§8
「……!? ひぃっ!!」
その姿を見付けたナディアが、焼きたてのパンが入ったバスケットを取り落としながら、真っ青な顔になって後ずさりをした。
「どうした、ナディアさん!?」
「あ……あれ……あの、こちらを覗き込んでいる女の子……」
「あの子がどう……まさか、君が言っていた双子って、もしかして!?」
その問いに無言で頷いて、ナディアはチェスターの推測を肯定した。しかし、そこには一人だけしか居ない。もう一人はどうしたんだ? と思いつつ、彼はナディアを庇うように店の奥に引っ込ませ、落ちたパンを拾う振りをしながら窓の外を警戒した。
「しかし、あの子達を敬遠してるのは聞いてたけど……そこまで怯えるのは何故!?」
「あっ、あの子は……あの子達は……ひぃぃ!!」
ナディアは、すっかりパニック状態に陥っていた。彼女は10日あまりの平穏な日々によって彼女達からの圧迫から解放され、気が緩みきっていたのだ。そこに、恨み節を込めたような薄笑いを浮かべながらこちらを睨んでいるテルシェの出現である。ついに見付かった、10日以上も放置して食料も与えずにいたのだから、その怒りは相当なものだろう……捕まれば、何をされるか分からない……そんな恐怖感が彼女を襲い、怯えさせていたのだ。
(クククク……慌ててる、慌ててる! そう。アンタはもう、ぼく達から逃げる事はできない。それを思い知らせてあげるよ……)
一際邪悪な笑みを浮かべたテルシェが、今度は店の方に近寄っていき、数回ドアの前をウロウロと歩いて様子を伺ったかと思うと、今度は店内に入っていった。
「ちょっと居待! あの小娘、動き出したよ!?」
「ふぅん? そいつは予想外……他の人間が近くに居たんじゃ、言霊作戦も、『コイツ』も使えねぇな……これは参ったね」
ボリボリと頭を掻きながら、リチャアムは何やら印紋を描いたような左手をチラリと眺めた。どうやら、昨夜彼が用意していた『お仕置き』の手段とは、コレの事だったらしい。
「どうしよう……?」
「どうしようって言われたって、どうしようもねぇよ。今は様子を見る他に方法がねぇ」
「う~~~!!」
何も出来ない……と、カエデは自分の無力さを嘆いた。その時リチャアムの表情にはまだ余裕の色が浮かんでいたのだが、今の彼女がそれに気付く訳も無く、ただ焦燥感に駆られるだけであった。
そして一方、テルシェが乗り込んだ店内には、現在他の客の姿は無く、ニヤニヤしながら店の中を見渡すテルシェ、彼女の動きに警戒しながら静かに迎え撃つチェスター、そしてカウンターの奥でガクガクと震えるナディアの三人が居るだけであった。
「……らっしゃい」
「悪いけどぼく、お客じゃないの。そこで震えてる女に用があるんだ」
「うちはパン屋だ、パンを買わないんなら出て行ってくれ。商売の邪魔だよ」
その短いやり取りの後、暫く二人は睨み合っていたが、そのうちにニヤリと顔を歪めたテルシェが、商品の並ぶ棚のうちの一つを思い切り蹴り上げた。勢い良く舞い上がるパンを見て、彼女はひとしきり笑った後、チェスターを無視して言い放った。
「おい、そこでガタガタ震えてるオバサン! 観念して出てきな!!」
「……なぁ、そこに落ちたパン……もう売り物にならないんだけどよ。弁償してもらえるんだろうな? お嬢ちゃん?」
無視されたチェスターの声が、甲高く叫ぶテルシェに向けて、低く、そして鋭く突き刺さった。
「は? 弁償? 何で? ぼくは棚を蹴飛ばしただけだよ、落ちたのはパンの勝手だろ? ぼくの所為じゃないよ」
そしてテルシェはチェスターを睨み返すと、ずかずかと店の奥に向かって歩き出そうとした。が、そんな彼女の襟首を背中側からむんずと掴んで、彼はカウンターの裏側にいるナディアに向かって問い質した。
「おーい、ナディアさん。この嬢ちゃんに、ちょいとお仕置きして構わないかい?」
「……!?」
その問いにナディアは驚いたが、声を出す事は出来なかった。未だ恐怖に支配されている所為もあったが、何より、どう返答したら良いのか分からなかったのだ。
「……返事が無いのは、了解と判断するよ? 大丈夫、コレは俺の勝手でやっている事だからね、君が怖がる事はないんだよ!」
「なっ、何をする……?」
台詞を最後まで言い切る間もなく、テルシェの小さな身体は軽々と片腕で背を上にして抱え上げられ、残った片腕でスカートを捲り上げられて下着も下ろされ、その小さな尻を剥き出しにされていた。そして、次の瞬間……
「こいつは、落とされて売り物にならなくなったパンの分!」
バシィ!!
「こいつは、親を親とも思わない悪ガキに対する、この俺の怒りの分!!」
バシィ!!
「そしてこいつは、今日来てない、もう一人への土産だ!!」
バシィ!!
「ッ……!!」
合計3回、それも手加減無しのフルパワーで、テルシェは尻を叩かれていた。普段からパン生地をこねる事で鍛え上げられた太く逞しい腕と、大きな手から繰り出されるその平手打ちは、想像を絶するダメージを彼女に与えていた。
「なっ、何すんのよ!!」
「口で言っても分からない悪ガキには、身体で覚えてもらうしかないだろう? 特にオマエさんは、相当ワガママに育ったようだからな。どうせ、引っ叩かれた事なんか無いんだろうが? この甘ったれの世間知らず!!」
図星であった。虐げられて育ったとはいえ、彼女たちは体罰を受けることは無かったし、悪さをしても叱る者は皆無であった。未だにチェスターの腕に捕まえられたままの格好でジタバタと暴れる彼女の目には、いつしか涙が浮かんでいた。
「……もう二度と、ここには来るな。来れば今度はこの程度では済まさんぞ」
そう言うと、チェスターは彼女を店の外に放り出した。つまみ出したのではない、抱えたままの姿勢から放り投げたのだ。
「おっ、覚えてろ!」
「あぁ、忘れんさ。忘れたら追い返せないからな」
周囲がざわめき立ち、放り出されたテルシェは僅かに注目を集めた。そんな中で弱々しく立ち上がると、お定まりの捨て台詞を残し、下ろされた下着を元に戻しつつ、ヨタヨタと走り去っていった。
「チェスターさん、何かあったのかい?」
「あぁ、何でもないですよ。ただ、店の中で悪戯をした悪ガキに、ちょっと仕置きをしただけです」
集まってきた野次馬をやんわりと追い返すチェスターを、やっとの事でパニック状態から立ち直り、カウンターの中から出てきたナディアが呆然と眺めていた。
「……悪かったかな?」
「いいえ……助かりました。もう、どうなるかと……」
「しかし、いずれはあの子……いや、あの子達の事について、話し合わなきゃいけないね」
「話し合いの余地など……あの子達は罪人……いずれ、裁かれなければならない立場なんです」
「……!?」
悪ガキとは聞かされて居たが、罪人とは……? と、意外そうな顔をするチェスターに、ナディアがゆっくりと説明を始めた。
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