§10

「失礼します……」

 ルーファスの個室の前まで来たテルシェが、ドアをノックした。だが、応答がない。不審に思い、もう一度ノックすると、今度は応答の代わりに無言でドアが開き、ヌッとルーファスが顔を出した。そして彼はドアをノックしていたテルシェの右手首を掴み、半ば無理矢理に室内へと誘い込んでいた。部屋の中は明かりが消されており、薄暗いランプが一つ灯っているだけだった。

「何を……!」

 流石のテルシェも驚いたのか、思わず抗議の声を上げようとした。が、その口はルーファスの右手によって塞がれ、発声を封じられてしまった。彼女が運んできたティーセットは、部屋に引き込まれた時の勢いについて来れずにその場で落下し、ドアの前で無残に砕け散っていた。

「ほら……見てみろよ、アレ」

「……!?」

 ルーファスは自室の窓の反対側で明かりの灯っている一室を指差し、テルシェにオペラグラスを手渡した。彼女がその視線を彼の言う通りの方に向けると、そこには……着衣を全て脱ぎ去り、ベッドの上で互いに快楽を求め合う男女の姿が映っていた。

「な? アレ……うちの父上と、メイドだろう? スゲェだろ、子供って、ああやって作るんだぜ!!」

 その光景は、以前に天井裏から至近距離で覗いた事のある行為と全く同じだった。しかも、抱き合っている男女も全くの同一人物。テルシェとしては既に知っている不倫の現場であったので、あぁ、またやってるのか……程度にしか思わなかった。だが、ルーファスはかなりの興奮状態に陥っていた。直前の台詞から、彼が男女の営み自体を知識として知って居る事はテルシェにも分かったようだが、実際にその行為を目の当たりにするのは初めてだったのであろう。彼の表情は、なんとも表現しがたい……かなりいやらしい物となっていた。

「アレを見せるために、わざわざ呼んだ……のですか?」

「へへ、最初はホントに茶を持って来てもらうだけのつもりだったんだがよ、窓からアレを見つけて、慌ててこっちの明かりを消したのさ……こうした方が良く見えるからな」

「……他に用がないのなら、帰らせて頂きます」

 すっかり呆れ果てたテルシェが退出しようとすると、ルーファスは彼女の手を掴み、それを阻んだ。

「おっと……用ならあるぜ? へへ……アレと同じ事を、今ここでやってみようぜ!」

「ご冗談……ッ!」

 次の瞬間、テルシェの小柄な身体は、ルーファスの腕力によって彼のベッドの上に転がされていた。

「父上だって、ああやって母上以外の女を抱いてる……だったら、息子の俺だって……同じ事を楽しむ権利があるよな!」

「理に適っていません……それに、双方の同意がない場合は犯罪行為になるんです、知らないんですか?」

「そんなもん、関係ねぇっ! 俺は今ここで楽しみてぇんだ!」

 すっかり理性を失い、もはや手の付けられない状態になっていたルーファスに対し、テルシェは不思議と冷静だった。既に衣服も剥ぎ取られ、その身体にむしゃぶりつかれて居たが、興奮状態の彼を見ていると、逆にどんどん冷めていった。自分の身体がいいように弄ばれ、この上ない辱めを受けているにも拘らず……である。

 やがて、乙女の証である鮮血が太股を伝った時、彼女は初めてその表情を苦痛に歪め、僅かに抵抗した。そして彼がいよいよ本格的に暴れだそうとした、その刹那……

「……お戯れが過ぎますわ、ルーファスお兄様」

「な、何ッ!?」

 氷のように冷たいその声に驚いたルーファスが慌てて上半身を起こすと、振り向く間もなく彼の後頭部は『ガシャン』という鈍い音と共に、凄まじい衝撃に襲われていた。彼は額から血を流し、白目を剥いてテルシェに覆い被さって来た。その背後には、無表情のまま、鮮血に染まり、下半分を失った花瓶を掲げるリディアの姿があった。

「リディア……」

「……何やってんのよ? 冗談にしては派手すぎるわ」

「別に……? 男女の営みって奴にちょっと興味があったから、乗ってあげただけ。相手は大いに不満だけどね」

「研究熱心なのも良いけど、程々にしないと自滅するよ」

「……リディアがやらなくても、自分でこいつを始末するつもりだった……ま、最初で最後の大サービスってワケよ」

 気だるそうに、その前髪を手櫛でかき上げ、ゆっくりと上体を起こしながら、動きを止めたルーファスを無造作に転がし、今まで以上に冷ややかな目線でそれを一瞥すると……テルシェは太股の鮮血をシーツで拭い取り、ゆっくりと着衣を整えながら淡々とリディアの問いに答えていた。

「ふぅん……で、どうだった? ご所望の、男女の営みって奴は?」

「愛情表現としては、かなり野蛮。これが悦びに変わるとしたら、よほど深い愛情が無いと無理だね」

「そう……」

 ベッドに横たわるルーファスは、既に息をしていなかった。だらりと垂れ下がった腕には二度と力が篭る事もなく、その口から言葉が発せられる事も、永遠に無いだろう。

「……これ、どうする?」

「重そうだし、運ぶ途中で絶対に見付かるね。いっそ、屋敷ごと全部燃やしてやろうか?」

「そうだね……どうせ、いつかは逃げ出すつもりだったんだし」

「あいつらへの報復も、一編に済むってワケね……」

 薄笑いを浮かべながら、二人は彼をベッドに寝かせたまま退室した。そして深夜になるまで息を潜め、皆が寝静まったのを確認すると、彼女たちは照明用の揮発油を床一面にぶちまけ、そこに火を放って、裏口から脱出した。

 燃え盛る屋敷に背を向けながら、彼女達は……今、自分の産みの親も、今までの生活も……全てを捨てたのだという事を自覚した。が、不思議と罪悪感や、後悔といった類の感情は湧いて来なかった。

 街へと姿を消す途中、二人は外出していたために難を逃れたシンシアと遭遇したが、互いに気付かずに擦れ違うだけだった。恐らく彼女は、館の有様を見て愕然とする事であろう。


********


 館や親と引き換えに自由を手にした彼女たちを待っていたのは、最下層の生活を営む民衆の目から集まる好奇の視線だった。

 使用人とはいえ身に着けている衣服は上等のもの、スラムに降り立てば目立つに決まっている。その事に気づいた二人は衣服を処分すると、代わりにボロ布を纏って街の裏通りを転々としながら、その日暮らしの日々を送った。

 やがてその身柄は人身売買を生業とする男たちに捕らえられ、牢と言っても差し支えの無いような部屋の中で、売られていく順番を待っていた。



「15歳以下の少女が、出来れば欲しい。値切りはしないから安心してくれ」



(ほら、クライアントがおいでなすったよ……)

(さてと……今度はどういう所に行く事になるのかしら?)


 店主と会話をしながら、軽やかな靴音を響かせつつ近付いてくる紳士。彼の名はメイヤーと言った……

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