§3
セリアは、少女館に来る前は、場末のバーのホステスとして働く母親との二人暮らしであった。貧しくも、懸命に生活を支える母の姿は、今も彼女の記憶にしっかりと残っていた。父親の顔は知らなかった。生まれた時からずっと母と二人きりだったからだ。そして、その店を経営し、調理師兼バーテンダーを務めていたのが、ダニエルだった。
彼女は要領が良く、頭の良い子だった。飲んだ酒の量を誤魔化す客に、数え間違えてるよ? と笑顔で訂正を入れるのはいつも彼女の役回りだった。それをダニエルがやれば喧嘩になるところだが、彼女に指摘されたのでは笑うしかない。そうやって、店のトラブルを未然に防ぎながら、彼女は『オトナの世界』というものを、幼いうちから体験してきたのだ。
母が病に倒れ、そのまま還らぬ人になったのは今から5年ほど前。孤児となった彼女を迎えたのは、スラムの冷たい風だった。守ってくれる者も、寒さを凌ぐ家も無かった。ダニエルが面倒を見ると申し出たのだが、彼一人でも苦しい生活だと分かっていたからか、自ら身を引いたのだった。そして彼女は、必死に身を守りながら、大人でも滅多に体験する事のない人生の裏道を、ひたすら歩んで生きてきた。
無論、セリアの身体を目当てに、襲い掛かる男も少なくは無かった。が、彼女は逃げ延びた。母が最後に遺した、一丁の拳銃を常に携えていたからだ。発砲せずとも、銃身をチラつかせれば、男は腰砕けになって逃げていった。彼女はその銃を使って、強盗を企てようとは思わなかった。スラムに生きる者は皆、懸命に自らの糧を得て生きているんだという事を分かっていたから。それを強奪する事は、最大のタブーだという事を知っていたから。そんな事を教えてくれたのも……他ならぬ、亡き母だった。
「ママ……ママ!?」
セリアは自らの寝言に驚いて、目を覚ました。彼女の身体は寝汗でベタベタだった。
「また、ママの夢か……もう5年も経つのに、情けないったら……」
14歳になった彼女は、母親の働いていたバーに舞い戻り、ホステス見習いとして働き、生計を立てていた。が、母親の居たころと違い、客も入らず、店が潰れるのも時間の問題という感じであった。そこに現れたのが、メイヤーであった。
「あの男、偶然店に来たにしては、用意が良かったよな……アタシの事も知ってた感じだったし」
汗で濡れたネグリジェを脱ぎ捨て、洗濯籠に放り込みながら、彼女はメイヤーに拾われた日の事を回想していた。メイヤーは、カウンターで暇を持て余しながら燻っていたセリアの横にそっと座ると、前置き無しで、いきなり商談に入ったのだった。が、彼女は、恩義のあるこの店を放って自分だけが貧困から脱出する訳には行かないと、一度は申し出を断った。しかし次の日、メイヤーはダニエルも一緒に面倒を見るからと、改めて商談を持ち掛けて来たのだ。こうなれば、彼女にとっては断る理由も無い。その日を最後に二人は店を畳み、ダニエルは厨房へ、セリアは磨き上げられて商品として、それぞれに少女館に迎え入れられたのである。
「……今夜は月が細いな。こんな日は、外に出るのは危ないんだよね」
そんな独り言を言いながら、新しいショーツとネグリジェをベッド上に並べ、いざショーツを脱ごうとした、その時……
「……!?」
突然、バルコニーにサッと人影が舞い降りて来た。カーテン越しにであったが、それが長身の男性の物だという事は分かった。そして、その人影は窓をガラス切りで切断し、鍵を外して、屋内に侵入してきた。セリアはベッドの影に身を隠し、母の形見の拳銃を構えて、男が屋内に入りきるのを待った。
「動くな! 動けば撃つ!!」
「……!!」
無人と思って油断していたのか、男は無防備だった。そこに、発砲宣言をされたのだから堪らない。背を向けたまま、彼は両手を上げ、抵抗の意思が無い事を示した。
「よーし、ゆっくりとこっちを向くんだ」
「……!!」
男は渋々とセリアの方に振り向き、ゆっくりと目線を上げた。が、何故か彼は慌てて顔を背け、回れ右をしてしまった。
「どうした!? 言う通りにしないと……」
「い、言う通りにして……ホントにいいのか?」
「え? どういう意味……」
と、そこまで言って、セリアは漸く、自分が今どういう格好だったのかを思い出したのだった。そう、彼女は着替えの途中……身に付けているものはショーツ一枚のみ。これの意味するところは、ただ一つである。
「み、見たのか!?」
「見えたから、また後ろ向いたんだろ! こ、このままジッとしてるから、早く何か着てくれよ!」
「……ッ!」
小声で、それでいて鋭いやり取りが展開された。大声を出せば周囲に感づかれるからである。このようなパニック状態の中で、悲鳴を上げなかったセリアは流石と言えた。が……
「セリア? 声が聞こえたので来てみたんですけど……どうしたんですか?」
「あ、あぁ、キャンディスか? なんでもない、ちょっと悪い夢を見てな……着替えの途中だから、開けないでくれるか?」
「あら、それは失礼……じゃ、洗い物は籠に入れて置いてくださいね。では、おやすみなさい」
ふぅっ、と二人は胸を撫で下ろした。セリアはショーツを替え、ネグリジェを着なおして、更にカーディガンを羽織って体裁を整え、改めて男にこちらを向くよう命じた。
「……とんだ所に忍び込んじまったようだな。まさか銃で武装しているとはね」
「それより、レディの寝室に忍び込んだ罪悪感は無いのかしら?」
「ハッ! いきなり人に銃を向けるレディが何処に……」
と、そこまで言ったところで、男の台詞は途切れた。セリアが銃の台尻で、彼の後頭部を殴打した為である。
「……何故、庇った? 突き出すことも出来ただろうに」
「知らないよ、咄嗟の事で……い、痛かったか?」
「別に、これ位……どうってこと無い」
男は手を挙げた格好のまま、小声でやり取りを続けた。そして、セリアはサッと軽いボディチェックを行い、彼の携行品が護身用のナイフ一本と、先程のガラス切りだけである事を突き止めると、それを取り上げ、彼の拘束を解いた。
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