§7
「えぇ? アンタと喋ってた方のお嬢ちゃんは、もうあの人に触れるどころか、近寄る事も出来ない!?」
「言っただろうが、
「じゃ、残った片割れにも、同じ
「そういう事。ま、状況に拠っちゃあ、あの嬢ちゃんより、もうちょっと酷い目を見てもらう事になるかも知れんがね」
商品の一つと思われる、何が入っているのか分からない怪しげな瓶の埃を払いながら、リチャアムはニヤリと笑った。そんな裏があったとは露知らず、先刻、全力で妨害工作に出たカエデはぷぅっと膨れっ面になった。
「もう、それならそうと……」
言い掛けて、カエデはグッと口を噤んだ。そういえばあの時、コイツはそんな事をボソッと言っていた……自分はもう片方のチビを捉える事に夢中になり、しっかりと話を聞いていなかったなぁ……と思い出したのだ。
「もう片方の嬢ちゃんは、恐らく
膝小僧を抱えながらフワフワと宙に浮いた格好のまま、カエデはリチャアムの呟きに耳を傾けた。彼なりに策略を練っているのだろう、顔はにやけて居たが、その目線はいつに無く真剣だった。
「……連携した方がいいなら、指示をちょうだい」
「ん? そうだなぁ……じゃ、万が一、予想が外れて俺の店のある方から嬢ちゃんが来なかったら、なるべく早く教えてくれや」
「わかった。じゃ、アタシはあの子達のねぐらで張り込んでるから」
カエデはリチャアムが軽く頷くのを見届けると、スッと姿を消して夜空へと飛び去った。そんな彼女を見送りながら、リチャアムは『ふぅっ』と一息ついて、大きく伸びをした。
「……あの嬢ちゃんの動きについては、カエデに任せておけばいいかな」
この一連の騒ぎ……敢えて名付けるなら、ナディア救出作戦とでも言おうか。この件の発端を持ち掛けたのはカエデではあったが、実はリチャアムも何らかの形で対策を練る準備をしてあったのだ。そのうちの一つが、リディアに掛けた
(以前、二人連れで街にやって来たあの双子を見掛けてから、なんとなく嫌なオーラを感じてたんだよね。あの二人、絶対何かしでかすって……そこに、あのイワク付きのご婦人が絡んできた。これはもう、ただの偶然じゃあ無い)
イワク付きのご婦人というのは、言わずと知れたナディアの事だ。彼は一年前、あの大火事の中から彼女だけが『無傷で』脱出に成功していた時点から『このご婦人も、妙な連鎖に巻き込まれた中の一人か……』と目を付けていたのだ。
(あのご婦人、かなり驚いてたっけ……そりゃあそうだよな、あの燃える屋敷から逃げ出せただけでも奇跡に近いのに、着ていた服に焼け焦げどころか、スス一つ付いてなかったんだから……尤も、それから後の過ごし方は、お世辞にも利口とは言えなかったけどね。サッサとパン屋の旦那とくっついていれば、あの双子に見付かる事も無く、もっと平和に過ごせていただろうに)
最後の方は、手間を掛けさせてくれている事への愚痴に近い雰囲気になっていた。が、彼としてもこの状況は既に見逃せないレベルになっていたので、それなりに真剣に取り組んでいるという訳だ。尤も、彼が真剣になっているのは、カエデのそれとは理由が全く異なるのであるが……ともあれ、彼は残った片割れ、テルシェに対するお仕置きの準備を整えると、やれやれ……といった感じで、漸くごろりと横になり、全身の緊張を解いた。
********
(今日こそ、アイツを連れ戻してお仕置きだ……ぼく達から逃げようったって、そうはいかないんだから!)
翌日、テルシェは予定通りにバラックを出発、チェスターの店へと向かった。勿論、その上空ではカエデが目を光らせていた。今のところはリチャアムの予測通り、昨日と同じルートで店舗に向かっていた。よって、彼の待機位置も変更の必要は無かった。
(あの子さえ何とかしちゃえば、あの女の人はパン屋さんと幸せな人生を送れるんだ……邪魔はさせないよ、お嬢ちゃん!)
カエデのテンションはもはや最高潮に差し掛かろうとしていた。同じ女として、ナディアには幸せになってもらいたいという想いが原動力となって、彼女を突き動かしていたのだ。当初抱いていた『妙な胸騒ぎ』は何処へやら、カエデはすっかり感情的になってしまっていたのである。
(アタシが幾らあの子を足止めしたって、根本的な解決にならないのは分かってる……でも、アタシはアタシに出来る事を精一杯やったんだ。あとは頼んだよ、居待!)
コソコソと人波に紛れるようにして歩を進めるテルシェを、カエデはしっかりと見張っていた。そしてテルシェがリチャアムの待機している地点に近付き、その興奮度は更に高まっていった。
「おーい! そこのお嬢ちゃん!」
「……ぼく?」
「そうだよ、嬢ちゃん以外に誰が居るんだよ……ほら、珍しいもんがあるよ、ちょっと見てってよ。ホラ、コレとか……あれ?」
リチャアムが言霊の射程距離内にテルシェを誘導するために呼び込もうとしたが、彼女は『構ってられるか』といった風に、彼を無視して立ち去り、その姿はもう遥か向こうへと遠ざかっていた。
「い~ま~ち~~!?」
額に青筋を浮かべたカエデが、その怒りを隠そうともせずにリチャアムに抗議して来た。昨夜あれだけ念入りに策を練ったのに、こんなにアッサリ躱されてどうする! と、彼女はあらん限りの不満を彼にぶつけて来ていた。
「あっはっは! コイツは参った。昨日の娘に比べて、今日の子の方が目的に対する執念が強かったんだな。まさか、俺の念波に引っ掛からないでスルーしていくとはねぇ」
「感心してる場合じゃないでしょっ! どうすんのよ!?」
「だーかーらぁ、慌てんなっての。要はあの小娘がパン屋の旦那のねぐらを見付けさえしなければ、あの二人の生活が乱される事は無いんだ。幾らなんでも、白昼堂々、店で暴れるなんて事はしないだろうし……」
「そっかぁ……じゃ、帰りの時間まで待機して、尾行を始めたところで捕まえればいいんだね?」
そういう事だと笑い飛ばし、夕方までは大丈夫だから様子を見ようと、リチャアムはキセルの煙草に火をつけた。ともあれ再びテルシェが動きを見せるまでは待機という事になり、目立つ行動は控えてジックリ張り込もうという策に転じたのだ。が、当の彼女は、彼らの想像の少しだけ上をいく行動に出ていた。
(まずはご挨拶だよ……ぼく達の恐ろしさを、ジワジワと思い知らせてやるんだ……)
テルシェはわざと店の窓から見える位置に身を晒し、それが自分だとハッキリ分かるように頭に巻いたハンカチも取り去って、店の前をウロウロと歩き始めたのだ。
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