夢の軌跡
県 裕樹
第一話『黒い胎動』
§1
「ねえ、リディア」
「なに?」
彼女は、傍らに居る自分とそっくり同じ顔をした少女に問い掛けていた。
「ここも、あの家とあんまり変わらないね」
「そうだね……結局、どこに行っても同じって事……なのかな?」
彼女たちは、石造りの床の上に直に腰掛け、二人で一枚の毛布を被って身を寄せ合いながら、互いの体温で暖を取っていた。目の前にある鉄製の格子はとても丈夫で、彼女たちの力で逃げだせるようなヤワな物ではない。そんな、牢獄と言っても差し支えの無いような場所に、一部屋につき4~5人の女が押し込められていた。皆、この先の人生に絶望しているのか……膝を抱えて、光の宿らぬ瞳で虚空を仰いでいた。
「ちょっかい出してくる馬鹿が居ないだけ、ここの方がマシかもね」
「いただけないのは、床が固すぎる事だね……お尻が痛くてたまらない」
もぞもぞと、リディアが少しずつ座る位置をずらしながら苦痛を和らげようと試みた。そんな事をしても、少しも状況が変わらない事は彼女にも分かっているのだが、無意識に身体が苦痛に抵抗してしまうのだろう。そんな様子を見て、テルシェは思わずクスッと笑った。
「ソファーが欲しいとまでは言わないけど、せめてカーペットぐらいは用意して欲しかったな。仮にもぼく達は商品なんだから、取り扱いはもっと丁寧にしてもらいたいもんだよ」
「そうねテルシェ……ねぇ、買われて行くとしたら、どんなところが良いかな?」
「興味ないよ、どこに行っても同じ……それに、結局は逃げ出すんでしょ? あの時と同じように……」
「うん……そうだね。私達は、もう何者にも縛られない……」
そんな事を話しながら、美しい容姿を持った双子の姉妹は、ぼんやりと虚空を仰いでいた。
********
時は13年ほど遡る。場所はとある名家の屋敷の中。
「シンシアは何処にいる?」
「はっ、はい、旦那様……奥様は今夜、ご友人の招待でお出掛けになっておられます」
「……あいつは一体、何をやって居るのだ……ここ数ヶ月、夜中に自分のベッドに居たためしが無い」
屋敷の主であるアルバート・クロムウェルは、傍らに居るメイドに妻の居所を尋ね、またか……といった感じでこめかみを押さえた。しかし、それも格好だけといった感じで、その態度や表情には既に深い感情は篭められていなかった。
「そもそも、あいつとの結びつき自体が家同士で定められた物だったのだ。愛情など無い……あいつもそう思っているのだろう。家に居るときは不機嫌そうに過ごし、夜になると出掛けていく。私の元に居るのが面白くないのだ」
「旦那様、そんな……奥様にも、何かお考えがあっての……」
「ナディア……もう良い。すまんがお茶を淹れてくれないか? ダージリンにレモンを添えて、私の書斎に持ってきてくれ」
「かしこまりました、すぐにお持ち致します」
その返答を聞くと、彼は身を翻して書斎へと向かった。
政略結婚とでも言おうか。彼ら夫婦は、名家同士の血統を更に磐石な物にするという目的で、望まぬ縁談によって無理やりに結び付けられたのだった。その出会いにロマンスがあった訳でも、互いに惹かれあって結ばれた訳でもなかった。
(……私とて、一人の男として、情熱に満ちた恋愛の一つも体験してみたかった。家同士の結びつき? ふん! このつまらぬ人生の何処に、私自身の意志があると言うのだ)
幼い頃から厳格に育てられ、学校で友人を作っても教育係である使用人の目に適わなければすぐにその仲は裂かれ、いつしか彼に近づく学友も居なくなった。そんな少年時代を送った彼に、まともな恋など出来よう筈も無かった。
そんな彼にも、理想とする女性像はあった。ありていに言えば『好みのタイプ』という奴である。が、見合いによって導かれた相手は、彼の理想とは掛け離れた外見と思想を持った女性であり、それが今の夫人……シンシアであった。
ふと彼は、あるドアの前で足を止め、軽くノックをして返事を待った。
「はい?」
「私だ、アルバートだ」
「……旦那様!」
部屋の中に居た侍女が、慌ててドアを開けて彼を招き入れた。その部屋の奥には、乳母の乳に夢中でしゃぶりつく彼の息子――ルーファスと名付けられた男の子が居た。
「どうだ?」
「はい、お健やかに過ごされておいでです」
「そうか……」
こんな状況でも、妻との間に愛情など無くとも、人の親になる事は出来るのか……そんな事を考えながら、アルバートはルーファスの顔を覗き込んだ。
「ご苦労だが、ルーファスを頼むよ。シンシアは今夜も帰らないようだ」
「はい、旦那様」
そしてアルバートは再び身を翻し、部屋を出て行った。
(……この家に、跡継ぎは残したのだ。ならば、私の役割も半ばは果たしたのではないか?)
そんな思考が、彼の脳裏を横切った。このとき彼が抱いたほんの僅かな心の乱れが、後に彼自身の人生を……いや、周囲の者をも巻き込んで、その人生を大きく湾曲させてしまう結果になるという事に、誰もまだ気付いていなかった。
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