§5
「……と。ちょっと。起きなよ。早く起きないと見付かっちゃうよ?」
「う、うーん……あ? あぁ、もう夜明けか。つい、ウトウトしちまったな」
「何で逃げなかったの? アタシの腕から服とナイフを抜き取るぐらい、簡単だったでしょ?」
「あいにく俺には、レディを裸に剥くような趣味は無いんでね。それに、もう袋のネズミ同然……諦めはついている」
男はパンツ一丁のままで胡坐をかき、両手を挙げて降参のポーズを取っていた。
「そういうアンタも、詰めが甘いって言うか。こういうシチュの時は、両腕ぐらい拘束するのがセオリーだろ。何でそうしなかった?」
「……逃げたいなら、逃げれば良かったんだよ。別にアンタを捕まえたって、何の得にもならないんだから」
不思議な奴だ……と思いながら、二人は互いの姿を眺めていた。そうするうちに、セリアの方がある事に気付き、赤面しながら顔を背け、男に衣服を返した。
「……逃げる気が無いなら、そんな格好にしておく必要は無いからね。ホラ、早く着なさいよ!」
「ん? あぁ、何だ。男の裸は見慣れてないのか……顔が赤いぜ?」
「うるさいっ!」
笑いながら、男は黒い繋ぎ服を纏った。しかし、全身真っ黒の姿は、まさに夜明けのカラス状態で間抜けであった。
「その、黒一色の格好……昼間だと却って目立つね」
「しょうがないだろ、夜中のうちに事を済ませる手はずだったんだから。逃走用の服まで用意しちゃいないしな」
「つくづく間抜けねー、アンタ」
「アンタじゃない、バーナードって名前がある」
ここで、男は自ら名を名乗った。それに対し、セリアはつい反射的に、自分からも名乗ろうとした。
「あら、これは失礼。バーナードさんね。アタシは……」
「セリアさん、だろう?」
「え? どうしてアタシの名を……?」
「夕べ、ドアの外まで来たキャンディスって子が、アンタの名を呼んだだろ。それで覚えたよ」
「あ、あのやり取りだけで!?」
「充分だよ。それより……」
と、バーナードが言いかけたとき、ノックの音と共に、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「おはようございます、セリア」
(ま……まずい! と、とりあえず……)
咄嗟に、セリアはバーナードの手を引いて、クローゼットの中に隠れるよう誘導した。そのリアクションの意味が分からず、バーナードは困惑した。が、彼女は至って真剣な表情だった。
「ふあぁ……おはようキャンディス。夕べはごめんね、起こしちゃったみたいで」
「いいんですよ。でも、らしくないですね?」
「……たまにね、昔の事を思い出して、夢に見るんだ。あまり良い思い出じゃないんだけどね」
「そうですか……あ、朝食の支度が整っていますので、ダイニングへどうぞ」
「ありがとう、着替えたらすぐ行くよ」
程なくして、洗濯籠を持ってキャンディスが退出していくのを確認すると、セリアはバーナードをクローゼットから引っ張り出した。
「昨夜もそうだったが……何故、庇ったんだ?」
「わかんないよ……気が付いたら、アンタを隠してたんだ。ホント、どうしちゃったんだろう?」
「……まぁいい、早く行けよ。モタモタしてると、怪しまれるぞ?」
「そうね。で、あの……ちょっとの間、あっち向いててくれると嬉しいんだけど」
「どうせ、夕べ全部見て……分かった、わーかった!! 言う通りにするから、銃は下げてくれ!!」
うっかりジョークも言えないのか……と、顔を蒼くするバーナードに対して、セリアは耳まで真っ赤にして狼狽していた。夕べの失態は、彼女にとってはかなり重大な事だったらしい。まぁ、事故とはいえ、16になろうかという年齢の乙女がショーツ一枚の恥ずかしい姿を見知らぬ男に見られたのだから、無理からぬ事ではあったのだが。
程なくして、セリアは着替えを済ませ、平静を装って朝食を摂りにダイニングへと姿を消した。そして、ポツンと一人、部屋に残された夜明けのカラス……もとい、バーナードは、無造作に放置されていた彼女の拳銃や、自らが携えていたナイフをぼんやりと眺めながら、このままこれらの武器を奪い、脱出する事は簡単なんだけどな……と考えていた。だが、何故か彼は、そうする気にならなかった。
(あの娘、何で俺を庇ったんだろう……?)
それは、彼がこの部屋に忍び込んで、セリアに捕まった時からずっと考えている事であった。普通の女の子なら、窓から賊の侵入を許した時点で、悲鳴を上げて助けを呼ぶだろう。しかし彼女はそれをせず、つい先刻も賊である自分を庇った。彼はその行動の意味が分からず、非常に困惑していた。そしてその頃、セリアも全く同じ事を考えていた。
(どうしてあの時、あの男を突き出さなかったんだろう……って言うか、この後どうすれば……)
とにかく、匿ってしまった事実はもう覆らない。だとしたら、一人で隠し通して窮地に立つより、協力者を得て打開策を用意する方が良いだろう。そう考えたセリアは、思い切ってキャンディスに打ち明ける事にした。そして食事のあと、部屋に戻った彼女からその考えを聞いたバーナードは、あんぐりと口をあけたままの格好で固まってしまった。
「……どうして、そういう結論になったんだ?」
「だから、わかんないんだってば……とにかく、もうすぐメイドのキャンディスが掃除をしに来る。最初は隠れてて。いい?」
「あぁ、いいけどさ……なぁ、何度も言うようだけど。何で俺を突き出さないんだ?」
「わかんないって言ってるでしょ!! それに今更、もう遅いってのよ! 一晩匿っちゃった事実は、もうひっくり返らないの!」
語気は荒いが、怒っている風でもない。不思議な口調だった。しかし、声を発している本人にすら、その思考に至った理由は分からなかった。と、そうこうしているうちに、キャンディスがやって来た。
「セリア、掃除の時間ですが……入っていいですか?」
(来た!)
(あ、あぁ……)
ノックと共に、キャンディスの声が聞こえた。それと同時に、バーナードは手はず通りにカーテンの陰に姿を隠した。
「いいよー」
いつもと同じ、軽いノリで、セリアはキャンディスを招き入れた。しかし、内心はドキドキだった。
「……どうしたんです? 何だか顔が赤いようですけど」
「あ、あのねキャンディス? そのぉ……ビックリしないで欲しいんだけど……」
「……な、何です? あ、さては……拾ったネコをここに匿ってるんじゃないでしょうね?」
「惜しい! いい線行ってるよ……ホラ、出といで!」
そう言われて、渋々とカーテンの陰からバーナードが姿を現した。その顔は、実に面白くなさそうだった。
「……やれやれ、野良猫と同じ扱いかよ」
「……!!」
キャンディスは予想通りのリアクションで、口をパクパクさせたままの格好で硬直した。だが、その直後の行動は抑えなければならない。申し合わせた通りに、悲鳴を上げる直前だった彼女の口を、素早く背後に回り込んだバーナードが左手で塞いだ。そして残る右腕で、華奢な体をがっしりとホールドすると、案の定というか……彼女は涙目になって、ジタバタと暴れ始めた。
「むーっ、むーーっ!」
「なぁ、俺メッチャ悪い事をしてるみたいなんだけど」
「そりゃー、まぁ……ってキャンディス、ゴメン! お願いだから大声を出さないで、これには訳があるんだ!」
そうして暫く涙目でジタバタと暴れていたキャンディスだったが、両手を合わせて必死に『ゴメン!』を繰り返すセリアの姿を見て、漸く大人しくなった。
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