできるのに、どうして選ばないんだろう。たとえ空回りしても、どうしてこんなにも頑張ろうとするのだろう。

 櫟原は正直かっこ悪いと思った。しかし、かっこ悪いと思いつつもその先どうなるのだろうという疑問もあった。そして、少しだけ期待をした。子供のころに夢見たヒーローのような無邪気で無責任な期待だった。

 俺は関係ないし、とどこか悲しく思いながら、天鬼のリュックを少しだけ持ち上げた。

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