§9

「ひゃー、立派、立派! やってくれたねぇ!」

「ホント! アタシがやりたいと思ってた事、見事にやってくれたよ。スーッとした!」

 事の一部始終を野次馬に混じって見物していたリチャアムとカエデの二人は、涙目になって去っていくテルシェを見て大笑いしていた。ただ殴られただけではない、年頃の娘が尻まで剥き出しにされてお仕置きをされたのだ。これはメンタル的に大きなダメージを与える事になっただろう。現に、しぶとく付近に留まるかと思って警戒して見ていたのに、半泣きで逃げていったのだ。この様子からすると、再度出てくるのは早くても夕方以降になるだろう。

「……でも、絶対にまた出てくるよね?」

「当たり前だ、しかも次は今以上に怒りを込めて復讐しに来るぞ。なんせ、あの旦那も具体的な敵になったんだからな」

 ひとしきり笑って冷静になると、二人は今度は次の攻撃に対する予測を立て始めた。

「どうすんの?」

「んー? どうするかなぁ……あの嬢ちゃんが、ダメージ食ってる間にとどめを刺すってのも手なんだが……」

「……が?」

 考え込むリチャアムに対し、カエデは次の台詞を促すかのように相槌を打った。

「……うん、やはり急いで片付けちまおう」

 ポン! と膝を手で打って、リチャアムが立ち上がった。彼が急ごうと言った理由は理解出来ないままであったが、カエデもその決定に同意し、次に双子が打って出てくる前に片をつけてやろうと躍起になった。


********


「放火ぁ!?」

「そう……あのお屋敷に住んでいた、使用人を含む数十名の命を奪ったのは、あの子達なんです……」

 パン屋の中では、テルシェによって取り散らかされた店内を片付けながら、やっとの事で落ち着きを取り戻したナディアが、チェスターに一年前の真相を暴露していた。彼は目を丸くして暫く呆けていたが、やがて大きく深呼吸してナディアの方に向き直ると、ゆっくりと口を開いた。

「その話、誰から聞いたの?」

「あの子達自身の証言です。凄く冷静に『あんたを殺すつもりだった』って、私に……」

「なるほど、それであんなに怯えてたんだ……」

 その台詞に無言で頷くと、彼は再び思考の闇に落ちた。

「……生き残ったのは、ナディアさんと……あの双子だけ?」

「そのようです。あの子達は論外として、私自身、どうやって脱出したのかは覚えていないんですけど……」

「それだけ必死だったんだって事だよ」

 事実、ナディアは脱出の経緯を全く覚えていなかった。

 彼女は火災当時、最上階である3階の窓際にいた。周囲の異変に気付いて目を覚ますと、既に火の海の真っ只中にいたのだ。燃え盛る炎の恐ろしさと、そこから放たれる熱に耐えかねた彼女は、バルコニーからの脱出を試みようと窓の外に出た。しかし、窓を開けた途端に背後の炎は勢いを増し、猛然と彼女に襲い掛かってきた。まさに最悪の状況であった。その炎の渦を見た瞬間、あまりの恐ろしさにナディアはついに気を失い、その場にへたり込んだ……のだが、次に彼女が目を開いた時には、何故か無事に脱出を完了しており、火の手の届かない庭の隅に倒れていたのだった。

 その後彼女は、寝間着姿の我が身を覆い隠すために街のゴミ箱からボロ布を見つけて身に纏い、食べ物を求めて物乞いをしていた。その時に縋った相手の一人が、チェスターだったのである。

 彼はそんなナディアを閉店後の店へと導き、とりあえずその日売れ残ったパンとミルクを彼女に手渡した。チェスターの手厚い施しに感激した彼女は涙を流して喜び、何度も何度も頭を下げ、礼を言った。そして、酷い空腹であったにも拘らず、決して食い散らかしたりはせず、品良くパンを食べる様から、チェスターは彼女がただの乞食ではない事を見抜いていた。

 恵んでもらったパンとミルクを腹に入れ、人心地を取り戻したナディアは、再びチェスターに礼を言い、深々と頭を下げて立ち去ろうとした。が、彼はナディアを呼び止め、良かったら明日から店を手伝ってみないか? と誘ったのだった。

「……放っておく訳にはいかないな」

 静かに、そして重々しく口を開くと、チェスターはゆっくりと立ち上がり、ナディアを促した。

「今日はもう店じまいにして、警察へ行こう。そして、この事実を話すんだ」

「……それが最良ですね。あの子達のためにも、そして私自身のためにも」

「親子の縁は、これっきりになるかも知れないよ?」

「……構いません。私は、貴方との新たな人生に、これからの全てを捧げたい」

 涙を拭いながら、ナディアはクロムウェル家と実子に対して別れを告げる決心を固めた。その決心の裏側には、チェスターに対する想いが込められていたのは、言うまでもない。

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