§3

(つまらない……連れて来られた時には、もっと面白い事が起こると期待していたのに)

 時々、マナー講習のような授業がある他は、勝手気ままに屋敷の中で過ごすか、許可を得て近所に買い物に出るだけの生活。幾ら将来が保証されているとは言っても、自分にとっては退屈そのもの。ここに来る以前の貧困時代の方が、まだ毎日の生活に緊張感があって、楽しかった……リネットは、『少女館』での暮らしを斯様に評価していた。

 そもそも彼女は『少女館』に来るまでの人生において、強盗被害や性的暴行など数々の悲劇を体験しており、その結果、他者との接触が苦手となっていた為、集団生活そのものに抵抗があったのだ。そこに、連日のように繰り返されるエイミのドジぶりが重なって、彼女は最早ストレスで心を押し潰されそうになっていた。

(でも……買い手が付かない限りは、ここから出て行く事は出来ない……と言って、猫を被るのも嫌。ああ、自由になりたい)

 彼女も、他のメンバーと過去は似たようなもので、極貧のスラム街で暮らしているところを人身売買の一味に攫われ、その後メイヤーに買われた中の一人だ。彼女達が『仕入れられて来る』ルートには幾つかのパターンがあったが、そのうちの一つが、彼女のような『人身売買業者からの買い付け』なのである。最も確実で、リスクの少ない手法であるためか、同じルートでここに来た少女は多い。そしてその大半は『少女館』での生活に満足し、悠々と暮らしているのだが……彼女のような異端の者も、少数ではあるが存在するようであった。

(脱走……無理ね。リディアたちが二階から飛び降りて逃げ出したって聞いたけど、私にあんな真似は出来ないし)

 あれこれと、この館――『少女館』から抜け出す方法について思考を巡らせるリネットであったが、なかなか良いアイディアは浮かばない。外出中の隙を突いて逃げ出しても、それは一時的なもの。追っ手がついて、直ぐに見付かってしまうだろう。それを考えると、衛兵に捕まる事もなく、見事に逃げ遂せたあの双子は、なんと身軽で要領が良いのだろうと、改めて感心するほどであった。

(……考えていても仕方が無いわね。憂さ晴らしに、少し街を歩いて来ようかな。少しは良い考えも浮かぶかも知れないし)

 開いていただけで、その紙面には視線すら落としていなかった本をパタンと閉じ、リネットはエイミを呼びつけた。

「おっ、お呼びですか?」

「街に行きたいの。メイヤーにそう伝えてくれる?」

「わ、分かりました!」

「どうでもいいけど、アナタ声が大きすぎるのよ。元気なのは結構だけど、もう少し何とかならない? 煩くて仕方が無いわ」

「はい、スミマセン……」

 最後の一言が胸に突き刺さったのか。エイミは肩を落としながら、用件を済ませるために退出していった。閉じられるドアを一瞥すると、リネットは大袈裟に溜息をついて、いかにもつまらなそうな仕種をしてみせた。誰も見ていないというのに。

 暫くすると、エイミと一緒にメイヤーがリネットの私室を訪れた。外出前の『儀式』である。

「外出を希望しているようだが、用件は何だね?」

「気分転換と、ちょっとした買い物よ」

「既に知っている事と思うが、お金はメイドに持たせる。買い物の金額に上限はつけないが、度を越した高額な買い物はしないように。いいね?」

「分かってるわよ、何が欲しいっていう訳じゃない……ただ、外の空気が吸いたいだけだもの」

 当然、この外出にも同行する事になるエイミの姿を一瞥し、リネットは『ハァ……』と溜息を吐いてみせた。その仕種を見て、エイミは『あぁ、完全に嫌われてるなぁ』と、また自信を失くしていく。だが、彼女は先程ダニエルから受けた言葉を思い出し、ニッコリと微笑みながらリネットを促した。

「お供いたします。さあ、日が暮れてしまいますよ!」

「……言われなくても分かってるわよ。それより、その大きな声、何とかしてって言ったでしょう?」

「あ、スミマセン……」

 エイミはどうも、自分を鼓舞する際には大声になってしまう癖を持っているらしい。指摘されれば一時的に気を付けるのだが、時間が経つと、どうしても元に戻ってしまう。まぁ、癖というものは得てしてそういう物であるが。

「ではメイヤー、行ってまいります」

「日没までには戻るように……いいね? 彼女を守るのも、君の仕事の一つなのだから」

「はい!」

 メイヤーの注意にビシッと返事をしたあと、エイミはサッと踵を返して、先を歩くリネットの半歩後に位置を取った。

 外は既に木枯らしの舞う、肌寒い時期になっていた。門前を守る衛兵達も、気をつけの姿勢は保ってはいるものの、カチカチと歯を鳴らしている者も少なくはない。

「やぁリネット、外出かい?」

「……まあね、気分転換よ」

 声を掛けてきた門番――バーナードの声をも軽くあしらう感じで、いかにも面倒臭そうに返事をするリネット。そんな彼女の態度をフォローするかのように、エイミが代わって挨拶をした。

「こんにちはバーニィ! 寒い中、大変ね」

「なぁに、これが仕事だからね。交代が来たら、ダニーのところに行って、何か温まる物でも作ってもらうさ」

「あら、キャンディス先輩の手を握るだけで、暖かくなるんじゃないの?」

「……!! ま、マセた事を言うんじゃない!」

 図星を衝かれ、バーナードは赤面した。彼は配属されたばかりの新米の衛兵であったが、その採用の経緯の中で恋仲となったキャンディスとの間柄は、もはや屋敷の中で知らぬ者は居ないほど有名であった。

「はっはっは! 一本取られたな、新米!」

「せ、先輩! からかわないでください!」

 門の反対側に立つペアの衛兵が、そのやり取りを聞いて冷やかしを入れて来た。その顔は笑って居たが、目が笑っていない。恐らく彼も、密かにキャンディスに目をつけていた中の一人だったのだろう……そんなやり取りが為されている間、すっかりその存在を忘れ去られていたリネットが、痺れを切らせたかのように急き立てた。

「いい加減にしてくれない? 私、早く出掛けたいんだけど」

「あっ、す、スミマセン……じゃあバーニィ、またね!」

「ああ、気をつけてな」

 リネットの後を、パタパタ走って追い掛けるエイミの後姿を見送りながら、バーナードは直立不動の姿勢に戻って任務を続けた。そして、彼もまたエイミに対し、『頑張れよ』とエールを送るのだった。

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