§3
「メイス様、如何でしょう?」
「文句など無いよ、メイヤー。君はやはり良い目をしているね」
屋敷へと到着した少女達は、まず身なりを綺麗に整えられてから、紳士――メイヤーの主君、メイスの前へと集められていた。
「……では、さて。君達の名前を教えてもらってもいいかな?」
メイス・クリフォード――この館『少女館』を統べる男は、新しく連れて来られた少女達一人ひとりに、丁寧に語りかけ、彼女達の名前やプロフィールなどを確認した。最初に声を掛けられたタバサという少女は、最初フルネームを『タバサ・エーミス』と名乗ったが、このクリフォードの子供として買われたのだから、今日からは『タバサ・クリフォード』と名乗るようにと訂正されていた。
オリーアナ、シンシア、シャロン、シエナ、リディア、テルシェ、ノエル、メロディ、リネット……次々に自己紹介が済み、いよいよラティーシャの番となった。
「どうしたね? さ、名前を教えておくれ」
「…………」
メイスはジッとラティーシャの瞳を見据え、返事を待った。が、彼女は答えなかった。モジモジと俯くばかりで、何も出来ずにその場に立ち竦んだままだ。怪訝に思ったメイスがメイヤーの方を見やると、彼は漸く彼女をフォローするかのように補足説明を行った。
「彼女は、名をラティーシャと申します。故あって声を授からずにこの世に生を受けたようですが、読み書きは達者。そして、その美的センスには目を見張るものが御座います」
そして彼は、彼女直筆のポエムカードをメイスに差し出した。
「これを、彼女が……?」
「はい、メイス様。彼女は元・街の花売りで。ブーケを買う客一人ひとりに、即興でポエムを添えて渡していたのだそうです」
説明を終えると、彼はラティーシャに近寄り、そっと耳打ちをした。他にアピールしたい事は無いかな? と。すると彼女は、メイヤーの掌にサラサラと指で文字を書き始めた。
「……良いんだよラティーシャ、堂々としていなさい。臆する事はない、君はただコミュニケーションの手段を一つ欠いているだけなのだから」
どうやら彼女は、ここは自分には場違いであると、メイヤーに訴えたらしい。が、メイヤーは優しくそれを否定した。そしてその手を握り返し、ニッコリと微笑むと、彼女も漸く笑顔になり、再びメイヤーの掌に短くメッセージを書いた後、スカートの端を軽く持ち上げてお辞儀をし、メイスに対して改めて挨拶をした。
「よろしくお願いします、と申しております」
「メイヤー、君は本当に良い目をしているね」
「……恐れ入ります」
こうして、今日新しく入ってきた少女達の面通しは無事に終わり、クリフォード家での新生活が始まった。
********
ラティーシャは、常に万年筆とメモ帳を携えていた。声を出せないハンディを筆談で補っていたのである。メイドや、大多数の少女達とはこの手段でコミュニケーションが成立していたが、中にはその煩わしさを嫌い、彼女に対して意見を述べ、イエスかノーかの二択のみを求めるといった手段で済ませるだけの者も居た。そうした者の態度は、一見冷たいように見えたが、実はラティーシャに余計な手順を踏ませずに済ませようという一種の心遣いであり、決して彼女は敬遠されている訳ではなかった。
しかし、メイヤーと対話をする時だけは例外で、彼女は彼の手に直接メッセージを書くことで意思を伝えていた……いや、彼に対してのみというのには理由があって、実は彼女は他の少女達やメイドにも同じ手段を試したのであるが、誰も彼女の指文字を読解できず、結局、その手段が使えるのはメイヤーのみという結果になってしまったのである。
「ねえメイヤー、貴方はどうしてラティーシャの言葉を直接受け取れるの?」
自分達にとっては難解なあの手文字を、あっさり読めてしまう事に驚いたテルシェが、メイヤーに質問した。
「どうしてって……手に文字を書かれているだけなんだし、君達にも分かると思うけど」
「わかんないよ、くすぐったいだけだし。文字だと理解する前に手を離しちゃうもの」
「それじゃあ、読めなくて当たり前だよ」
苦笑いを浮かべながら応えるメイヤーに、テルシェは軽く頬を膨らませて拗ねて見せた。そんな二人のやり取りを見ながらも、当のラティーシャはどう対応して良いか分からずにオロオロしていた。
「そうだ! ラティーシャ、何か喋る真似をしてみてよ。ぼく、読唇術が使えるんだ!」
無邪気に言い放つテルシェであったが、ラティーシャは相変わらずオロオロしたままだ。そんな彼女を見てイライラして来たのか、徐々にテルシェの語気が荒くなっていった。
「どうしたの、どうして何も反応しないの? ひょっとして無視してるの!?」
「……!!」
テルシェの発言に、ラティーシャは慌てて両手を横に振り、否定の意味を表すジェスチャーで応えた。すると、その様の一部始終を傍で見ていたリディアが、ボソッとフォローを入れてきた。
「……元から喋れないんだとしたらさ、声を出すときの口の形も分からないんじゃない?」
そのフォローに、ラティーシャは大きく首を縦に振って肯定の意味を表すジェスチャーをした。なるほど、一度も発音した事が無ければ、発音時の口の形だって分からなくて当然。だとすれば、読唇術になど何の意味も無いだろう。
「惜しかったね、テルシェ。でも積極的にコミュニケーションを取ろうとしたのは感心だよ」
メイヤーは、テルシェの頭を撫でながら彼女の行動を褒めていた。が、テルシェは面白くなかった。ぷぅっと頬を膨らませたまま、顔を背けていた。どうやら、読唇術が通じない理由について考え及ばなかった事が口惜しかったようだ。
「演技じゃないの? 本当は喋れるんじゃないの?」
テルシェは意地悪く、問い続けた。そこでラティーシャはポケットからメモを取り出し、サラサラとその場でなにやら書き添えて、テルシェに手渡した。
『嘘じゃないの、本当に喋れないの。ごめんなさい』
メモにはそう書かれており、テルシェがメモから視線を上げるのを見計らって、ラティーシャは更に頭を下げていた。
「ラティーシャ、卑屈にならなくていいと言ったはずだよ。テルシェも、意地悪を言うのはやめなさい」
「……ふんっ!」
メイヤーの注意がとどめになったのか、テルシェはラティーシャに渡されたメモをクシャッと握り潰し、その場に投げ捨てて、面白くなさそうにその場を立ち去った。その後を追うように、リディアも退場していった。
「しょうがないな……彼女には後でフォローを入れておくか。ラティーシャ、今の事は気にしないように。いいね?」
「…………」
小さく頷いて了承の意思を見せるラティーシャだったが、その表情は寂しそうだった。
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