2-4
この世とあの世の境は、条件下ではあいまいになりやすい。研修で習ったことだった。トンネルも例外ではなく、澱や霊、妖魔の影響で煉獄に入ってしまうことがよくある。何がきっかけで起こるかわからないのが境界での常だった。
「今日は三人そろってるから誰かが間違って煉獄入りしてもすぐこっちに引っ張れるから問題ないけど、もし煉獄入りしたら何かしろして教えてね」
煉獄と現世は同座標で作用しあっている。なので煉獄内の物体を動かしたりすれば同様に現世の物体も動く。心霊現象やポルターガイストなどと言われる現象の一つだ。
「櫟原さん、質問なんですが」
「はいはい、なんでもして!」
後輩の質問がうれしいのか食い気味に返事をする。
「もし、近くに誰もいない状況で煉獄に引きずり込まれたら、どうしたらいいですか」
櫟原のように遷移道術があるわけでもなく、武になる技量も持ち合わせていない天鬼にとっては死活問題だった。櫟原は「うーん」と、トンネルの天井を仰ぎながら思考を巡らせている。
「もし俺が遷移道術を使えない状況で煉獄に取り残されたら、とりあえず神仙妖魔に見つからないように隠れるかな。それとなんでもいいから氏神を探すよ」
「神性を持つものからも隠れるんですか?」
神仙は人にとって施しを得られる恵の対象。なぜそれから逃げなければならないのか、天鬼にとっては不思議だった。
「神仙だからと言って悪さをしない訳じゃないし、妖魔だからと言って必ずしも害を与えてくるわけでもないんだよ。案外適当なんだ」
また、神仙に似た妖魔もいれば、妖魔のような神仙もいるとも言った。つまりは簡単に見分けがつかないという訳だ。
「そもそも、こっちの道理が通用する相手だと思わない方がいい。煉獄は煉獄でルールがあるんだよ。こっちの礼があっちの非礼かもしれないしね」
天鬼はなるほどな、と深く頷いた。優しく教えてくれるからだろうか、すんなりと理解できた。
「ほら、着いたよ。ここが中間地点」
目印だと櫟原が指さしたのは、ただの壁の溝だった。天井に埋め込まれた灯りは点灯していない上に落書きや苔で見づらい。しかし、よく見れば気の動きが切り替わっている。
「霊力を込めるとよく見えますね」
「そう。境って言うのは流れが違うから困ったらそうやって探してみてね」
櫟原はそう説明すると「じゃあ作業始めるから、わからないことあったら何でも聞いてね」と、だけ言い、出入り口から始める来栖と天鬼が今いる地点の中間あたりから作業を始めた。ぽつねんと取り残された天鬼。とりあえず、作業前の写真を撮るかとデジカメを起動した。シャッターを押すくらいならできるとカメラを構えディスプレイを見る。画像補正がされているのかうっすらと人のシルエットが見える。天候はあいにくの薄曇り。かつ生い茂る木々のせいで外からの灯りは頼りない。明るいのは胸に付けたライトだけだった。とはいえ、居場所がわかっているからそう判断できるだけで、言われなければわからない。まるで、暗闇の中、自分一人だけ取り残されたようにも感じる。
薄気味悪さを感じぶるり、と身震いする。さっさと終わらせて出入り口まで行ってしまおう。そう思ってシャッターを押下する。しかし、ディスプレイに映ったのは暗闇だけ。
ディスプレイの中の櫟原がデジカメの作動音に気づき顔をあげたのがわかった。距離はあるが音がよく反響したせいだろう。
「フラッシュの設定方法わかる?」
そう言いながら駆けつけてくる。ライトが小刻みに揺れ天鬼は目を細めた。やけに眩しい。
気がつくと天鬼のすぐ横に立っていた。こんなに早く来るなんて、と驚く間もなくデジカメの操作指示をする。
「ここにライトのマークが付いたらフラッシュが付くから」
「ありがとうございます」
「それと向こう側も撮っておいて」
「向こう側ですか」
そう言って振り返った先はさらなる暗闇だった。奥の出入り口の先はさらに木々が生い茂っているのかこちら側より暗い。心が空いて風の通りがよくなったような気になる。すがすがしさなどない。憂いやもの悲しさを感じる。
「そう、撮っておいて」
そう言う彼を見上げる。ちょうど胸のライトが天鬼の目前にあり、どうも見づらい。顔が影になっている。目を細めても陰る顔の輪郭しかわからない。
「撮っておいて」
念押しするように言われ天鬼は頷いた。しかし、どうしてか、心中では頷きたくないと思ってしまった。
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