第二話『静かなる乙女』
§1
彼女は今日も、いつもと同じその場所で……摘んできた花を編んで輪にしたり、そのままブーケにしたりしたものを自分の目の前に並べ、簡素な敷物を敷いた地べたにしゃがんで、道行く人波を眺めていた。
時々、彼女の前に足を止めて、小さなブーケを手に取り、代わりにコインを一枚手渡して去っていく者もいた。どうやら、それが彼女の生活の源であるらしい。
その日は雨が降っていた。
仕立ての良いスーツの上にレインコートを纏い、更に黒い傘で身を固めた若い紳士は、いつもと同じ場所で、薄汚れた布を纏っただけの雨対策をして、いつもと同じように花束を売っている少女を見つけていた。
「今日もまた、同じ場所、か……あれでは風邪をひいてしまうな」
紳士はスッと彼女に近付くと、彼女の頭上に傘を差しながら問い質した。
「この花束、全部でいくらかな?」
その問いに、彼女は両手の指を全て広げ、10本の指をかざして見せた。
「銀貨10枚……でいいんだね?」
紳士がそう言うと、少女はゆっくりと頷いた。
「じゃあ、その花束、全部買おう。だから今日はもう店じまいにして、お家に帰りなさい」
少女は驚いて、暫く呆然として居た。が、やがてブーケを全て纏めて綺麗に束ね、紳士に手渡した。
「綺麗な花だ、早速飾らせてもらおう。さあ、代金の銀貨10枚と……ほら、この傘もあげよう。これなら濡れないだろう?」
流石にこれにはビックリしたのか、少女は銀貨は受け取ったが、傘は受け取ろうとしなかった。そこまでしてもらう訳にはいかない……そう考えたのだろう。
「遠慮する事はない。これでは身体が冷えて、風邪をひいてしまう。そうなると、明日は商売ができなくなって、困るだろう?」
ニッコリと自分の顔を覗き込む紳士の、真っ直ぐな目線に頬を赤らめ、なおも彼女はその場でジッとしていた。が……やがてポケットから一枚の紙片を取り出し、紳士に手渡して、ふいっと顔を背けて走り去ってしまった。傘は受け取らずに。
「どうしたのだろう……?」
走り去る少女の後姿を、見えなくなるまで眺めていた紳士は、ハッと思い出したように、手渡された紙片に目を落とした。そこには綺麗な文字で『ありがとうございました』と、一言だけ書かれていた。
「……面白い子だ」
ふっ、と思い出し笑いを浮かべた後、紳士はブーケをその手に抱えつつ、家路についた。
********
数日が過ぎ、紳士はあの雨の日と同じ場所に行ってみた。単に使いの通り道にあたる場所だったので、特にその場所に用があった訳ではなかったのだが、何となく気になったのだ。が、あの少女の姿はそこにはなかった。
(やはり、風邪をひいてしまったのかな?)
その時はそう思ったのだが、その後、何度そこを訪れても、少女の姿を見ることは出来なかった。珍しく彼の印象に残る少女であったので、彼は『あの日、もっと情報を集めて置けばよかった』と後悔していた。
カララン……と音を立てて、扉を開く。紳士は、彼女が花を売っていた場所のすぐ後ろにある喫茶店に入り、お茶を注文した。
「……すみません、お尋ねします。この場所で花売りをしていた少女を、ご存知ありませんか?」
紳士は、店主と思しき男性に尋ねた。
「花売りの少女? あぁ、ラティーシャの事か。そういえば、暫く見てないねぇ」
「ご存知なんですか?」
「ご存知も何も。この店にも良く、花を届けてくれてねぇ。助かってるんだよ。なんせホラ、この辺りは建物に囲まれていて、殺風景だからねぇ。あの子の摘んでくる花は、ここを訪れる者の目の保養だよ」
初老の店主は目を細め、とくとくと語り出した。が、その彼をしても、彼女の名前以外の素性は知らぬようで。何処に住んでいるのか、親兄弟はいるのか、といった情報は手に入らなかった。
「そうそう、あの子はね。天気の良い日には、こうして詩を書いて、ブーケに添えてくれたりもするんだよ」
店主が見せてくれた一枚の紙片には、思わず心が和むような、美しい言葉で綴られた詩が書き添えられていた。恐らくは花束を買ってくれた人へのメッセージなのだろうが、そのセンスは素晴らしく、また詩と一緒に描き添えられたイラストも、かなり目を引いた。このまま額に入れて窓辺に飾っても、見た者の心を和ませるだろう。その紙片には、それほどの魅力があった。
「いつ頃から、居なくなったのですか?」
「んー、10日ぐらいになるかねぇ。おかげで、花ももう枯れてしまってね。私としても、あの子が戻って来てくれるのを待っているんだよ」
「そうですか……」
そんなに長い間姿を見せないという事は、商売をする場所を変えたか? しかし、こうして名を覚えられるまで馴染んでいる彼女が、そう簡単に場所換えをする訳はない。だとすると、やはり病気にでもなったか……? と、紳士は考え込んだ。
「……ご馳走様でした。また来ます、もし彼女が顔を出していたら教えてくださいませんか?」
「え? あぁ、いいですよ。お客さんも、あの子が好きになったんですか?」
「そんなところです」
紳士は、ニコッと笑って店を後にした。だが、数ヶ月が経過しても、彼女がそこに戻って来る事はなかった。
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