§10

「見事に真っ赤だねぇ……」

「思いっきり引っ叩くんだもん! しかも直にだよ、剥き出しだよ!? 女の子のお尻を何だと思ってるのよ、あのおっさん!」

 物が触れているとそれだけで痛みを感じるため、うつ伏せになり、真っ赤に腫れ上がった尻を上に向けて外気で冷やしながら、テルシェは事のあらましをリディアに報告した。自らの行為は棚に上げ、すっかり被害者気取りであった。

「で? 痛みが引いたら、また店に行ってみるつもり?」

「当たり前! もう、絶対に許さない!」

 そんな二人のやり取りを、一足先に到着してフワフワと宙に浮きながら眺めていたカエデは、すっかり呆れ顔になっていた。嬢ちゃんたちが逃げないよう、俺が着くまで監視しててくれ……というリチャアムからの指示が無かったら、二人の前にヌッと姿を現して、脅かしているところである。

(もー、居待! 早く来てよ!)

 ……と、その時。突然リディアが怯えの表情を浮かべ、ガタガタと震えだした。何事? と思ったカエデが、ひょいとバラックの外に顔を出して様子を窺うと、遥か向こうから、警官を引き連れたチェスターとナディアが歩いてくるのが見えた。リディアが怯え出したのは、リチャアムによる呪いがナディアの接近によって発動した為だった。

「て、テルシェ! 逃げよう、何か嫌な感じがする!」

「ええっ!? だって、まだお尻が痛くて……」

「我慢なさい!」

「もぉ、何なんだよぉ……」

 その慌てぶりを見て、テルシェは渋々ながらに着衣の乱れを整え、痛みを堪えながらゆっくりと立ち上がった。そして、外と中の様子を交互に見ながら、カエデもまた慌てていた。

(キャー! まさかの鉢合わせ! これじゃ逃げられちゃうよ、居待! 早く来てぇ!)

 と、一人であたふたと慌てるカエデの耳に、聞き慣れた声が届いた……尤も、その声は彼女だけでなく、バラック内の二人にも同時に届いていたのだが。

「……待たせたな」

「居待! 遅いよ、もう!」

 ギリギリになって到着したリチャアムに、カエデは抗議の声を浴びせた。だが、双子の耳にはカエデの声は届かない。彼女たちは、何が『待たせたな』なのかが理解できず、単に、突然聞こえてきた男の声に驚くだけだった。そしてリチャアムは、バラックの入り口の役を成しているカーテンの外から、中の二人に声を掛けた。

「お嬢ちゃん達、二択だ。俺と一緒に来るか、このままジッとしているか」

「……!?」

 気が付くと、リディアの怯えは無くなっていた。リチャアムが到着すると同時に、彼女に施した呪いを解除していたのだ。

(居待! どういうつもり!?)

 その行動の真意が掴めず、カエデは思わず疑問を投げかけた。が、それは無視して、リチャアムは二度目の勧告を行った。

「時間が無い、早く選べ。俺と一緒に来るか、それともここに残るか」

「そんな、ワケの分からない誘いに乗れるもんか!」

「そっかぁ……せっかく最後のチャンスをやろうと思ったんだがな……仕方が無い」

 リディアの回答を聞き、リチャアムは『やれやれ』といった表情になり、短く念を唱えると、手だけをバラックの中に突っ込み、二人に向かって新たな呪いを掛けた。

「え……?」

「な、何をしたの……?」

「んー、ちょっとお呪いをした。オマエさん達が、もう二度と、おっかさんに悪さが出来ないように……な」

 それだけを言うと、リチャアムはカエデに向かって『もういい』と目配せを送り、去って行った。

「な、何だったの、今の……?」

「ワケわかんない……」

 残された彼女達が顔を見合わせていると、その刹那……勢い良くカーテンが開かれ、数名の警官が彼女達の前に現れた。そこで初めて、二人は『時間が無い』と言われた事の意味を理解した。そして間もなく、彼女たちは一年前の放火の容疑で、警察にその身柄を確保され、連行されていった。

「あーあ、だから誘ってやったのに」

「……誘ってどうするつもりだったの?」

「ん? 来たら来たで、呪いを掛けてからリリースしてやるつもりだったよ。けど、結果としてはアレで良かったのかも知れんな」

 その判断は、警察に保護されている間は少なくとも、飢える心配だけは無いからという、極めてシンプルな理由に基づくものであった。因みに、リチャアムが新たに仕掛けた呪いとは、『特定の人物に危害を加えようとした場合に限り発動する』という、極めて範囲の狭いものであった。が、その代わり効果は長く持続し、ナディア達の安全を守るには充分な物であったという。

「今度は、警察の檻の中かぁ……つくづく、閉じ込められる事から縁が切れないねぇ、あの二人は」

「そういう運命なのさ……」

 短く呟くと、リチャアムは愛用のキセルを取り出し、ひと仕事終えた後の一服を楽しみ始めた。

「でもさぁ、あの二人……このまま大人しくしてると思う?」

「思わない」

 カエデの問いに、リチャアムはキッパリと言い放っていた。狡猾なあの二人の事、何だかんだですぐに逃げ出すだろう……と、彼は予測を立てていた。

「……いいんだ?」

「要するに……おチビ達が、あのご婦人に関わるのを諦めれば、それでいいのさ。それだけ果たせれば、脱獄しようがどうしようが、俺の知ったこっちゃ無い」

「え? 他にも悪さをするかも知れないじゃん、それは良いわけ?」

「良いんだよ。それよりカエデ、お前……以前『不思議な気を放つ奴らが多い』って言ってたよな? それに気付いたの、最近か?」

「え? あ、うん……そうだね。少なくとも、ちょっと前まで居たフランスでは、こんな妙な気配は感じなかったよ」

「そう、か……」

 キセルをポンと叩き、吸い尽くした燃えカスを落とすと……リチャアムは遠い空を見上げながら、『イヤな空気だ。これ以上荒れなければいいが』と溜息を吐いた。


********


(……また、檻の中かぁ……)

(大丈夫、すぐに出られるよ……事実は闇の中、見た奴は誰も居ないんだから。あの女の証言だけじゃ、実刑にはならないよ)

 今度は二人一緒の檻ではなく、互いに向き合う格好で違う檻に入れられていた双子の姉妹。彼女たちは読唇術を駆使して、周囲には聞こえぬ会話を続けていた。

(ここを出たら、今度はどうする?)

(考えてない……でも、絶対にオトナたちの思い通りにはさせない。私達は自由なんだ、誰にも私達を縛る権利なんか無い!)

 幼い日から積もり積もったオトナへの恨みが、彼女達を突き動かした。それはまさに、怨念と呼んでも差し支えの無いほどに強く、そして時間を重ねるにつれて、更に邪悪なものへとなって行くのだった。

 彼女達が、ナディアに危害を加える事が出来なくなっているのは確かだったが、二人はまだその事を知らない。ナディアが生きている間は、彼女達の意識からその恨みが消える事は無いだろう。そして、オトナに対する恨みが無くなる事も、今の段階では考えられる事ではなかった。

 この先、彼女達にどのような運命が覆い被さって来るのかは、まだ誰にも分からなかった。


<了>

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夢の軌跡 県 裕樹 @yuuki_agata

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