§12

 その頃、メイヤーの執務室では――

「そういう事だったのか。おかしいと思ったよ、エイミ君の悲鳴が聞こえなくなっていたからね」

『ごめんなさい、メイヤー。こんな騒ぎになるとは、思わなかったから……』

「いや、いいんだよラティーシャ。僕にとっては、リネットが本物かどうかなど、大した問題ではないんだ」

 ブラインドを指で押し上げ、窓の外に目を向けながら、メイヤーは優しく語った。

「……ヴァネッサ、と言ったか。彼女、悔いを残さねばいいが」

 彼には、ヴァネッサとリネットを咎めるつもりなど、微塵もない。しかし、皆がそれを許すかどうかは、また問題が違うのだ。

『分かってくれると、良いのですが……』

「二人のリネット、か。彼女たちを思い出すね」

 メイヤーは、遂に自らが御しきれなかった双子の事を思い浮かべ、目を細めた。


********


「……帰って」

 またしても、バッサリ斬って捨てられた。事情を説明し、頭を下げて頼んでも、リネットはヴァネッサから取り上げた名前を、一時たりとも返そうとはしなかった。

「リネット! お願いです。少しの間、代わってくれるだけでも良いんです!」

「嫌だ、って言ってるでしょ? 大体ねぇ、勘違いしてもらっちゃ困るわ。あの日の約束で、アタシとアンタはすっかり入れ替わった。アタシがヴァネッサなのよ。そのアタシが、クラリスなんて知らないって言ってるの。お分かり?」

「クッ……!」

 冷ややかに突き付けられた一言を聞いて、ヴァネッサは涙を湛えながら唇を噛んだ。確かに、あの時は勢いに呑まれる形で、リネットからの要求を受け容れ、入れ替わりを成立させた。しかし、今は状況がまるで違う。親友と、最後の一言を交わせるかどうかが掛かっているのだ。にも拘らず、リネットは己の自由を主張し、譲ろうとしない。

「私からもお願いします、リネット。結核って、絶対に助からない病気なんです……死んじゃうんです!」

「だから、嫌だって言ってるじゃない。結核? 死んじゃう? そんなの、そっちの都合でしょ? アタシには全然、関係ないじゃ……」

 リネットは、エイミの嘆願を外連味タップリに斬り捨て、一笑に付した。そこに他者を思いやる感情などは一切含まれておらず、物乞いを追い払うかのような雰囲気ですらあった……が、彼女がその台詞を最後まで言い切る事は無かった。乾いた打撃音が周囲に木霊し、一瞬の沈黙がその場を支配した。

「……な、何すんのよ!」

「冗談じゃない! 人の不幸を、何だと思ってるんですか!!」

 エイミは大粒の涙を零しながら、リネットに向かって怒鳴り声を上げていた。誰よりも我慢強く、そして明るい彼女は、怒りの感情も遠慮なくぶちまけるタイプのようだ。

「何って、他人事じゃない! どうしてアタシが、その女の友達とやらの為に泣いてやらなきゃいけないの!?」

「そんな考えだから、友達できないんですよっ! 誰だって、出会った時はみんな他人同士じゃないですか!」

「友達なんか、要らないって言ってるじゃない!」

 リネットにはエイミの言い分が、エイミにはリネットの考え方が、互いに理解できないという感じであった。尤も、リネットが他者との繋がりについてドライであるのは、凄惨な過去の体験に所以するのだが……それはヴァネッサの懇願を退ける理由にはならない。自分がそうだから、皆もそうであるべきと言うのでは、あまりにも独善的に過ぎるだろう。

「ハイ、そこまで!」

 と、二人の言い争いが熱を帯びて来るのを静観していたバーナードが、間に割り入って会話をストップさせた。

「色々と言い分はあるんだろうけどね。リネット、君の我儘をこれ以上、許す訳にはいかない」

「どうしてよ! 死にそうなのはその女の友達でしょ? アタシの知った事じゃないわ!」

 バーナードのジャッジが気に入らないのだろう、リネットは更に表情を歪めて、食って掛かってきた。

「そう、その通りだ。けれどリネット、彼女が友達のもとへ行けない理由を作ったのは……誰だったか、思い出してごらん?」

「悪ふざけも度が過ぎる、皆そう思ってますよ。でも、ヴァネッサにも落ち度はあったから、それは言わないでおこうって……けど、そんな場合じゃなくなった。それは説明したでしょう」

 畳みかけるように、バーナードとエイミが言葉を掛けた。だが、それでもなお、リネットは納得していないようだ。

「アタシは、ずっとその『我儘』とやらを押し付けられて……色んなものを失ったわ」

 その呟きを聞いて、彼女には何を言っても無駄だ……と悟ったか。バーナードとエイミはそれ以上、口を開こうとしなかった。唯一、当事者であるヴァネッサだけが『貴女は、悲しい人です』とリネットを評し、その場は終了となった。

 別れ際、ヴァネッサはリネットに、クラリスからの手紙を手渡した。貴女が『自分がヴァネッサだ』と仰るなら、これは貴女が持っているべきだから……そう彼女に告げながら。

 結局、ヴァネッサはそのままリネットとして、少女館で過ごす事となった。その間に、恐らくクラリスは帰らぬ人となったであろうが……それを彼女は見届けることなく、月日を重ねていった。

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