§5

 その頃、備蓄の食糧も底をつき、空腹から苛立ちもピークに達した双子は、本気でナディアの行方を追い掛ける手立てを考え始めていた。

「あの女、働いている場所については頑なに口を割らなかったね」

「でも、ここから歩いて通える距離だよ。たかが知れてるよ」

 二人はまず、ナディアの姿を見つける事から始め、その後にジックリと仕置きを施すつもりであった。だが、貴重な労働力が消えてしまうのも、まずい。死なない程度にいたぶって、また働いてもらわなければ自分達が困る事になる。その辺を考慮する余裕は、まだ辛うじて残されていた。二人はまず、徒歩で通勤可能な範囲に的を絞り、二手に分かれてしらみ潰しに捜索する事にした。

「テルシェ、貴女は街の北側をお願い。私は南側から探すわ」

「ラジャ。もし見つけたら、ねぐらまで追跡してOK?」

「OKよ。ただし、単独では手を出さない事。何か隠し玉があったら、ダメージ食うのはこっちだからね。いい?」

「当然!」

 二人の悪辣な行動は更にエスカレートし、せっかく幸せを取り戻そうとしているナディアに対して、再び暗雲を立ち込めさせる原因を孕んだ作戦は、今まさに実行に移されようとしていた。


********


(……ぼくたちから逃げようだなんて、甘いんだよ)

 こちらは、北側に向かって捜索を始めたテルシェ。彼女はリディアよりも短絡思考であり、思った事をすぐに実行に移してしまう、いわゆる『手の早い』タイプであったため、こちらに見付かればナディアはまず物理的な報復を受け、その後で更に吊るし上げを喰らう事になるだろう。

 彼女たちは街に出るときの事を考え、少女館を出る時に身に付けていた衣服は汚さぬよう、大事に保管しており、今日はそれを着けて外出していた。入浴が侭ならないため、ややボサボサになりつつあった髪は大判のハンカチで覆い隠していたのだが、それが変装の役を果たし、遠目には彼女だと気付かれにくい格好になっていた。

(こんな狭い街、すぐに調べ尽くせるよ。それに、あいつが着ていた服は良く覚えてる。あれはどう見ても、食べ物屋の服だ……)

 清潔感を演出する白いエプロンに、頭には三角巾。その姿は看護婦にも通じるものがあったが、ナディアは医療関係の経験は持っていないはず。ならば飲食店関係か食料販売店のどちらかだ……と目星をつけ、テルシェはそれらしき店をシラミ潰しに見てまわった。

(あらー? あの子達……とうとう痺れを切らしたか)

 先程、店に向かう途中のナディアたちを覗き見ていた二人のうちの片方が『上空から』テルシェの姿を発見していたが、いま眼下にいる彼女の捜索担当範囲は的外れであったため、まず成果は上げられないだろうと予測し、そちらは無視した。むしろ、まずいのはもう片方……と、その目線を街の反対側に向け、その影は双子の片割れ……リディアを探して飛び去った。


********


(見付けても、まずは焦らずに尾行してやる……こんな行動に出るからには、絶対に協力者が居るはず。そいつもろとも……)

 一方のリディアは、偶然ではあったが、既にパン屋の付近にまで到達していた。その洞察力は鋭く、チェスターの存在も予測して、彼をも報復の対象として見ていた。自分達の労働力を横取りするなら、そいつは敵……こういう図式である。テルシェよりはまだ理性的な彼女ではあったが、やはり双子。行き着く結果にはそんなに大きな違いは無かったのである。むしろチェスターをも巻き込もうと考え至ったリディアの方が、テルシェよりも悪質であると言えた。

「あー、そこの嬢ちゃん! ……そう、君だよ、君! 他に誰が居るんだい!」

 唐突に男の声に呼び止められ、リディアは一瞬思考を停止させた。その男は露店商人であろうか、目の前に敷いた敷物の上に何やら色々と物を並べ、道行く人に声を掛けてはそれらを勧めているらしかった。

「……急いでいるので」

「まぁまぁ、そう言わないでさ。慌てる乞食は貰いが少ないって言葉、知らない?」

 その男の勢いに、リディアは困惑の色を示した表情になった。普段は無表情を崩さず、常に冷徹なイメージを保持していた彼女のこの反応は極めて珍しかった。

 素通りしても良かったのだが、リディアは何故かその足を止め、吸い寄せられるようにその男の前に近寄った。並べられた品々に目を落とすと、どれも個性的で、一見すると商品には見えない物すら並んでいた。

「……何屋さんなのですか?」

「何でも屋さ、ここに並べてあるのは商品のほんの一部。まだまだ色々あるんだよ、見てみるかい?」

「いえ……」

 『結構です』と言い掛けたが、目の前の男は既に怪しげな瓶やら袋やらを取り出し、嬉々としていた。そんな彼を見て、リディアは益々困惑した。彼女は先を急いでいたし、何より、お金を持っていない。勧められても買い物は出来ないのだ。

「あの、私……申し訳ないんですけど、お金が……」

「あぁ、いいんだよ。俺が商品の代価として貰うのは、お金だけじゃないんだ」

「え?」

「そう……価値のあるものは、何もお金だけじゃない。その人が大事に思っているものと交換で、品を渡す事の方が多いのさ。そしてそれは、物理的なものだけではない……そう、ハートよ、ハート!」

「……?」

 リディアの表情に、段々と焦りの色が見え隠れし始めた。この人、何を言ってるんだか分からない……第一、本当に商人? お金は取らず、気持ちだけで商売が成り立つ? そんな訳ないじゃない……と、彼女の持つ常識の遥か斜め上を行く彼の言動は、懐疑心を通り越した、恐怖にも似た感情を芽生えさせるのには充分であった。

「すっ、すみません、失礼します……!」

 彼の言動を理解できず、徐々に怯え始めたリディアは、遂に踵を返して男の店から離れていった。そしてその様を、彼は悠然とした表情で見送っていた。

「あーっ、ちょっと! なに逃がしてんのよ、居待!」

「……カエデか? 俺はもう『居待』じゃねぇ、リチャアムだ」

「そんな事、どうでもいい! あの方向は……」

「大丈夫だよ。あのご婦人なら、今しがた店を出て行った。配達にでも行ったんだろ。いま店内には、旦那しか居ない……つまり、このタイミングで偵察させれば、あの店はターゲットから外れる。かえって好都合なのさ」

 ニヤリと笑うその鼻先に、ふわふわと宙に浮いたまま人指し指を付き立てた格好で固まる、カエデと呼ばれた和服姿の幽霊。このコンビは長年の付き合いであるらしく、互いに対する扱いにも遠慮は無かった。

「ふん……あぁ、もう片方のお嬢ちゃんも、街の反対側を探し回ってたよ?」

「んー? まぁ、大丈夫だろ。狭いとはいえ、これだけ人の多い街だ。特定の人間一人、そう簡単に見付かるもんじゃねぇさ」

「楽天的だねぇ……もしもの事があったらどうすんのよ?」

「そん時はそん時……あの小娘達を止める手なんて、幾らでもある」

 大きく伸びをしながら、能天気な発言でカエデを益々焦らせる男――リチャアム。

「ったく……それにしても、不思議な『気』を放つ奴らが多いねぇ? この街は」

「この街だけじゃねぇよ。ひょっとしたら、この世界を包む空気そのものが、何か変な流れになってるのかも知れねぇぞ?」

「んー……それはいいとしてさ、さっきのおチビちゃん、放っておいて良いの?」

「平気、平気。例えあのご婦人を見つけても、手出しが出来ないようにまじないを掛けておいた」

「……おチビはあの子だけじゃない、もう一人居るんだよ?」

「だからぁ、心配すんなって。手は幾らでもあるって言ったろうが」

 能天気に、商品と思しき卵のようなものを丁寧に磨いている彼を呆れ顔で見下ろし、カエデは思わず溜息をついた。

「しかし、何であのパン屋の女にそこまで肩入れするんだ? カエデよぉ」

「えー? だって、同じ女として同情しちゃうじゃないのさ、あの境遇を見れば……」

「やれやれ……10年ほど前にフランスで何を見てきたか知らないが、随分と人情に脆くなったもんだねぇ、オマエさんも」

「あら、聞きたい? アタシが出会った、とっても可愛い男の子のお話!」

「……後にしてくれ、あの小娘の気配を追えなくなる」

 何だかんだで、アンタも相当肩入れしてるじゃん……と、リチャアムに対して笑みを浮かべたあと、彼が先程無視した片割れ……テルシェの動きを監視するため、彼女は再び飛び去った。

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