§13
「よいしょ、よいしょ……」
「リネット! だから、そんな重いものは私が持ちますから!」
「いいのよエイミ、少しは動かないと太っちゃうから」
太る……誰がそんな事を言うものかと、エイミは思った。食欲もなく、顔色も優れない貴女の様は、まさに病人と変わらないではないか、と。
「おーす。青い顔して、大丈夫か?」
「おはよう、セリア。平気よ、ありがとう」
セリアの挨拶にニッコリと微笑んで、彼女は気丈に振舞って見せる。が、やはり周囲に与える印象は宜しくないようだ。
彼女――ヴァネッサが少女館に紛れ込んで、二か月余り。もう彼女の名を『ヴァネッサ』と呼び間違える事は無くなったが……リネットが居なくなった事に気付く者もまた、誰一人として無かった。
「やっぱ、気になってるのかな?」
「他に理由なんか……あのお便りから二か月経ちますけど、それから連絡は無いんですから。クラリスさんは、多分……」
確証はない。しかし、他に考えようもない。そして、その情報の不確定さもまた、不安を煽ることは間違いなかった。いっそ、彼女はもう居ないとハッキリ知らされた方が、どれほど楽になるか……エイミとセリアは、揃って溜息を吐いた。
「あ、リネット。手紙が届いていますよ」
キャンディスからの呼び声に、ヴァネッサは笑顔で応えた。しかし……
「私が読んでしまって、良いものなんでしょうか?」
「あ……」
此処でキャンディスも、ハッと気づいて言葉を詰まらせた。そう、既にその呼び名が定着して久しいが、彼女は『ヴァネッサ』なのだ。リネットではない……と。
「良いんじゃねぇか? その手紙をアイツに届けたって、どうせ『アタシはヴァネッサだ』とか言い張るんだろうし」
セリアの放ったその一言で、一同は『それもそうですね』と納得し、ヴァネッサも苦笑いを浮かべた。そして抱えていた本をエイミに預け、キャンディスから封書を受け取ると、彼女はその厚みに違和感を覚え、首を傾げた。
「差出人は……書いてない。それに、この厚み……一体、何の便りなのかしら」
ヴァネッサは、エイミとセリア、そしてキャンディスを伴って部屋に戻り、皆が見守る中で手紙の封を開いた。中には数枚の便箋と一緒に、もう一つの封書が入っていた。それを取り出して、彼女は思わず息を呑んだ。
「クラリスの……お母さんからだ」
「えっ!?」
その声を聞いたエイミたちも、また……言葉を失っていた。
********
「まさか、こんな……」
真新しい墓標には、ヴァネッサの名が刻まれていた。彼女がアパート代わりにしていたホテルの宿主夫婦が葬儀を営み、埋葬してくれたとの事だった。
「彼女、クラリスのところに行って……最後まで『頑張れ』って、励まし続けてくれたそうよ。結核だから、傍に行けば自分も危ないのに……あんなに止めたのに、って……」
クラリスは助からなかった。しかし『こんな病気が何よ!』と叫びながら懸命の看護を続けた『ヴァネッサ』の熱意に応え、一時は医師も驚くほどの回復ぶりを見せたようだ。
「それで、自分が先に逝っちまうとはね。間抜けにも程があるだろ」
ヴァネッサが受け取ったあの封書には、一度開封された封書と一緒に、宿主が書いた手紙が添えられていた。リネットが息を引き取る直前に、『少女館のリネットに伝えてほしい』と遺言したのだという顛末が、そこに記してあった。
「……何も言わずに、遠くへ行っちゃったんですね」
「もし、私がクラリスのところへ行っていたら、同じ事をしたはずだって……分かっていたのかな」
「そんなにいい奴じゃねぇよ、アイツは。ただ、アタシらに説教されたから、悔しくて……そうに決まってるさ」
リネットが、本当に意地だけでクラリスを励まし続けていたのか、それとも心を入れ替えたのか……それは、今となっては誰にも分からない。ただ一つ、確かなのは。彼女もやはり、性根からの悪人ではなかったという事であろう。無論、心に受けた傷が原因で、人間不信に陥っていた点は否めない。が、人は一人で生きていく事は出来ないのだと理解してはいた――それを認めたくないがため、敢えて自ら壁を作っていただけなのかも知れない。
「で……これから、どうなさるのですか?」
「んー……」
ヴァネッサは、キャンディスからの問い掛けを受けて、暫し空を仰ぎながら考え込んでいたが……やがて『うん』と頷くと、墓標の方を向いたまま、ゆっくりと語り始めた。
「彼女は……ヴァネッサとして、最後までクラリスと向き合いながら天国へ行ったわ。だから今、このお墓で眠っているのは……リネットではなくて、ヴァネッサなの」
「いいのか? そんな簡単に納得しちまってさ」
「納得は出来ないよ、かなり理不尽でおかしな話だと思う。けど……」
ひと呼吸おいて、ヴァネッサはクルリと振り向いて、涙を拭いながらニッコリと笑った。
街角で、靴磨きの少女が笑顔を見せることは、もう無くなってしまった。が、それを悔んで、あの日を返してくれと望んでも、誰も叶えてはくれない。ならば、今ここにある新たな道を、歩んでいくしかない。
「ヴァネッサ・ガーランドの人生は、あの人が持って行っちゃったけど。リネット・クリフォードの人生は、まだここにある。新しい友達も、いっぱい出来たし……結構、悪くないよ。うん」
ふいと空を見上げながら、ヴァネッサは笑みを浮かべた。今はそれに頷けなくとも、いつか分かる日が来る……そう信じて。
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