§10

 その頃。極力他の娘たちとの接触を避けるため、部屋に籠らざるを得なくなっていたヴァネッサの傍を、エイミがウロウロとするという、不毛な図が屋敷の中で展開されていた。

「……落ち着かないものですね」

「それは、その……仕方ないんですけどね。メイヤーに知られては拙いから、こうしてジッとしているしか無くて」

「私が上手く、演技できるように……それは違うんですよね。そんなの、皆さんなら直ぐに見破るでしょうから」

「いや、それは無いと断言できますけどね。リネットが自分から進んで、他者とのコミュニケーションを取ろうとしたことは、今まで無かったと聞いてますし。逆に、他の……言ってて悲しくなってきますね」

 はぁ……と、再び静寂が彼女たちにプレッシャーを与えた。セリアたちがリネットを訪ねて外出している間、ずっとこれの繰り返しなのだ。何度ため息を洩らしたか、知れたものではない。

「……ヴァネッサ、付いてきて。ずっと部屋の中に居たら、滅入っちゃいます」

「え? でも、拙いのでは?」

「大丈夫、とっておきの場所があるんです」

「……?」

 エイミは、キョロキョロと周囲を見回した後、ついて来いというサインを出してヴァネッサを誘導した。成る程、口さえ開かなければ、周囲には彼女がリネットではない事は分からない。あとは、話し掛けられた時のリアクションが懸念されるところだが……それはまず心配ないだろう。

「ダニーさん、いますかぁ?」

「ん? おお、エイミか。どうした、今日も……リネット?」

「あ、こ、こんにちは……」

「こんに……おいおい、雨に降られちゃ困るんだがなぁ」

 ああ、想像通りのリアクションだなぁ……と、エイミは笑った。そして彼女は、この一両日の出来事を知る者は本当に限られているのだな……と改めて確認し、胸を撫で下ろしていた。

「ダニーさん、口は固いですよね?」

「お? おぉ。自慢じゃねぇが、このダニエル。人様の秘密をバラした事は一度だってねぇぜ」

「……と、云う訳なの。安心して大丈夫ですよ、ヴァネッサ」

「え? ヴァネッサ、って……まさか!?」

「はい。初めまして……ヴァネッサ・ガーランドです。色々あって、このお屋敷にお邪魔しています」

 それを知らされたダニエルは暫し絶句していたが、エイミからの説明を聞いて『それはそれは』と頷いた。そして、事情が分かれば難しい話ではない。彼はニッコリと笑い、黙って茶の支度を始めた。

「誰も、来ないのですか?」

「あぁ、此処は俺の独壇場だ。メシ前の忙しい時間帯だと、こういう訳にはいかねぇんだが。あとのコックは皆、めいめいに休んでる」

「だから時々、おやつを貰いに来るんです」

「時々? 嘘はいけないよ、エイミ」

 ケラケラと笑うダニエルに、頬を膨らませたエイミが食って掛かる。そんな彼らを見て、ああ、これが彼女たちのコミュニケーションなんだなぁ……と、ヴァネッサも釣られて笑みを零した。それは屈託のない、極上の笑顔だった。

「リネットが笑ったトコなんて、見た事ないからなぁ……ふぅん、勿体ねぇなぁ」

「でしょ!? ……まぁ、でも。あれがあの人の心根なら……仕方ない事なのかも知れないですけどね」

「…………」

 それを聞いたヴァネッサは『ああ、リネットという人は、なんと可哀想な人なの』と、思わず目を伏せてしまった。が、その仕草もまた、それを見ていたダニエルたちには、滅多に見られないレアシーンとして映り、それが益々リネットという人物像の残念さを誇張していった。

「はい、お待ちどう。即興で済まねぇが、こんなもんで良いかい?」

「キャーっ! これこれ! こうして、溶かしバターを掛けて食べるんです!」

「……! お、美味しい……今までのお食事は殆ど味も分からないまま食べていましたが、なんて勿体ない事を!」

「はっはっは。お褒めに与り光栄の至り、ってトコかな。ま、ゆっくり食べてって」

 照れ笑いを浮かべながら、ダニエルは自分のティーカップに口を付けた。そうして一時間も過ごしたであろうか、夕食の支度に掛からねばならないタイミングになるまで、ヴァネッサはエイミと一緒に、暫しの寛ぎを楽しんだ。

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