§9
「……帰って頂戴」
開口一番。リネットを訪ねて街までやって来たセリアと、随伴するキャンディスを迎えた言葉がそれだった。
「想像通りですね」
「あぁ、見事にな。期待を全く裏切らねぇ、清々しいほどのリアクションだぜ」
どうやら、一筋縄ではいかない事は既に分かっていたようで。訪ねて行った二人は、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。因みに、靴磨きの客を装っての訪問なので、周囲への目配りにさえ気を付けていれば盗聴される心配はない。ただ、肌を突き刺すような冷たい風の中で、キッチリとコートまで着込んだセリアたちと、粗末な衣服でカタカタ震えながら応対しているリネットとの間に、明らかな『壁』は存在していたようだが。
「寒そうだな、ん?」
「放っておいて。こういう事も全て含めて、アタシはこの暮らしを望んだの。今更戻れと言われたって、それは無理な相談よ」
これまた、お約束な展開であった。が、受ける側であるセリアとキャンディスにも、それは充分に分かっている事だった。
「リネット、貴女はそれで良いのかも知れませんが……それはごく個人的な満足に過ぎないんですよ」
「そうだぜ。お前はお前、あの子はあの子。それぞれに都合もあれば、歩んでいく人生そのものも違うんだ。外身だけ入れ替えて、ハイおしまい……なんて訳にはいかねぇんだよ」
その『当たり前』の説教を聞いてなお、リネットは強硬な態度を崩そうとしない。曰く、『こんなに広い世の中で、たった二人の人間が入れ替わったところで、どれほどの影響がある』という持論があるようだ。
「……さ、いつまでもアンタの靴を磨いてる訳にもいかないのよ。ほら、早くどいて。そして、二度と来ないで頂戴」
やれやれと言った感じで、セリアたちはその言葉を受け止めた。が、これもまた想定の範囲内であったためか、軽く受け流すことが出来たようである。ともあれ、一回や二回で攻略できるほど、簡単ではないという事を再確認して、その場は引き揚げる事になったようだ。
「邪魔したな。さ、行くぞキャンディス」
「では、ごきげんよう……ヴァネッサさん」
ふん、と鼻を鳴らしながら、リネットは立ち去っていく二人の姿を目で追っていた。冗談じゃない、せっかくあの館から抜け出せたのだぞ……と。彼女――リネットにしてみれば、少女館での生活はそれほどに苦痛なものだったのだ。と、そこへ……
「あ、ヴァネッサちゃん」
「……? 何ですか、アメリアさん」
宿主の夫人が、ヴァネッサ宛に届けられた手紙を持って、カウンターから出てきた。
「手紙が届いてるよ。クラリスって……友達?」
「有難う、あとで読むわ」
勿論、リネットにはその差出人が誰なのかは分からない。が、この手紙をこのまま破り捨ててしまうのも拙い、というモラルは流石にあったのか。彼女はその手紙を持って、セリアたちの後を追った。
「ちょっと……これ、あの子のらしいわ。アタシが読んでも仕方のないものだし、届けてあげて」
「……こういうやり取りが、頻繁にあるとしたら……リネット、そのたびに報せてくれるのですか?」
「知らないよ。今回は偶然、アンタらが近くに居たからね」
そう言って、リネットはまたホテル前まで戻っていった。本当に、少女館へ戻るつもりは微塵も無いようである。
「ったく、あれだから友達出来ねぇんだよな」
「あら、貴女がそれを言います?」
「アタシは……ああまでドライには成れねぇよ」
そうですね……と、笑みを湛えながら、キャンディスは封書の差出人を確認した。クラリス・ベーカーという名の女性らしい。
「ヴァネッサさんの、お友達も……彼女は無視してしまうつもりなのかしら」
「だとしたら、悲しすぎるよな。何とかしなきゃいけねぇのは、分かってるんだが……くそっ、歯がゆいぜ!」
「メイヤーに見つかる云々、以前の問題ですからね。そんな簡単に、自分の人生を他者のものと……あってはならない事です」
そう。その思い付きによって、変わるのが自分自身だけならば、誰も文句など言いはしないだろう。しかし、それによって本来の軌道から外れた人生が出来てしまう事を、彼女はどう考えているのか……そんな思いを胸に抱きながら、セリアたちは風の舞う街の中を歩いていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます