§4
「にゃあ」
「……?」
何処から入り込んだのだろう、いつの間にやら一匹の猫が、ラティーシャの足元に擦り寄って来ていた。彼女が腰を落とし、そっと抱き上げると、猫はごろごろと喉を鳴らして腹を見せた。よほど安心しきっているのか、それともラティーシャの雰囲気が気に入ったのか。猫はリラックスしたまま、彼女の掌の温もりを求めて甘えていた。
(あなたは、一体何処から来たの? こうしているのは楽しいけど、人に見付かったら大変、悪くすれば傷つけられてしまうかも知れない。さあ、そろそろ身を隠しなさい。いつまでもここに居ると危ないわ)
その頭を撫でながら、ラティーシャは念を送るように猫に対しての意思を強く思い浮かべた。と、猫はうっすらと目を開け、にゃあ、と鳴いて身を起こし、今度はラティーシャの肩の上に飛び移って、頬に身体を摺り寄せてきた。
(ああ、もう……ダメだと言っているのに、しょうのない子)
我が子を叱ろうにも叱れない、母親のような心境……とでも言おうか。早くこの場を去りなさい、という想いに反して、猫を傍に置いておきたいという本音が邪魔をして、なかなか離れる事が出来なかった。困ったラティーシャは、猫を肩から抱き下ろし、膝の上に抱きなおして、先程より強めに念じてみた。
(さあ、もう行きなさい。他の人が来たら、あなたはきっと追い立てられてしまう。そんな姿は見たくないの)
今度は、猫も目をパッチリと見開いて、にゃあ、と鳴いて応えた。そしてラティーシャの膝からひらりと飛び降り、背を向けたが……まだ尻尾を振りながら、名残惜しそうに彼女の方を見ていた。しかし次の瞬間、急に身構えたかと思うと、サッと机の上、さらに戸棚の上へとヒラリヒラリと乗り移り、ものの数秒で完全に姿を隠してしまった。呆然としたラティーシャが立ち上がると、背後のドアが開いて、一人のメイドが室内に入ってきた。
「あら、居ない……変ね、確かに猫の鳴き声が聞こえたのだけど」
キョロキョロと部屋中を見回して、メイドは不思議そうな表情を浮かべた。おかしい、この部屋の中から鳴き声が聞こえたと思ったのだけど……と。そしてラティーシャは、その様をチラチラと伺いながら、猫の無事な脱出を祈っていた。
「ラティーシャ、今ここに猫が……居たようですね。ほら、服に毛が付いていますわよ」
確たる証拠を指摘され、ラティーシャは慌てた。しかしもう遅い、自分が猫と接触していた事はもう露見してしまった。
「猫は何処に行ったのですか? ラティーシャ」
「…………」
困ったように目を伏せたあと、ラティーシャはゆっくりと首を横に振り、知らないと答えた。が、メイドは追及の手を緩めなかった。
(ダメだ、誤魔化せてない……)
メイドの追及に耐えかねて、ラティーシャは渋々と猫が飛び移ったのとは逆側の戸棚を指差し、手まねで動物が飛び移るような仕種をしてみせた。
「そうか、戸棚の上から逃げたのね……分かりました、ありがとうラティーシャ。もう、隠してはダメですよ?」
「…………」
コクリと頷くラティーシャに笑顔を向けた後、メイドはサッと戸棚の上を見渡し、既にこの室内には猫の姿が無い事を確かめた。そして次の部屋を調べるためか、急いで退室していった。ラティーシャはホッと胸を撫で下ろしたが、反面、猫の逃亡を手助けするためとはいえ、咄嗟に嘘をついてしまった事を内心で申し訳なく思っていた。
「……にゃあ」
「……!!」
驚いた。既に逃げ遂せたと思っていた猫が、まだそこに居たのだ。
(ダメ! そこに居ては……)
ラティーシャは慌てて、身を隠すよう猫にジェスチャーを送った。そんな様子を見て、猫は一瞬目を細めて顔を洗う仕種を見せた後、クルリと身を翻し、スッと姿を消してしまった。今度は本当に脱出したらしく、猫が顔を出した戸棚の周りを幾ら見回しても、その姿は見えなかった。
(無事に逃げてね……)
既に見えなくなったその姿を思い浮かべながら、彼女は今度こそ逃げ遂せてくれと、心の底から祈っていた。
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