§5
「あー、気持ちいいー!」
「身体を洗えるなんて、久しぶり!」
「これこれ、そんなに大きな声を出したら、外に聞こえてしまうよ」
テルシェたちがボールドウィンの部屋に遊びに来るようになって間もなく、彼は庭に『池』と称した小さなプールを作らせた。北欧とはいえ、夏になればそれなりに気温は上がる。したがって、汗もかく。そうなれば、水遊びの一つもしたくなるだろう……という考えによるものだったが、これが大当たりした。天井のドアをノックして現れた二人にそのプールを見せると、彼女たちは瞳をキラキラと輝かせ、ソワソワとしながらプールとボールドウィンの顔を交互に見ていた。ニッコリと微笑んだ彼がゆっくりと頷くと、彼女たちはワァッと服をその場に脱ぎ捨て、一目散に水の中に飛び込んでいった。
夢中になって遊ぶ双子を見て、彼はずっとある疑問を抱いていた。ガリガリに痩せこけているという様子も無い事から、食べ物は与えられているようだ。服装そのものもそれほど酷いものではなく、マメに交換している様子は見て取れた。現に、今ここに脱ぎ捨てられている服も、継ぎ当てだらけのボロ着に違いは無かったが、丁寧に洗濯されており、酷く汚れているという訳では無かった。
「……風呂は嫌いかね?」
「ううん、大好きだよ。でも、シャワーを使うと屋敷の人に見付かっちゃうから」
「雨が降った日に、コッソリ外に出て、身体を洗うの」
今の証言から、何らかの理由で、彼女たちはその存在を何かから秘匿するかのように、隠蔽されているという事実がハッキリした。屋敷の中に住んでいるにも拘らず、シャワーまで使用を禁止されるなど尋常ではない。では、一体誰が、どのような理由で彼女たちの存在を隠そうとしているのか……彼の疑問は深まるばかりであった。
やがて、すっかり綺麗になったその髪をタオルで拭きながら、二人が部屋に上がってきた。
「ほっほっほ……気持ち良かったかな?」
「うん!」
「これからも、入りに来ていい?」
「勿論だとも……ただ、この部屋にも専用のバスルームが付いて居る。お風呂が目的ならば、今度からはそちらを使うといい」
その発言に、えっ? と驚いた感じの表情を浮かべたリディアが質問した。
「え? あれ、お風呂じゃないの?」
「アレはプールじゃよ。ほれ、キチンと水着も用意しておいたのに、お前さん達ときたら……」
いかに幼いとはいえ、相手はレディである。目の前でホイホイと裸になられたのでは、さしもの老紳士・ボールドウィンといえども困ってしまう、という訳である。
しかし、当の本人たちはまるで気にしていないといった感じで、素裸のままで部屋の中をウロウロしている。これはレディとしての教育を、しっかりしなければいかんかな……と思いながら、彼は苦笑いを浮かべた。
「む……?」
「ん? なぁに?」
「ほっほっほ……なんでもないよ。さあ、そろそろ服を着ないと、流石に風邪をひいてしまうよ」
「あ、そうだね!」
彼はふと、髪を拭きながら微笑むテルシェの横顔に何か懐かしいものを感じ取り、思わず凝視していた。そして、そのモヤモヤとした思い出の正体に気付くと、一瞬驚いたような表情になり、狼狽した。が、目の前の二人に気付かれる前に平静を取り戻し、笑顔を作っていた。しかし、彼の胸中は複雑な思いに支配されていた。
(まさか……しかし、あの横顔は若い頃のデイジーにそっくりじゃ……他人の空似? いや、あまりに似すぎている)
ボールドウィンはテルシェの横顔に、今は亡き妻であるデイジーの姿を思い出していたのだった。アルバートの母である彼女の面影を、この子たちに見る……と、いう事は……?
「のぉ、お前さんたち?」
「え?」
「あ、いや……コホン。ジュースがいいかね? それとも、お茶にするかね?」
「ジュース!」
「ほっほっほ……よしよし」
思わず彼は、彼女たちに父親について何か知らされていないか、それを質問しそうになり、慌ててその言葉を喉の奥に引っ込めていた。今ここで、それを訊いて何になる……仮に、自分の想像した通りの事実がそこにあったとしても、目の前の彼女たちには何の関係も無いのだ、と。
(しかし……この仮定が正しければ、アルバートが圧を掛けている理由にも説明が付く……シンシアとの関係が順調でない事は分かっておったが、愛人まで作っておったとは……これはワシにも責があるな。些か抑圧しすぎたようじゃ)
ボールドウィンは、いつかその事について話をしなければならないな……と、心に決めていた。
********
双子の姉妹とボールドウィンの『密会』が始まって、二年ほど経過したある日。その日も、彼女たちは遊びに来ていた。が、最近は、単に遊びに来るだけではなく、教養を身につけるための訓練も兼ねるようになっていた。彼女達はただでさえ秘匿されている身の上、学校になど当然通えない。だが、幸いにしてこの屋敷には、たくさんの書物と……何より、博学な『友人』である、彼……ボールドウィンの存在がある。彼女達はまず、彼に『読み書き』を教わっていたのだ。
「お爺さん、今日はこれを借りて行っていい?」
「……その本はまだ、お前さんには難しいんじゃないか?」
「少し難しいぐらいで、ちょうどいいよ」
「……本当に熱心じゃのぅ。ルーファスの奴にも、見習って欲しいもんじゃ」
「あんなのと一緒にしないで!」
二人は声を揃えて、声に出した。息の揃った文句に、ボールドウィンは思わずプッと吹き出した。
「余程、あやつが嫌いとみえるな?」
「だいっきらい!」
「頭悪そうなくせに、偉そうで!」
「顔だって、シンシアおばさんに良く似て、嫌味っぽいし!」
彼女たちの言葉を聞いて、ボールドウィンは笑った。そして、稀にしか顔を見せに来る事のないルーファスよりも、目の前に居る二人の方を、本当の孫として堂々と扱いたい……と、彼は思うようになっていた。
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