§5

「ふぅん……想像していたより、いいお部屋ね」

「一応、ホテルの一室ですから」

 やり取りをしている間にも、リネットは目の前の少女を観察していた。ザッと見た感じ、背格好はほぼ同じ。服の上からではハッキリとしないが、体格も似たようなものだろう。

「……自己紹介がまだだったわね。アタシはリネット。リネット・クリフォードっていうの」

「あ、ヴァネッサ・ガーランドです……ところで、お金持ちの生活、って言ってましたけど……貴女は?」

「『少女館』って知ってる? アタシ、そこのメンバーなの」

「……!!」

 『少女館』の名を聞いて、ヴァネッサの目の色が変わった。なにしろ『少女館』と言えば、この一帯では知らぬ者などいない、名門クリフォード家の運営する淑女養成機関。選ばれし者のみがその門をくぐる事の出来る、まさに憧れの存在――そこに籍を置く少女が、いま目の前にいるのだ。動揺するのも、無理からぬ事である。しかも彼女の容姿は自分と瓜二つであり、察するに、自分との入れ替わりを提案してきている……これで冷静を保てと言う方が無理な話であった。

「で、さっきのお話。アナタさえ良ければ、だけど……アタシと入れ替わってみない?」

「ど、どうして……? 少女館といえば、最高の生活を約束された、何一つ不自由の無い身分の……」

「そういうのが嫌な人も、中には居るって事よ……どう? 悪いお話ではないと思うのだけど」

 あまりにストレートすぎる要求に、ヴァネッサは狼狽した。自分が首を縦に振ればその時点で話は決まり、自分は贅の限りを満喫できる環境に入る事が出来るのだ。しかし……と考えているところに、リネットが更なる質問をしてきた。

「アナタ、ご家族は?」

「あ……数年前まで両親が居ましたけど、流行り病で二人とも……だから今は独りです」

「そう……アタシは物心ついた時から独りだったわ。スラムに捨てられて、残飯と泥水をすすりながら生きてた……そこを人売りに攫われて、今の屋敷に買い取られたの」

 その台詞を聞いて、ヴァネッサの疑問は更に深まった。そんな生活を体験していながら、どうしてまた貧乏な生活に戻ろうとするの? と。常にギリギリの生活をしてきた彼女には、リネットの思考は全く理解できなかった。だが、リネットはアッサリと、表情を変えずに語った。ただ一言、『性に合わないから』と。

「で、どうするの? 乗る? 乗らない?」

「……リネット……本当に後悔しないと約束できますか? 決して楽な生活ではありませんよ?」

「決まりね。たった今から私がヴァネッサで、貴女がリネット。入れ替わり成立よ」

 ヴァネッサの一言が決定打となり、二人の入れ替わりは成立した。しかし、嬉々として身に付けていた高級な衣服を脱ぎ捨て、自分に手渡してくるリネットの姿を見ても、未だにヴァネッサの疑問は晴れない。本当にいいのか? と……

「ふぅん、本当にソックリなのね……胸の大きさもほぼ同じだわ」

「……あまりジロジロ見ないでください、恥ずかしいですから……」

 二人は衣装を下着まですっかり脱いで、鏡を見ているかのような互いの姿に改めて驚いていた。そして、ヴァネッサは汚れた身体をしっかりと拭いて綺麗になり、髪も丁寧に梳いて、リネットの髪飾りを付けて身嗜みを整えた。対するリネットは、靴墨の染み込んだボロ布を顔に当てて汚れを付け、煤けた衣装を身に纏い、完全に入れ替わっていた……飽くまで外見のみの話だが。

 あまりの速さでトントンと話が進んだため、未だに『信じられない』といった顔でオロオロしているヴァネッサとは対照的に、リネットの方は自分の理想とする環境を手に入れ、すっかり上機嫌だった。

(貧窮生活から解放される私の方が喜ぶのなら分かるけど、何なのこの人? 変わっているってだけじゃ言葉が足りない……)

 自分の常識……というか、思考の範疇を遥かに越えた行動をアッサリと起こしてのけたリネットを見て、ヴァネッサは懐疑心すら覚え始めていた。が、そんな彼女の視線など何処吹く風とばかりに、目の前の彼女は涼しい顔をしている。

「……ほら、何やってるの? 入れ替わりは済んだんだから、早く出て行きなさいよ。ここはもう、アタシの家なんだから」

「あ、あの……私、どうやって館に入れば……」

「あぁ、街に出れば分かるわよ。今頃、ドジなメイドがアタシ……じゃない、アンタを探しながら涙目になってると思うから」

 そう言い放つと、リネットは意気揚々と部屋を出て、靴磨きの道具を広げた店の前に腰を下ろした。つい先刻までここの主であったヴァネッサの存在を、根底から否定するかのように。

 そして暫くして、着慣れないドレスに戸惑うヴァネッサが漸く戸口まで出て来た。何しろ、『ドジなメイドが街で待っている』という手掛かりしか貰っていないので、どう動いていいか分からずに困っていたのだ。そこで彼女は、先程のリネットを真似て、靴磨きの台に足を乗せ、コソッと質問していた。

「……私を探しているメイドって、どんな人なんです?」

「声がやたら大きくて、その割にオロオロしてばかりの……見ていてイライラする女よ。背格好や年頃はアタシ達と同じぐらい。銀髪で碧眼。紺のスカートに白いエプロンのメイド服を着ているわ……名前はエイミ。さ、もう充分でしょう? 商売の邪魔よ」

 それだけを言い放つと、リネットは本気でヴァネッサを邪魔者扱いし始めた。本来ならばここでヴァネッサは怒るべきであったが、その代わりに貧困生活から脱出できるのだ……という『代価』を思い浮かべ、一言だけ注意を添えた。

「夕方になったら、ホテルのカウンターに行って一日分の部屋代、20ペニーを払ってくださいね」

「ハイハイ……分かったから早くどきなさいよ、邪魔だっていうのが分からないの?」

 リネットはジロリとヴァネッサを一瞥すると、まるで野良猫を追い払うかのように彼女を追い立てた。それを見たヴァネッサは、もうこの人は、何を言っても聞きはしないな……と、諦めたように振り返り、街へと姿を消した。

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